場所は、誰も使わない埃っぽい空き教室。 「何の話だ?」 スネイプは怪訝そうに眉を寄せた。 途端にリリーの難しい顔が、花が綻ぶように笑顔になる。その過程にさえ躍ってしまう胸を自覚して、スネイプは少しだけ目を逸らした。 「そんな顔をしてたら、いつか皺になっちゃうわよ?」 「……別に」 苦い顔で益々眉間に皺を寄せたスネイプに、リリーは小さく声を上げて笑った。 逆さに持ったペンの先端で、コツコツと机の上のプリントを叩く。 「これね、アンケートなの」 「アンケート?」 「そ。趣味とか、特技とか、好きな教科とか書いて、友達同士で交換するの。相手のことをもっと知ろうっていうことかしら。最後には書いてもらったのをファイリングしたりして、…たくさん友達がいることの証明を、形にしたいのかもしれないわね」 不安の多い年頃だから、と大人びた少女は肩を竦めた。いかにも興味なさげな彼女は、十中八九、友人に押し付けられたのだろう。それでも律儀に書いてやるところが彼女らしい。 軽く覗き込むと、確かに10代の女子が好みそうな、パステルカラーで可愛らしく飾られた“アンケート”である。 偶然目に入った“好きなタイプは?”という空欄に、どきりとした。 「それで、さっきの質問か」 「ええ」 ――生まれ変わるなら、何がいい? 「お前は何になりたいんだ?」 「それがね、あまり思いつかなくて」 苦笑しながら、ペンの頭を唇の下に当てる。 「男の子とか、アイドルとか、お金持ちとか、マグルとか、動物とか、植物とか、色々あるんだけどどれもピンとこないの。だから、参考にと思って」 困ったような柔らかい表情に、スネイプは目を細めて小さく微笑み返した。 「さあ、なんだろうな」 スネイプは目を閉じてじっと考えた。 色々なパターンを夢想してみる。けれどその命はもう自分のものではない。自分の価値観など無関係になるそこからの視界は、まったく分からなかった。異性の目からみる世界など知らない。ましてマグルの思考など分からない。動物や植物など論外だ。想像力の乏しい頭が、無理だ諦めろと呻いた。 そうこうしている内に、ふと笑っている少女が浮かんでくる。 紅い髪を風になびかせるリリー・エヴァンスと、その隣を当然の顔をして歩く自分の姿が。 胸が軋む。 目を開けると、再びアンケートに取り組んでいる彼女の横顔が見えた。 夢想している間に、結構な時間が経ったのかもしれない。先程の質問は空欄のまま、次の問いに移ったのだろう。彼女のペンは、流れるように動いていた。ペン先が紙を引っ掻く音が、教室の静寂に響く。落ちかけた紅い前髪を片手で押さえて、視線に気付いた彼女はふっと顔を上げた。 気が付けば、口を開いていた。 「お前を守れるものがいい」 リリーは驚いた顔をした。 そして、同じくらいスネイプも驚いていた。 自分には彼女を守ることができないと、知っていたからだ。 そしてそれは、リリーも知っていた。 少しの沈黙のあと、リリーは顔を赤らめながら、嬉しそうな、それでいて悲しそうな微笑みを浮かべて言った。 「わたしも」 あなたを守れるものになりたい。 2人が逢瀬に使った空き教室は、相変わらず埃っぽく、がらんとしていた。 変わらない場所に傷のある机を、指先で軽くなぞりながら足を進める。そして、ゆっくりと定位置に座った。 彼女の席には誰もいない。 突きつけられた当たり前の事実に、喪服にも似た黒衣に身を包んだ彼は小さく呻いて目を伏せた。 頭を抱えるように顔を伏せ、片手で髪をぐしゃりと掻きあげる。その手はゆっくりと額に降り、すっかり定着してしまった眉間の皺に僅かに触れ、目元を覆い、頬を過ぎて、口元を覆ったところで止まった。 10年経った。 ちらつく過去の面影から目を逸らすため、仕事にのめりこんだ10年が過ぎた。 10年は長い。 1歳にして英雄に祭り上げられた彼女の息子が、今度の夏には11になる。 彼女とスネイプが同じ時を過ごした此処に、彼もまたやってくることになるだろう。 「お前を守れるものがいい」 嘆きは誰にも届かない。 埃まみれの床に転がって、染みこんで、消えた。 誰も守れなかった。 だから。 お前がその命を懸けて、守った命を守り通そう。 その命を決して、無駄にはすまい。 やがて静かに教室を出たスネイプは、二度と其処には来なかった。 2005/11/19 選択御題「微かな運命を感じつつ」より 配布元:Theme |