ふう、と息をついた。
「話は分かった」
 穏健派のバロウズと、強硬派のゴドウィン。そのどちらもよしとせず、真の紋章を宿した女王。二大派閥の板挟みになり、身動きの取れなくなった政。のさばる貴族。腐敗する上層階級。加えて、隣国アーメスの脅威。
 まったく、厄介なところに婿入りしたものだ。
「それで、具体的には何をすれば良いんだ?」
「うむ。とりあえず、うちのファルーシュについてやって欲しい。それが一番警戒されんし、何より自由がきくからな」
「ファルーシュ? …ああ、王子か」
「いや、」
 フェリドが、ゲオルグの見たことのない表情で微笑う。
「俺の息子だ」
「………」
 変わらない人間などいない。
 と、こんなにも早々に、認識を新たにさせられた。
 月日はやはり、この男の上にも等しく流れていたらしい。しかしその変化は厭う必要のないもので、ゲオルグの胸にあたたかく落ちてきた。
 野蛮で粗野で強い男が、一回り大きな器になって父親をやっている。
 それならば、答えは一つだ。
「引き受けた」
「恩にきる」
 杯をがつんとかち合わせて、同時にぐっと煽る。それだけで事足りる。喉が焼けそうに熱い。
 フェリドと出会ったばかりのとき、ゲオルグはまだ少年だった。強くなることにがむしゃらで、まだ酒の味も知らなかった。
 ああ、と吐いた息が年寄り臭くて、流れた月日に2人して苦笑する。
 なんと良い夜だろう。
 前途に漂う不穏な匂いも忘れて、今はただ笑った。

「となれば、その子の身の振り方も、早めに決めてやらなくてはな」
 身の振り方?
 きょとんとしたゲオルグに、フェリドもきょとんとした。
 いい歳した親父が2人、見つめ合っていても何も楽しくはない。
「なんだ?」
「いや……そうか、ああ、うん、…そうだよなあ」
 うんうん、と珍しく狼狽した顔で、慌てて他所を向いた。手の中にまだ杯があることも忘れた様子で、ぶつぶつと口の中で言い訳めいたものを呟く姿は、フェリドから見ても奇怪だ。
 フェリドの提案は、どう考えてもまっとうだ。親元に帰すという道が(まだ完全にではないが)なくなった今、ゲオルグとてそう考えて然るべきだったものを、どうして動揺してしまったのか。
「なんだ、お前。…まさか、育てるつもりなのか?」
「ソダテル!?」
 声が裏返った。
「まさか! 嘘だ! そんなはずはない!!」
「大きい声を出すなっ。子どもが起きるだろう」
 はっと我に返って、ぱくんと口を閉ざした。余程疲れていたのか身動きひとつせず、すよすよとよく眠っているのにホッと息をついて、そんな自分にまたうううと唸った。
 フェリドはふんぞり返って、面白そうにそれを眺めている。
「ずいぶんお熱のようだな。まあ確かに、昔から情には脆かったが」
「…3日、たった3日だぞ? 俺はそんなに甘いヤツじゃなかったはずだ」
「お前も歳をくったということさ」
 いっちょまえに父性愛にでも目覚めたんだろ、と大声を諌めた人間とも思えぬ笑い声を上げた。
 ふせいあい。
 ゲオルグは首を捻る。
 そうじゃない。そうじゃないんだ。無論、それがまったくないとは言わないが、それよりもっと単純に根本的などこかで、この少女は自分と共に在るのだと、思っていたような気がする。
 本当はもっと前から、おかしいとは思っていたのだ。あまり甲斐甲斐しい性格だった覚えはないのに、狭苦しい船室で、高熱に倒れた子どものそばから離れる気が起きなかった。手拭を何度も濡らしては絞って、その額に添えてやった。後ろからぺたぺたとついてくる存在を、厭わしいとは一瞬も思わなかった。慣れないことに困惑しながらも、慕われることをどこか当然と捉えていた気もする。
「運命だと、思ったんだ」
 零れるように、ふと口をついて出た言葉に自分で驚きながら、ああしかしそれが一番しっくりくると、すとんと腑に落ちた。
 紅い睫毛が震えて、瞼が持ち上がり、紅い瞳が現れて、視線が交わった。あの瞬間。
 運命だと。
「うんめい、ねえ」
 空になった瓶を覗き込みながら、フェリドは首を傾げる。
 理解できぬ自分の言動に一応の説明がついたゲオルグは、落ち付きを取り戻して干し肉を食んだ。少し辛いな、と眉を顰める。
「ま、分からんでもないな。俺もアルと出会ったときは、自分に雷が落ちたのかと思った」
「ノロケか」
 口の中の肉片を呑み込んで、自分の荷物を探る。
 確か砂糖菓子を少し持っていたはずだ。ごそごそとしながら、ふと視線を感じて顔を上げると、フェリドが釣り目を大きく見開いて大袈裟に慄いている。
「ゲオルグ…」
「…………」
「…お前……ま、まさか、あんな子どもに」
「違う。俺にそんな趣味はない」
「…冗談だ」
「分かっている」
「………」
「………」
「…お前、ちょっと見ないうちに可愛くなくなったなあ」
「29にもなって、あんたのくだらん冗談で遊ばれてやる義理はないさ」
「つまらん」
「つまるつまらんの話はしてない」
 鼻で笑って、探し当てた甘味を口に放り込む。
 「あんたも食うか?」と袋を差し出すと、変な顔をされた。失礼なやつだ。
「甘いものは良い酒に合う」
「………そうか」
「喰え」
「断る」
 にべもない。
「それで、結局どうするんだ? その随分と可愛らしい運命の女は」
 無理やり話題を戻された気がするが、まあいい。
「そう、だな。まあ、冷静に考えると、女王騎士をやるからには傍に置いてやれんしな。やはり里親を探してやるのが妥当だろうよ」
「そうだな」
 手配しとこう、という申し出をありがたく受けて、話は終わった。
 丁度そこで切り良く、2本目の酒が尽きる。3本目に手を伸ばすフェリドを横目に、すよすよと眠る子どもをそっと抱き上げて寝台に運んだ。
 シーツを肩まで引き上げてやったところで、その安心しきった寝顔に目を奪われる。
 動かないゲオルグをどう思ったのか、背後からフェリドが慰めるように告げた。
「まあ、まだ時間はあるさ」
 いいや、きっとそれは、またたきほどの。







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