街に用事が出来たと言うことで「姫と王子と王妹の護衛」の任を受けた。
 恭しく礼を取って着任したゲオルグを、サイアリーズは気味の悪そうな目で、ファルーシュは泣きだしそうな目で、リムスレーアは好奇心に満ちた目で、リオンは尊敬の目で、見た。
 反応も様々だな、とゲオルグは内心密かに笑う。
「なんだい、その喋り方は。背中がムズムズしちまうよ」
「さて、何のことでしょう」
 鳥肌が立ったとでも主張するように、サイアリーズは自分自身を抱きしめて腕をさすった。王子の方は、なおも捨てられた仔犬のような目でじっとゲオルグを見ている。「フェリドの息子として見る」という扱いが、余程気に入っていたのだろう。まったく、困った王族たちだ。
 そのやり取りを興味深く窺っていた少女は、「ゲオルグ殿」と声をかけた。
「は」
「わらわに気を遣わずとも良い。ゲオルグ殿は父上の古い友人と聞いておるし、兄上もなかなか話の分かる人じゃと言うておうた。いつものように話して構わぬ」
「……よろしいのですか。それでは、次期女王としてしめしがつかないのでは?」
「こんなことで、つくのつかぬのと騒ぐようなしめしなら、もともと大したモノではないのじゃ」
 ほう。ゲオルグはもう一度、その小さな姫君を見る。なるほど、まだ幼いが、両親譲りの大器を秘めている。
 ふと目をやると、先程まで仔犬に思われた青い目が、十代半ばとはとても思えぬような慈愛をたたえて妹を見下ろしていた。王族には珍しく、兄妹の仲は良好らしい。
「承知した。なら俺も殿はいらん。ゲオルグで十分だ」
 がらりと口調を変えて言う。
 リムスレーアは驚くでもなく、「うむ、よろしくなのじゃ」と花のように笑った。
「ああ、それと、リオンだったか。忙しくて挨拶をする暇もなかったが、俺の仕事もしばらく王子の護衛が中心になるらしい。よろしく頼む」
「あ、は、はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」
 まさか自分に声がかかるとは思っていなかったのか、緊張で裏返った声でリオンが返した。リオンにはその身のこなしで、彼がフェリドクラスの達人であるのが分かってしまうのだ。おそらく、女王騎士の誰よりも強い、と息を呑んだ。
「そういえば、今日はミアキス様は?」
 ふと気付いたリオンが、リムに尋ねる。
「うむ。あまり大人数で押しかけては迷惑じゃからの。今日はお留守番じゃ。…ミアキスめ、悔しがっておったわ」
 普段からかってばかりいるミアキスの悔しがりようが楽しかったのか、リムスレーアはくっくっと愉快そうに笑った。
 そうして挨拶を一通りすませて、一同はようやく歩き始めた。
 太陽宮を出て、元老院の前を通り、門のところまでやって来たところで、皆(一部を除く)少しだけ身構えた。しかし、期待に反して小さな赤はまだそこになかった。警備兵の敬礼に見送られながら、街へ出る。
 ファルーシュは、ふとサイアリーズを見上げた。
「そういえば、叔母上はゲオルグと知り合いだったの?」
「それ、それだよ。ちょっと聞いとくれよ、ファル。義兄上に新しく女王騎士を入れる話を聞いて、あたしもどんな男か見てみたくなってね。ちょっくらこいつが泊まってるっていう宿に顔を出してみたんだよ。そしたら、受付け横の小さな酒場で、話に聞いた通りの風体の男が難しい顔して酒を飲んでるじゃないか」
 うんうん。
 と相槌を打ちながら、ちらりと件の男を振り返る。話は聞こえているらしいが、素知らぬ顔で雑踏を眺めている。
「あたしがこう、艶っぽく声をかけるじゃないか」
 ちょいと兄さん、難しい顔してると酒がまずくなるよ。
 ん? ああ、うん、確かにそうなんだが、どうにも、なあ。
 何か悩み事かい?
 …そうだ、あんた、この街の人か?
 生まれも育ちも、ソルファレナだよ。
「そしたらこの男、何て言ったと思う?」
 ファルーシュは首を傾げる。
 さて何だろう。
「チーズケーキの美味い店を知らないか、だってサ!」
 叔母の、大袈裟なほどの非難の声色は、少しだけ面白がっていた。少年は何とも答え難く、うーん、と苦笑を浮かべて唸る。
「……………ねえ、ゲオルグ」
「なんだ」
「それは、自分に?」
「無論だ」
 即答である。
「実を言うと俺は、無類のチーズケーキ好きでな。あれには目がない」
「信じられないだろう? 夜ふけの酒場で、こんな美人が話しかけてるって言うのに! チーズケーキ!」
 叔母の論点も違う気がするが、流石にファルーシュも言葉を失う。
 何と言えば良いのか分からずに助けを求めるて視線を投げるが、話を聞いていた少女たちも、そろって変な顔をしていた。
 もしかしたら件の少女に買ってやるつもりだったのかと思ったのだが、飄々とした男の隻眼を窺い見ていると、なんとなく嘘ではないような気がする。珍しい剣豪もいたものだ。
「しかし、とんでもない王族もいたもんだな。ギャアギャアひとしきり文句を垂れたかと思ったら、上等の酒ばかりをしこたま飲んで、気がついたら居なくなっていた。王宮でフェリドに紹介されたときは、目玉が飛び出るかと思ったぞ」
「そんなこともあったっけね」
 そのときのことを思い出したのか苦虫を噛み潰したようなゲオルグに、今度はサイアリーズがどこ吹く風と嘯いた。互いをけなし合っているが、これでなかなか気が合うらしい。
 そうやって雑談する所作を眺めながら、今まで周りにいなかったタイプだ、とファルーシュは改めて思う。父に似ている気もするが決定的に何かが違う。情に厚く義を重んずるが熱くはならない。どこかが静かに凪いでいる。王族の名を平気で呼び捨てて、砕けた口調で話すのを好むくせに、礼節もまた知ってるのように。異国の風を纏う風変わりなその男に、ファルーシュは同じ男として強い憧憬を抱いた。
 いくつか小さな橋を渡って、入り組んだ道を歩く。
「ところで、どこに向かってるんだ?」
 そのうち、ゲオルグが首を傾げた。
 説明を求める視線は、サイアリーズに向かっている。
「…んーー、それがねえ」
 面白がるように弧を描いた唇が、ついにそれを語ろうと開かれたときだった。

「このガキャア!!」

 ひび割れた怒号が耳に飛び込む。
 見ると、こんな時間から酒に酔っているらしい男が、真っ赤な顔で怒鳴っている。
 片手にぶら下げた割れた酒瓶が、何やら物騒だった。今しがた割れたばかりらしく、酒の臭いがこちらまで届いた。破片が当たりに散らばって、きらきらと光っている。
「せっかくの酒が、テメエのせいでおじゃんになったんだぞ! ア゛ア? 親はどこだって聞いてんだよ! 黙ってちゃ分かんねえだろおがあ! 弁償しろこの野郎!」
 相手は、赤。
 赤毛の子どもが、尻もちをついている。
「ちょっと、やめなよアンタ。怖がってるじゃないか」
 近くで見ていた若い男が、酔っ払いに声をかける。
「うるせえ! 外野は黙ってろ!」
 喋るたびにぶんぶんと振りまわす酒瓶が危なっかしく、周りは誰も近づけない。その切っ先が、今にも子どもに当たりそうで、心臓が冷えた。
 ファルーシュは、ゲオルグを見上げた。
 ゲオルグの右目は、鋭い刃のような視線でその光景を見ているが、しかし微動だに動かない。
 助けに、行かないのか。
 そう問おうとしたとき、
「どうするんだ?」
 低い声で、問うたのはゲオルグだった。
 答えたのは、リムだった。
「そんなもの、決まっておろうが!」

「御意」

 風が一陣、駆け抜けた。
 ファルーシュの銀髪がふわりと舞って、また元に戻ったときには、すべての決着がついていた。
 三節棍に手を伸ばす暇もなかった。
 リオンの手もまだ、長巻に握ってはいない。
 抜いたのか、峰打ちだったのか、はたまた当て身だったのかさえ、ファルーシュには判断がつかなかった。あっという間とはこのことだ。
「やるじゃないか」
 サイアリーズが笑った。
 酔っ払いは仰向けに倒れて、死んだように動かない。
 割れた酒瓶は、いつの間にかゲオルグの手の中にあった。
 先程までの喧しさが嘘のように、しんと静まり返った野次馬の一人に酒瓶を押し付けると、新調した黒衣が地面に擦れるのも気にせずにしゃがみ込んだ。
「怪我はないか?」
 子どもは、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
 こんなときにも、やはり泣いてはいない。
 ゲオルグは、子どもの両脇を持って立ち上がらせると、ぱんぱんと服を叩いてやった。別れるときには灰色の“囚人服”だったそれが、今は藍色のチュニックになっているのに目を細める。それから膝や手のひらを丁寧に確認して「よし」と頷いた。多少の擦り傷はあるが、気にするほどではない。割れたガラスが心配だったのだ。
 そのとき。
「お」
 されるがままになっていた子どもが突如として、きゅっ、とゲオルグの首にしがみついた。
「あ」
 と思わずファルーシュは声を上げた。
 居合の達人の首を、いとも簡単に取った、と。
 同じことを考えたらしいリオンは、王子と顔を見合わせて、不意に小さく笑い声を上げて破顔した。武道を志す者にとって驚嘆すべき一瞬を目にした後の、微笑ましい一幕である。
「うんめい、かア」
 小説もかくや、と言わんばかりの劇的な再会を、サイアリーズはそう揶揄して笑った。
 これが美男美女であったなら、リム辺りが頬を染めるようなまた違った展開になっただろうに、ヒロインは惜しむらくもまだまだ小さな幼女である。
 男の太い首にぷらんと下がった小さな身体。
 まったく、可愛らしいことこの上ない。





 子どもを首にぶら下げたまま、改めて目的地を聞いた男は、先程からずっと仏頂面である。
 ここに来て、自分が護衛に呼ばれた理由も、王族が3人も連れだって歩く理由も、すべてが明らかになったのだから当然だ。つまり彼らは、子どもとゲオルグの再会を、野次馬したくてついて来たのである。何も知らなかった自分が阿呆のようだ。
 しかし、まったく悪びれた様子もなくきょろきょろして、目を離すとどこかへ飛んで行ってしまいそうなリムスレーアや、悪戯の見つかった子どものような顔で始終ちらちらゲオルグの顔を窺っているファルーシュやリオンを見ていると、怒る気も失せてくるのだから困ったものだ。
 腕に抱えた子どもはと言えば、先程まで首ったまにしがみついたまま離すものかとばかりに密着していたのだが、ようやく落ち着いてきたのか少し体を離して、今度はやけに熱心にゲオルグの横顔を見つめている。
 視界に映るそれらを眺めていると、自分ははるばる赤月帝国から、子守のために呼ばれたのだろうかと、一瞬真剣に悩んだくらいである。
「そら、着いたよ」
 王妹が、ほっそりとして長い指で、そこを示した。
 小さな道具屋。
 店先に出ていた一組の夫婦が、一行に向かって頭を下げた。





   Hello, Princess.