父上は厳格で、尊敬してはいたけれど打ち解けて話をした記憶はない。
 もしかしたら、多くはそれを“不幸”と言うのかもしれない。しかし“不幸”が“恵まれていない”ことを指すというのなら、僕は間違いなく“幸せ”なのだろう。何せ金には困らない。
 しかし、母上は優しかった。僕には勿体無いほどの、完璧な母だった。本当に。
 ホグワーツにいるときは、週末の夜に必ず手紙を書いた。
 そして、今は夏期休暇中だ。母上はどんなに忙しくても必ず、僕とお茶を飲むために時間を割いてくれた。



「どうしたの、ドラコ」

 母上の声に、僕はハッと我に返る。
 嗚呼、わざわざ僕のために時間を割いてくれたのに、その僕が一人物思いに耽るなんて……。

「すみません、母上」

 慌てて謝る。母上は嫌な顔ひとつせず、微笑んで許してくれた。
 使用人に任せず、僕のために母上が淹れてくれた紅茶を口に運ぶ。ダージリンの優しい香りがする。

「悩みがあるのかしら?」

 穏やかな問いに、僕はぎくりとした。
 あるか、と聞かれたら、確かにある。だが母上に相談するわけにはいかない。この年になってこんなことを母親に相談するなんて馬鹿げているし、それ以上に知られたくない。知られてしまったら僕は…。

「恋の悩みね」

 不思議と断定的な科白に、秘密が暴かれることに怯えていた僕は、さあっと血の気が引いていく音を聞いた。
 真青になって固まっている息子に、母上は相変わらず優しく笑んでいた。

「母上には教えてくれないの、ドラコ?」
「そ、の……いや……あー」

 言葉に詰まってへどもどする僕に、母上は小さく溜息をつかれた。

「そう………、ドラコももうそんな年なのね」

 僕はほっとして肩の力を抜いた。これ以上詮索されることはなさそうだ。
 実際、僕の悩みが、その、こ、恋、とか…そういうのなのかはよく分からない。ただ気が付けば彼女のことを考えているし、彼女の傍に他の男がいるのは苛々するだけのことだ。穢れた血め、としか言えない自分が悲しくなるだけだ。それだけだから、……よく分からない。
 だけど、穢れた血が気になるなんて、口が裂けても母上には言えない。最大の親不孝だと分かっているからだ。母上のためならば、僕は永遠に口をつぐむだろう。
 紅茶から顔をあげて見ると、母上は庭を眺めていた。いや、実際は何も見えてはいないのだろう。その目はとても遠い。
 今まで見たことのないその憂いを含んだ眼差しに、僕はむくむくと好奇心が湧き上がるのを感じた。

「母上は恋をしたことがおありですか? ……その…父上以外に、ですが」

 不躾とは知りつつ、つい尋ねてしまった。
 母上は僕に視線と焦点を戻し、それからゆっくりと微笑んだ。

「あるわ」
「たくさん?」
「数え切れないほど」

 それは父上と出会う前のことだろうか。父上と出会った後に、父以外の男を本気で恋をしたことがあっただろうか。父と結婚してから……僕が生まれてからは……。
 僕はぞっとして思考を中断した。

「は、初恋はいつでしたか?」
「興味があるの?」

 悪戯っぽく笑われて、つい勢いに任せて問いを重ねた自分の不躾さにハッとした。
 慌てて謝ろうとしたのを、母上は首を振って止めた。
 それから、目を伏せて口を開いた。

「ドラコ、恋はね、本気でなくともできるものなの。だから、戯れだけの恋なら若い頃は本当にたくさんしたわ。でもそういうものは、すぐに終わってしまうの。あるときは、数時間だけで終わったこともあった」

 僕はポカンとして母上を見た。
 “貞淑”、“淑女”というのは母のためにある言葉と言っても過言ではない、と今までずっと思ってきた。それが、若い頃は随分な…あー…“恋多き乙女”だったらしい。僕は初めて見た“母”の“女性”の一面に戸惑った。

「ひとつ恋が終わったら、ひとつ星の名前を覚えたわ」
「星の名前?」
「そう。昔から星が好きだったから、その恋に一番ぴったり合った星の名前を覚えたの」

 僕の頭には、まだ少女の母上が、恋が終わるたびにその恋に番号を振って、星の名前と一緒に引き出しにしまいこむ姿が浮かんでいた。
 女の子って、分からない。
 きっと僕の思いは顔に正直に表れていたのだろう、母は上品に吹き出して、また紅茶を口に運んだ。

「じゃ、じゃあ、初恋はいつだったのですか?」

 一番初めの恋は。
 母上はほんの一瞬だけ動きを止めて、僕を見た。
 その宝石のような目に、先程と同じ憂いが揺れているのを見た。

「………初めて会ったのは、4つのときだったわ」

 母上は僕から目を逸らして――目を“背けた”ように見えたのは、気のせいだったのだろう――ぽつりぽつりと話し始めた。

「恋なのだと気付いたのは、11のとき」

 やっぱり、女の子って分からない。
 僕なんかこの年になってやっと、恋とはどんなものなのか考え始めているところなのに。
 今僕はさぞ変な顔をしていただろうが、幸い母上は気付かなかった。ぼうっと遠くを見ていた。

「その恋を、諦めたのは13のとき」

 悲しそうだった。
 痛みを堪える顔だった。

「どんな方だったのですか?」

 傷つけるかもしれないと分かっていて、僕は問うのをやめられなかった。そこにいたのが、今まで知らなかった母だったからだ。

「……真っ直ぐな人だった。疎ましいほどに真っ直ぐな人だった。何事においても自分は正しいと根拠も無いのに信じているのが、わたくしには愚かしく見えて仕方なかった。いつまで経っても小さな子供のように騒いではしゃいで、見ている此方が恥ずかしくなるような、粗暴な男だった。生まれが良いのだからマナーなら十分に心得ているはずなのに、何かに抗うようにそれらにことごく背いていたわ。まるで子供の駄々を見ているようだった」

 耳障りのよい柔らかな声が、低く呟くように続ける。

「それでいて、その目だけは輝いていたの。その目を見ていると、間違っているのはわたくしなのかしらと、不安になってしまうくらい綺麗だった」

 戯れの、短い恋ではなかったのだと、僕は嫌でも気付いた。
 ほんの数時間で終わるような恋ではなかったのだと。
 数年、いいや数十年も、途切れることなく続いてきた、初恋。
 もしかしたら、母上は今もまだ――?

「星は……」

 聞きたくもないのに、僕はそれを尋ねていた。
 母上の初恋に、僕は自分を重ねていたのかもしれない。


「その恋の星には、何を選んだのですか」


 母上は、僕を見て笑った。
 それは“母”ではなかった。“マルフォイ夫人”でもなかった。
 “ナルシッサ”だった。





「夜空で最も輝く星を」




















   シ リ ウ ス




















2005/11/21

 やりたかったCP!
 しかし初シリナルでシリウスが出て来ないっていう!
 しかも微妙にドラハー前提っていう!
 ビヴァ邪道!!(壊)