元老だか何だかを上手く言いくるめて、正式に女王騎士就任が決まった。
 ファレナ女王国女王アルシュタート陛下との謁見も許された。
 真っ直ぐな目をした王だと思った。女王騎士長や他の女王騎士が見守る前で、ゲオルグは膝をつき、忠誠を誓った。
 その晩こっそり呼び出され向かった先で、「俺の嫁だ」とフェリドに紹介された女は、「アルシュタートです。よろしくお願いしますね」と言って淑やかに微笑った。王にしとくには勿体ないくらい、いい女だと思った。
 それから、公私それぞれで王妹のサイアリーズ、リムスレーア姫を紹介され、王子のファルーシュに到っては公の紹介はないまま「じゃあよろしく」となった。
 腑に落ちない顔をしたゲオルグに、母親似の少年は「この国じゃ王子はこういうものなんだ」と微笑んだ。ファレナは女王国だ。王位継承権は妹のリムスレーアにある。女王にいくら生き写しでも、いや似ているからこそ、ファルーシュの立場は微妙なものなのかもしれない。「じゃあ俺は、フェリドの息子に会っていると思っていても構わんわけだな」と確認すると、嬉しそうに頬を紅潮させて頷いた。「僕はファルーシュ。よろしくお願いします」と、母親と同じことを言ってゲオルグを笑わせた。
 その嬉しそうな笑顔を見ながら、ああアイツもこんなふうに笑えば良いのにと思った。


 結局、赤毛の子どもは小さな道具屋を営む老夫婦の元に引き取られて行った。
 最後まで表情が変わらなかったことが、気がかりだった。
 うまいものを食べても、抱き上げてやっても、夫婦から可愛らしい服を貰っても、ちらりとも笑わなかった。別れを告げて背を向けてからは、一度も振り返らなかったけれども、やはり泣いてはいなかっただろう。あの老夫婦は人が好さそうだった。あの夫婦に愛されて育っていけば、そのうち笑ったり泣いたりすることを覚えていくのだろうか。
 そうだといい、と切実に願う自分をゲオルグは自覚している。
 元気でやっているだろうか。
 まだ別れて何日も経たないと言うのに、気が付くとそんなことを考えている自分に呆れる。
 そのうち会いに行ってやっても良いかもしれない。様子を見に来たとか何とか言って、チーズケーキでも手土産にして。
 そんな計画を立てながら、窓から町を眺めていると、同僚の金髪から(カイルとかいうちゃらんぽらんだ)「ゲオルグ殿って、気が付くと窓の外眺めてますよねえ」と言われた。無自覚だった分、かなりショックだった。
 未練たらしくて我ながら嫌になる。
 自分はこんな人間ではなかったはずだ。昔から淡泊な奴だと言われ続けてきた。
 それがどうだ。
 まるで恋煩いでもしている少年のように、落ち着きがない。(と例えたのはフェリドだ。思い切り足を踏みつけておいた)
 しかし、まあ、それでも。
 時間が解決するだろう、と高をくくっていた。





 ファルーシュ・ファレナスは、食後のゆったりとした時間を、太陽宮の美しい庭園を散歩することに当てていた。
 護衛のリオンが、その一歩後ろをついて歩いている。女王騎士見習いであり幼馴染でもあるリオンは、王子につけられた専属の護衛だ。散歩といえども、並び立つことはしない。
 友と呼べる存在を他に持たないファルーシュは、密かにそれを寂しく思っていた。彼が愛する者はみな彼の前を歩き、その背中で正しい道を示した。親しい人はみな彼の後ろから、彼のことを見守っている。ファレナ王家に、しかも男として生まれたのだから仕方のないことだと、半ば諦めてはいたが。
 そこへ、ふと新しい女王騎士の姿が頭を掠めて、顔を綻ばせた。
 父の古い友人だという彼もまた、ファルーシュの前を、後ろを、行く人だ。しかし少なくとも、彼はまっさらな、公平な目で、ファルーシュという人間を見ていた。それが何よりも、彼には嬉しかったのだった。あの公平な目に、「さすがはフェリドの息子だ」と言わせるような男になりたい。
 そんなことをぼんやり考えながら、ふらふら歩いていると、何やら門の辺りが少々騒がしい。
「なにかあったんでしょうか」
 リオンも首を傾げた。
「行ってみようか」
「はい」
 垣根を避けてくねくねと細い道を歩き、真っ白な石段を登れば、門へは一本道だ。
 門を守る警備士が2人、大きな背中を縮こまらせて困り果てている。
「どうしたの?」
「あ、これは、王子殿下」
 2人はぱっと顔をあげて、ファレナ式の敬礼をする。
 その顔に、「たすかった」とあからさまな安堵が浮かんでいるのを見てとったファルーシュがその訳を尋ねる前に、2人の太い足の間をくぐり抜けて来た者がいた。
「あ、こら! 駄目だって言ってるのに」
 気付いた門兵が慌てて抱き上げた。



「子ども?」
「うん」
 育ち盛りのファルーシュは、甘辛く味付けされた鶏肉を呑み込みながら首肯した。
 夕食の席のことである。
「なんでもここ数日、日に何度もやって来ては、隙あらば中に入ろうとするんだって」
「まあ」
 微笑ましい話に、既に箸を置いた母が目を細めて淑やかに微笑った。
 額に太陽の紋章を宿して以来、母の食は細まるばかりだ。自分の心が不安定であることの自覚もあるうえ、女王としての責、貴族たちとの神経を使う駆け引き等々、気苦労は数えきれない。近頃は顔色も悪い。
 そんな母を、この僅かな団欒の時間に笑わせるのは父と叔母の役目であり、和ませるのはファルーシュと妹の役目だった。
「子どもというと、わらわと同じくらいか?」
 妹、リムスレーアが首を傾げる。
「ううん、もっとうんと小さいよ。3歳か4歳くらいかな」
「そんなに!」
 リムは意志の強そうな眉を八の時にした。
「家族は何をしておるのじゃ」
 優しい子だ、とファルーシュは微笑む。王宮しか知らぬはずのリムが、こうして当たり前に小さな子どもを心配している。それを兄として誇らしく思った。ちらりと見ると、母も同じことを思っているのだろう。自分と同じ水の色をした瞳が、きらきらと優しく輝いている。
「大丈夫。最初の日は家族も門兵も大騒ぎだったらしいけど、今は居所が分かってるから半時とせずに迎えが来るんだって。今日もそれからすぐに、お迎えに若い人が来ていたしね」
「そうか」
 リムはほっと息をついた。
 皿に山と盛ってあった鶏と野菜の甘辛炒めをぺろりと平らげて、今度は魚に手を伸ばす。近頃王子の食欲が旺盛なことを一番によく知っている料理長が、少年の好みそうな味付けを増やしてくれたので、ファルーシュの箸はなかなか止まる暇がない。
「しっかし、なんでまたそんな小さい子が」
 叔母もまた首を傾げた。
 そうなのだ。それがファルーシュにも分からない。
 迷い込んだ、というなら話も分かるのだが、こうも続くということは何か目的があるとしか思えないのだが。
「ファル」
 先程から珍しく沈黙していた父が、ようやく口を開いた。
 口いっぱいに料理を頬張っていたファルーシュは、慌ててそれを飲み下した。ごっくん。
「それはもしや、燃えるような赤毛の女の子じゃなかったか?」
「え、あ、うん」
 思わぬ問いに驚きながらも頷き、印象的なその姿を思い浮かべた。あの容貌は、そう簡単に忘れられるものではない。
「赤毛に、赤い目の、目にも鮮やかな子どもだったよ」
「やはりか」
「なんだい、義兄上。知ってんのかい」
 サイアリーズが喰いつく。
 父は、ううむと唸って、腕を組んだ。何やら少し困っているようだ。母も首を傾げているし、リムも食事の手が止まっている。
 興味津々、さあ話せとばかりの注目を受けて、父は口を開いた。
「実はな」

 かくかく、しかじか。

「というわけなんだ」
「なるほどねえ、ゲオルグ殿の」
 叔母が面白そうに笑う。
「ということは、その子はゲオルグ殿に会いたくて、毎日ここに参っておるのか?」
「そのようだな」
「ま、その子にしてみりゃ、命の恩人みたいなもんだからねえ。当然と言えば当然だね」
「義理堅いことじゃのう」
 リムは感心して溜息をついた。
 確かに、その歳でここまで義理堅い子どもの話は聞いたこともない。
「ゲオルグももう少し落ち着いたら、様子を見に行くつもりのようだし、そうなれば通い癖もおさまるだろう」
 思った以上に懐かれていたらしい友人を、父は声を上げて朗らかに笑った。叔母も、リムも、ファルーシュも、父の豪快な笑い声につられたように笑った。
 そのとき、部屋に満ちた笑い声の間を縫うように、小さな呟きが凛と空気を震わせた。
「それで良いのでしょうか」
 まず、誰よりも早く気付いた夫が、妻を見る。
「アル?」
「…なんだかわらわは、あわれな気がします」
 アルシュタートはぼんやりと遠い目で、傍らの窓へ視線を移した。
 この角度から街は見えなかったが、窓の外には彼女の民のあたたかな生活の灯りと、健やかに眠る子どものために灯りの消えた家々が広がっているはずだ。そのうちの一つに思いを馳せる。
 ゲオルグがそう感じたように、その子もまた彼に運命を見たのだとしたら…。
 そのとき、アルシュタートの頭には、奇妙なほどはっきりとその部屋の様子が浮かんでいた。
 灯りの消えた部屋。窓辺に寄せた小さな寝台の上で、髪の短い赤毛の女の子が膝を抱えて丸くなっている。しだいに重くなる瞼と必死に戦いながら、月明かりに白く輝く太陽宮をじっと見つめている、赤い瞳。
 あそこに あのひとがいる
「まだ大人に甘えて当然の年頃であろうに、ただ会いたいという一心で、誰にも頼らず、たった一人で歩いて来るのです。まだそのように年端のいかぬ子どもにとって、太陽宮への僅かな道程は、どれほど遠く、おそろしく、苦労なことか…。ことばに不自由であるならば、きっと己の置かれた事情も、よく分かっておらぬのでしょう。見知らぬ人と暮さねばならぬ理由も。何度会いに行っても追い返されてしまう理由も。ゲオルグが己を置いて行った理由さえ…」
 大人の勝手な都合で、何にも代えられない唯一の人と会えぬ現実。その理不尽に、ことばどころか、笑顔も涙も知らぬ子どもが、たった一人で立ち向かっている。
 しん、と沈黙が落ちた。
 父は難しい顔をし、叔母はそっと目を伏せた。
 兄さえ恥じ入った顔をしているのを、おろおろと見た妹が慌ただしく口を開いた。
「し、しかし母上。その子は今、優しい老夫婦に引き取られておるのじゃろう? さように案ずるまでもないのではないか?」
「…そうですね。他の、身よりのない子どもたちに比べれば、決して不幸なわけではないでしょう。しかし、幸、不幸は何かと比べて分かるものでもありません。…のう、リム」
「はいなのじゃ」
「リムは、兄上が大好きですね?」
「もちろんなのじゃ! だい、だい、だい、だい、だああーい好きなのじゃ!」
「では、兄上が、何日も、何日もおられないと、リムは寂しいでしょう?」
「…うむ。そんなの、想像するのだっていやじゃ」
「それでは、その会えない間、兄上のように優しくて、兄上のようにリムを大事にしてくれる、兄上のような人がそばにいてくれたならば、もうリムは兄上に会えなくても良いのですか?」
 リムはがばりと顔をあげた。
「そんなことはないのじゃ! 兄上の代わりなど誰にも出来ん! わらわが大好きなのは兄上なのじゃ!」
 いやじゃいやじゃ、と父親譲りの栗色の髪を揺らして首を振る娘を、母は優しく見つめる。その瞳に見つめられて、リムははっと悟った。
「そうか。……うむ、分かった。わらわが心得違いをしておった。会いたい人に会えぬのは、誰にとっても辛いことなんじゃな」
 リムスレーアの、真っ直ぐな曇りない瞳を、正も負もあるがまま受け入れる心を、ファルーシュは眩しく誇らしく思った。今はまだ、貴族は誰も、彼女が内に秘めた大器を知らない。取るに足らない、扱い安い我儘な姫ぐらいにしか思ってはいないだろう。けれど、ファルーシュには強い確信があった。妹はきっと母のような、――否、母さえも超える偉大な王になるだろう。
「ぃよし!」
 サイアリーズが、ぱんッと手を打った。
 軽やかな音に、皆が顔を上げる。
「そこまで言われちゃあ、仕方がない。明日辺りあたしもその子を見て来るよ。それで、そのご夫婦にも会ってみよう。話は全部、それからだろ?」
 重く沈んでいた場の雰囲気が、明るい声にからりと色を変えた。
「…ありがとう、サイア。苦労をかけますね」
 二重の意味を込めて、アルシュタートが言った。
「なあに、どうせ暇を持て余す御身分ですからね。これくらいやっとかなきゃ!」
 王妹ははすっぱに言って肩を竦めてみせると、一同を見回しにやりと笑う。悪戯っぽいその笑みに、まず反応したのはやはり年少組だった。
「それで、誰がついて来るんだい?」
「はい! ぼくも行く! 行きます!」
「わらわも! わらわもその子に会いたいのじゃー!」
 フェリドが声を上げて笑う。
「待て待て、王族ばかりでうろうろするんじゃ不用心だ。護衛に、そうだな……リオンと、」
 にやりと笑う。
「新入りの女王騎士でも連れて行け」





See you again soon.