友人たちが、階段の下を通るスリザリン生たちに向かって、当たると泥を撒き散らす玩具の爆弾を投げている。
女子も男子も、上級生も下級生も、頭を抱えて逃げ惑う。怒号を上げて階段を上ろうとした何人かが、集中攻撃を受けて、慌てて引き上げて行った。
嗚呼、嫌な臭いがする。これは何の臭いだろう。
「もやる?」
差し出された醜悪な爆弾。
見上げた先には、大好きな笑顔があって、胸が詰まった。収縮を繰り返す肺の中に、痛みや悲しみや後悔や恐れや愛や友情その他諸々が充満して、苦しい。
大切な大切な仲間たち。
今まで自分を支えてきてくれた絆。
ここにいていいよって、空けられたのためのスペース。
迎え入れる腕。
笑顔。優しさ。温もり。平穏。喜び。
気がつけば腕いっぱいに抱えていた何にも代え難い宝を、ひとつとして手放したくはない。まして、壊してしまいたくなど。
いっそ、見なかったことにしてしまおうか。頭を迷いが過ぎる。喪失を恐れて、尻ごみする。
この友人たちと、他人でしかないスリザリン生たちを天秤にかければ、結果など言うまでもない。ここで口を噤んでも、何かを決定的に失うことはないのだ。大切なものは手元に残ったまま、明日からまたいつもの日常が帰ってくる。泥など洗えばすぐに取れるし、今までの悪戯から考えればまだ比較的軽い方だ。今まで見て見ぬふりをしてきたくせに、今になって急に目くじらを立てるのも、何か違う気がするし。
大体、わたしのような人間に何を言う資格があると言うんだ。
結局それが、臆病な自分に一番刺さる現実だ。そうやって、言い聞かせるように言い訳を口ずさみ、の存在そのものを激しく糾弾する誰かが、皮膚の内側に、血液に、脳髄に棲んでいる。
しかし体中を巡るそれらをさえ遮るように、頭の中でぐるぐると渦巻いて混迷する思考を貫くように、突き破るように、声を嗄らして叫ぶ声が今のには聞こえているのだ。今までは聞こえなかった声が、聞こうとしなかった声が、内側でないところから響いている。
―――結局は何もしない貴様は、何にも気づかない奴等と何が違う?
―――悲劇のヒロインにでもなったつもりか?
―――具合が悪いのか。
―――顔色が悪い。
そうだ。
もう、決めたじゃないか。本当の友になろうと。傍観者から抜け出すと。
どんなに彼らが大事でも、大事だからこそ、ここで黙っていたら、もう胸を張って友人と言えない。言わないと決めたのだ、他でもないわたし自身が。
誰が大切だからとか、そんなこと今は全然関係ない。今までの自分も関係ない。言わなくてはならないのだ。わたし自身がそう決めたから。
「こんなの、やっぱ、ダメ、だよ」
初めて口にした否定の言葉は、口の中が渇いて掠れて響いた。
情けない。
けれど今まではもっとずっと情けなかった。
意を決して、ジェームズのはしばみ色の瞳を見上げる。
「ぜんぜん、面白くないし、ぜんぜん楽しくないよ」
強い光で透き通ったはしばみ色は、どこまでも本当に無邪気で、だからこそ悲しい。
目をぱちくりさせるジェームズのその瞳から逃げるように目を逸らし、みんなを見回す。
シリウスが訝しげにを見ている。リーマスが驚いたようにを見ている。ピーターがはっとした表情でを見ている。ピーターの顔にだけ、痛いような理解が浮かんでいる。
「こんなことして、ジェームズは本当に楽しい?」
楽しいのだろう、おそらく。誰かを傷つけることはぎくりとするほど快感なのを、彼女自身も知っている。
しかし、傷つけられた方はどうだろう。踊り場から見える、寮に引き返すたくさんの背中たちは一つも楽しそうではない。愉快なパーティーからの帰りとはとても思えない。
そこには怒りしかない。憎しみしかない。
「わたし達にとっては、ちょっとした悪戯かもしれない。だけど、あの人たちはさ、これから寮に帰って今度は寮でパーティーする予定だったんだって。上級生も下級生も、みんな一緒に食べて飲んで騒いではしゃいで、楽しい夜を過ごす予定だったんだって。でも、それも、その爆弾で台無しだ」
スネイプの、あの笑顔を思い出した。
面倒だとか、気が進まないとか、そんなことを言いながら少し楽しそうだった。たぶんきっと、少なからず楽しみにしていた。
恒例の催しだってあったのかもしれない。ムードメーカーの誰かや、おちゃらけ担当の誰かが、何か披露する予定だったかもしれない。伝統の出し物や、ゲームや冗句、お菓子やジュース。一年生は初めてのハロウィンを、どんなに楽しみにしていただろう。
彼が気に入った本を抱えて寮に帰ったら、待っているのは期待していたような、あたたかな笑顔と陽気な挨拶ではない。泥と臭いだ。悔しさと愚痴だ。怒りと憎しみだ。
嗚呼、胸が、軋む。
「悪戯って、人を笑顔にさせるものだと思うんだ。笑っていい思い出にできるものじゃなきゃ、ダメだと思うんだ。……ねえ、ジェームズ。グリフィンドールなら、スリザリンに何をしてもいいのかなあ」
もう階下には誰もいない。
汚れた床と、いくつもの足跡が残されているだけ。
「わたし達はいつから、スリザリンが相手なら何を奪ってもいいなんて、ひどいことを言える人間になっちゃったんだろう?」
顔を上げる。
笑わないで、ジェームズを見つめる。
「少なくともわたしはもう、こんなの、悪戯だなんて呼びたくない。。…こんなのは、…ただの、暴力で、……だから、もう、こんなことで、いっしょに笑いたくないんだ」
顔が歪むのは、悲しいからだ。
悔しいからだ。
スネイプのあのあたたかな笑みを、こんなにも簡単に曇らせてしまったのが、の大切な仲間たちだったからだ。自身だからだ。
「…もっとすてきなことで、くだらないことで、いっしょに笑いたいんだ」
理不尽な暴力は、最低だ。
最悪だ。
しかし、本当に何より最低で最悪なのは、今までこれを見過ごしてきた自分だ。こんなものを今日まで野放しにしてきた自分自身だ。
体の中で荒れ狂う嵐に突然耐えられなくなって、立ち尽くすジェームズの横をすり抜け、はその場を逃げ出した。
階段を駆け降りる。
かん かん かん かん かん
静まり返った空間に、の足音が響く。
誰も何も言わなかった。
は走り続けた。
階段を下り終えた。泥を踏んだ。撥ねてスラックスが汚れた。足跡の流れを横切った。4人の姿が見えなくなった。
それでも、立ち止まらなかった。
泣いたりしない。絶対に泣かない。こんなことで、わたしが泣いていいはずがない。この程度のことで、涙を零して良いはずがない。・は絶対に泣かない。どんなことがあっても、いつだって笑い続ける。笑って、笑って、笑って。笑って。
「…は……ぁ、…は……」
息が切れる。
走って、走って、走り続けた。自分の走る足音だけに集中した。
頭の中で響き続けるあの嫌な音をかき消すためだ。
あの音。
あれはなんだ?
あれは声だ。
怒鳴り声?
違う。
笑い声。
ジェームズの。シリウスの。グリフィンドールの。正義の。…違う、違う違う違うちがうちがうちがうチがウ!
あれは、他でもない。
わたしの、声だ。
「ッ!!」
怒号と共に腕を引かれて、反射的に振り払う。
しかしそれは許されずに、を遥かに上回る力で歩みは止められてしまった。
立ち止まったがようやく振り返ると、彼女を追って来たらしいその人も、肩で息をしていた。
「……ベイル、ダム、教、授…?」
掠れた男の声。
ああ、そうか、これはわたしの声だ。
彼らの悪戯で男にされていて。
彼らの、悪戯で。
悪戯で。
「…顔色が悪い」
ベイルダムが言った。
その言葉が。
その言葉が、わたしの背を押したのだ。
押して、くれたのだ。
大きな手が、額に当てられる。それは僅かにひんやりとして、しかし生きた温度があった。張り詰めていた何かが、ふっと緩む。瞬きをすると、何かがぽろりと落ちた気がした。目の中にごみでも入っていたのだろうか。そうか。きっとそうだろう。だから、あんなにも痛かったのだ。
「熱があるな。…ポンフリーが病弱と言っていたのは本当か」
サングラスの向こうの瞳が、あの日のそれと重なる。
知っている。あの正直な目が、きっと今、少し細められて。
ああ、この人は、わたしを心配してくれている。
「…ど、…して……?」
言葉が零れ落ちる。
わたしはグリフィンドールの小娘で、貴方はスリザリンの寮監なのに。
貴方は誰よりも、冷たく、厳しく、残酷であらねばならないのに。
「それはもう言ったろう」
二度は言わん、と顔を顰めた。
その顔の顰め方が誰かに似ていて、はたぶん、少し微笑んだ。
―――俺が大人で、貴様が子どもだからだ。
ぼんやりと視界に靄がかかる。白く濁り、やさしさと安寧に包まれる。
「そ…て……た………、…ぉま…は………、………ぎて…る」
意識は、そこで途切れた。
「かけなさい」
長く長く蓄えた真っ白な髭を揺らして、彼は4人に椅子を勧めた。
勧められるまま、4人はおずおずと、おっかなびっくり腰をかけた。適度に弾力のあるクッションが心地よく沈む。
が去って間もなく、教師陣が現れた。騒ぎを聞きつけて、おそらくとほとんど同時に来ていたのだろう。やり取りを全て見られていたようだった。
ダンブルドアと、マクゴナガルと、ベイルダム。
ベイルダムは、ちらりとダンブルドアに目配せするとすぐさまの後を追った。彼がのことを毛嫌いしていることは周知の事実だったから、4人は出来れば阻止したかったが、そういう空気でもなかった。どうせならマクゴナガルが行けば良かったのに。
今、4人は2人に連れられて、校長室に来ていた。
ダンブルドアが椅子に座ると、その横にマクゴナガルが佇む。悪戯の後に彼らを叱る彼女は、たいていその薄い唇を真一文字に結んでいる。それが怒っているときの彼女の癖で、その表情で彼らは彼女のお怒り具合を量る。減点だったり、罰則だったり、その結果は様々だったがそれも悪戯の醍醐味の一つと、ジェームズなどは考えていた。
しかし今日は、その表情もどこか静かだった。穏やかと言ってもいい。遠くを見るような、思いを馳せるような、夢見るような、4人を見るその顔にはどこか疲れも宿っていた。
「マクゴナガル先生。の様子を見てきてくれんかね」
穏やかに、ダンブルドアが頼んだ。
一拍の間を置いてマクゴナガルは頷くと、静かに部屋を出て行った。
緊張した4人の生徒を前に、ダンブルドアが杖を振るうと、ティーセットが一式現れる。彼はティーポットを傾け、5つのカップに手ずから紅茶を注いだ。こぽこぽという音が、静かな校長室を支配する。
ダンブルドアがもう一度杖を振るうと、4つのカップがソーサーごとふわふわと4人の前に移動した。それぞれが紅茶を受け取ったのを見届けると、彼は深く座りなおした。椅子が軋む。
「さて……、何から話し始めれば良いか…」
考え込むようにそっと目を閉じて、それきり、動かなくなった。
まるで眠っているかのようだった。
深く刻まれた皺も、閉じられた瞼も、いつもは微笑んでいる唇も、すべてが彫像のように動かなかった。
4人はそれぞれ顔を見合わせる。特にリーマスは顔を真っ青にして、食い入るように校長を見ていた。暢気に紅茶を楽しめるような雰囲気でもなく、部屋はしんと静まり返っていた。
それを見ていた不死鳥が、助け舟のつもりなのか、音もなく羽を広げた。
ふわり。
流れるように主の肩に移動し、老いた肌にそっと体を擦りつける。穏やかに目を開け、肩に止まった友に微笑みかける。その姿は、まるで不死鳥によって死から蘇ったようにさえ見えた。
「…そうじゃな、そう……」
ダンブルドアが言いよどむのは珍しい。いや、珍しいどころか、今まで一度も見たことがない。
余程、話しづらいことなのか。
誰もが最悪を考えたとき、堪え切れなくなったようにリーマスが口を開いた。
「た、退学に、なるんですか。僕ら」
声が震えていた。
どうにかこうにかやって来たと言うのに、こんなことで。
リーマスの瞳を、絶望が彩る。
今回の悪戯が普段に比べて特別酷かったとは思わない。それなのに、も、先生も、どうして、今回に限って。
ダンブルドアは青い、その何もかも見透かすような瞳で、混乱するリーマスをじっと見ていた。沈黙が、今までにない重力でもって圧し掛かる。
「…ペナルティは、必要じゃろう」
独り言のように、呟いた。
「じゃが、減点と罰則で良かろうと思うよ。君たちはまだ、正義と悪意の区別がつかない小さな子どもに過ぎん」
溜息と共に吐き出されたような響き。
そのときジェームズ・ポッターだけが、「失望された」と唐突に悟った。
突然誰かに頭を殴られたような心地だった。
アルバス・ダンブルドアに、失望された。
その事実は、どんな叱責よりも、の言葉よりも、彼女の傷ついた瞳よりも、退学の危機よりも、深く深くジェームズの胸に突き刺さった。
ジェームズは呆然と、崇拝するその人を見た。シリウスは子どもと言われて不満そうに眉を寄せ、リーマスは退学を免れたことに取りあえず胸を撫で下ろした。ピーターは俯いて、自分の膝を、握った拳を、仇か何かのようにじっと睨みつけていた。
「じゃあ、どうして…」
リーマスが恐る恐る、先を催促する。
ダンブルドアはそっと相棒の美しい羽根を撫で、ふと微笑んだ。
「そう、…昔話をしようと思っての」
楽しそうに、悲しそうに、ダンブルドアは目を細めた。
「遠い、遠い、昔。まだわしが若く、愚かで、傲慢で、この学校に初代悪戯仕掛け人が在籍していた頃の話じゃ」
無言呪文で、少年に魔法をかける。
放心状態だったせいか、子どもはあっけなく眠らされてしまった。ぐらりと倒れかかる身体を、慎重に受け止める。
医務室に運んでやるよりも、薬をつくってやれる研究室の方が良いだろうと思ったのは、彼女の体質が強い魔法薬しか受け付けないものであることを知っていたからだ。断じてポンフリーに激怒されるだろう彼女を気の毒に思ったからではない。幸い、ソファも毛布もそこにある。
抱き上げようとして、腕の中の少年の顔を何気なく覗き込み、途端ぎくりと動きを止める。
肌の色、眉の形、閉じられた瞼の曲線、鼻筋、唇。
・を構成する何もかもが、奥底に沈められた古い記憶を呼び覚ます。
彼女を助けてしまうのは、彼女がまだ子どもで、自分が大人だからだ。それはベイルダムにとって紛うことなき真実で、真理で、決して変わることはない。しかし、自分とて一人の人間に過ぎず、生徒たちをまったく平等に想っているとはとても言えない。
諦めたように溜息をつくと、睫毛の先まで見える距離で、そっと囁く。
「そしてたぶん、…お前は、似過ぎている」
似ているから、思い出すから、あいつの、娘だから。
特別視していないと言ったら嘘になる。厳しくしたのも、嫌われようと努めたのも、彼女が彼女であったからだ。
軽い身体を今度こそ抱き上げて、地下の研究室へ向かう。
おそらく、掛けられた性転換の魔法が体質に合わなかったのだろう。その上、慣れない身体を酷使したのかもしれない。本人が思っていた以上に疲労が溜まってしまったというところか。階段から落ちたり、突然男になったり、友人と喧嘩したり、本当に忙しい奴だ。そういうところもよく似ている、と懐かしさに胸が痛む。
しばらくそのまま歩いていると、
「リディウス」
声を掛けられて、立ち止まる。
誰だかなんて考えるまでもない。彼をそう呼べる人間は、もうそう多くない。
「ミネルバか。早かったな」
「近道してきたの」
微笑む彼女の表情には、いつもの厳しさがない。
彼女が彼にだけ垣間見せるやわらかさがあまりに眩しく、思わず顔を背けた。それが失態だと気づいたときには、彼女の瞳は悲しみが宿っていた。いつだってそうだ。ベイルダムは彼女を悲しませることしかできない。
「そうしていると、昔に戻ったようね」
「………」
彼女にそんなつもりはないと分かっていても、責められているような気がするのは何故だろう。
何故だと?
無意味な自問だ。そんなこと、本当はもう分かっているくせに。
「貴方の心は今も、あの頃に取り残されたまま…」
「ミネルバ、」
「いい加減、向き合わなきゃいけないんだわ。貴方も、わたしも」
遮るように続けられることばは、あくまで静かで、優しい。
しかし、そこに込められた意思は、彼女の気質そのままに真っ直ぐで正しかった。
「あまりにも大切にし過ぎて、わたし達はどこかで何かを間違えてしまった」
そっと近付いて、眠っているの顔を覗き込む。
額にかかった前髪を、指先でそうっと払ってやった。
「もうそろそろ、許してもいいころよ。あの子のことも、自分のことも」
「……あいつは逃げたんだ」
吐き捨てるように呟く。
痛みや悲しみや様々な苦悩を、たった一つの笑顔に押し込めていた、あの日のあいつが瞼に浮かぶ。
そうだ。そうしてあの日、何もかもから逃げるため、あいつは一人で行ってしまった。
「まだそんなことを言っているの? もう子どもじゃないのよ。本当はもう、貴方にも分かっているんでしょう?」
何も言えない。
確かに、あの頃の怒りはもうない。
逃げることが正しい選択だとは思えなかった。
卑怯だと思った。卑怯だと罵った。逃げるならもう会わないと、どこへでも行ってしまえと、言った。どんなに大事でも、大事だからこそ、間違った道を選ぶ片割れを見過ごすことはできなかった。当時のベイルダムは、そうやって拒絶すれば、叱責すれば、いつかは非を認めて戻って来ると信じていたのだ。
あまりにも、若かった。
「あの頃は分からなかったことも、今なら分かる。あの子は戦いから逃げたんじゃない。闇を恐れて逃げたんじゃない。逃げ続けることが、あの子なりの戦い方だっただけ。そして今も、あの子はわたし達とは違う方法で、たった一人で戦い続けている」
遠い日本で。
貴方も、わたしも、いない場所で。
「平気だったと思うの? 貴方のいない日々を選ぶことが、簡単だったと思うの?」
「…それは、」
「貴方たちは結局、昔も、今も、これからでさえ、2人でやっと1つなのよ」
無縁ではいられない。
想わずにはいられない。
代えのきかない、唯一無二の半身。
魂の片割れ。
「本当に大切に思うなら、手遅れになる前に、許してあげるべきだわ」
マクゴナガルの細い手が、慈しむように、彼の腕に置かれる。
ベイルダムはその手を振り払うことができない。昔も、今も、これからも。物理的にも、精神的にも、彼女の手だけは決して振り払えないのだ。
「ミネルバ、俺は…」
言いかけた、そのときだった。
しゅるしゅると空気が抜けるような音を立てて、の身体が元に戻って行く。
体の線が丸みを帯びる。喉の凹凸がなだらかになり、肩がするすると細くなる。大きさの合わなくなった靴が片方、ぼとりと落ちた。
完全に少女に戻ったの顔を改めて覗き込んで、マクゴナガルがくすりと笑った。
「本当に、よく似てる…」
「ああ。……だが、」
ベイルダムの声も、マクゴナガルが思わずはっとして顔を上げるほど、優しかった。
「この子は、…この子だ」

081016
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