「王宮とは、息苦しいところだな」

 白いカーテンの揺れる窓辺の椅子に腰掛けて、ぼんやりと外を見ながら呟いた。
 そこから見える庭は、美しく剪定され、整えられ、管理されていた。空の青ささえ窓枠に収められて、一枚の絵のように整然としている。

「そうは思わないか?」

 壁に背を預けて立っている男は、何も答えない。
 しかし、彼女にはそれが答えだ。

「特別美しいわけでもない躯を豪奢な服や宝石で飾り付けて、同じように言葉も行動も気持ちさえも飾り付けて、自分を隠して、真意を隠して、そうしないと生きていけない世界だ。美しくもある。とてつもなく醜くも思える。くだらない。けれどそれなしでは国は成り立たない。いつとて複雑で混沌としている」

 テーブルに置かれた小難しい本のページが、ぱらぱらと風にめくられる。
 栞が飛ばされ、一枚の羽のように舞う。

「一寸先は、闇か光か。気を抜くことも許されない。常に最高を求められ、それを満たさなければ失望される。賞賛と世辞の境界は限りなく曖昧で、恋と遊びは同義語で、愛憎はときに同居している。なんとも不思議な世界だよ、まったく」

 しかし、彼女はそこで生まれ、そこに育った。
 それ以外の世界など知らない。

「わたしはもう疲れてしまった」

 齢16。
 軽視もされ、重視もされる数字。
 侮られもし、利用もされる年。

「もう、圧力に抵抗する力もない」

 視線を本に戻したものの、先程まで読んでいたページを探すのも面倒だ。
 このまま最後のページまで捲られるのを、黙って見つめていたいような気がした。風に遊ばれる、小難しい本のページを。

「結婚が決まった」

 男はひとつゆっくりと瞬き、黙って、最高級の絨毯に落ちた薄っぺらい栞を拾い上げた。

「春に、国を出る」

 拾い上げた栞を、差し出す。

「お供いたします」

 男が言った。
 彼女は男に焦点を合わせて、淡く笑った。
 首を横に振り、栞を男の拳ごとそっと押し返す。

「お前は、ここに残れ」

 宝石と謳われた瞳が、柔らかく細められる。

「わたしは、それでもこの国が好きだ。此処がたった一つの故郷であり、お前と出会って共に育った場所だ」

 そして、別れた場所となるだろう。

「わたしの代わりにこの国を守って欲しい」

 わたしとお前が共に生きた証を。

「頼んだぞ」

 柔らかい、しかし有無を言わせぬ命令。
 男は彼女のために生まれた。彼女のためにだけ生きた。彼女の命令にだけ従った。従わぬことなど一度たりとてなかった。
 答えは一つしかなかった。

「承知しました」

 表情は変わらなかった。声色も変わらなかった。
 ただその瞳だけが、冬の湖畔のように、悲しみと絶望に凍えていた。
 彼女は笑った。
 幼い頃、男がまだ少年と言える年だった頃、誰にも見つからないように厳重な警備をふたりで擦り抜け、城下の祭りにくり出した日。屋台に並んだ安物の指輪を贈ったときのように笑った。手をつないで走り息を切らせて草むらに転がった頃のように笑った。

「お前の、飾らない言葉が好きだよ」

 偽りのない、お前が好きだよ。

 偽りなく、お前が好きだよ。



 男がほんの少しだけ口端を上げた。
 あの頃と同じにはもう笑えない。それでも、気持ちは変わらない。

 飾っていないときの、貴女の言葉が。

 飾っていないときの、貴女が。

 いいや、飾っていたときでさえ。

 誰よりも。
 誰よりも。
 自分自身よりも、ずっと。

 ずっと。


 それだけは、永遠に、過去形にならない。








 そして、男の手に残ったのは、一枚の栞だけだった。




















2005/12/25

 また書いてしまった、この人たち。
 私はつくづく、悲恋が好きらしい。