「と、いうわけだ」 大体の説明を終えると、旧友は「なんだつまらん」とこぼした。 「つまるつまらんの話はしてない」 「本当にお前の子じゃないのか」 「だから違うと言っているだろう。いったい何を聞いていたんだ?」 忌々しげにぎろりと睨んで、酒を煽った。相手はこわいこわいと笑って、空いたその盃に酒を注ぐ。 安宿の一室。 広大なファレナを治める女王の、ただ一人の夫が、向かいに座って同じ酒を飲んでいる。簡素な服に身を包み、愛刀を傍らに置いた姿は、昔のままの風来坊だ。 変わらないなと呆れてみせたが、正直なところ、変わらぬことが何よりも嬉しかった。 権力は容易に人を変える。 ファレナ女王家に婿入りしたらしいと風の噂で耳にしてから、それをずっと危惧していた。自分の知っているフェリドという男、屈託のないあの戦士とは、もう二度と会えぬのではなかろうかと。「頼みがある。うちに来てくれ」という旨の短い便りを得てからも、その不安は旅路に付きまとっていた。 大体、謁見の間だか何だかに通されて、どう再会を喜べと言うのか。王宮だ。無論、人の目もあるだろうそこで、「おいフェリド」などと言えるわけもない。肩を並べて死線を潜り抜けた戦友に、何と声をかけるべきなのか。そんなことをつらつらと考えていたというのに。 予定より1日遅れて、日の沈みかけた港に着いた。さてどうやって連絡を取ろうかと思案に暮れていたところ、「ゲオルグ!」と懐かしい声がした。 まさかと思って其方を見遣れば、石段にどかっと腰掛けた大柄な男が手を振っている。見慣れぬ髭など蓄えているが、その姿を見紛うはずはない。 「なんだお前! いつの間に子どもなどこさえた!」 十数年ぶりの再会の場で第一声がそれか、とか、他に言うことがあるだろう、とか、女王騎士長がこんなとこで油売ってて良いのか、とか、いつからここで待ってたんだ、とか。様々なセリフが頭を掠めたが、何よりもまず優先したのは。 「俺の子じゃない」 と言いながら、その子を抱え直すことだった。 こんな間抜けな再会もあるまい。変わらない朗らかな笑顔に、まったく杞憂も良いとこだった、と無駄に頭を悩ませた自分がいっそ哀れになってくる。 はああ、と溜息をついて、また酒を舐めた。喉を焼くそれは、カナカンの上物だ。再会の席のためわざわざ用意いたらしい。そう言えば意外にマメなところも変わらぬと、少し微笑う。 「船上に突然あらわれた、ねえ」 肴の干し肉を噛みながら、ふうんとフェリドは首を傾げる。 その視線の先の当人は先程からゲオルグの隣で、大きな骨付き肉と格闘している。あぐあぐ、と齧り付きながら、うまく噛み切れないらしい。 燃えるように紅い髪。そして同じく紅い両の瞳。 一度見たら忘れられない、印象的な容姿を持つ子だ。 「なあ、ぼうず。お前どこから来たんだ?」 ようやく食い千切った肉片を咀嚼しながら、子どもはフェリドを見上げる。 色のせいなのか、その瞳に見つめられると、射貫かれているような錯覚を覚える。 そのままフェリドは辛抱強く待っていたが、ごくん、と口の中のそれを呑み込んだ途端、子どもの視線は手中のごちそうへと戻ってしまった。 無視された、と肩を落とした男をくつくつと笑いながら、「いや、」と否定の言葉を紡ぐ。 「どうやら、ことばが不自由らしい」 左手を伸ばして、小さな頭をくしゃりと撫でる。 ちょうどゲオルグのように短い赤毛が、掌にやわらかく心地良い。 今度は視線を彼に移して、そのままやはりあぐあぐと噛んでいる。 「笑いも泣きもしないんでな、何を考えているのかよく分からんが、とりあえず懐かれてはいるらしい」 薬が効いたのか、高熱は半日ほどで落ち着き、その後半日、昏々と寝ていた。看病したのが何か琴線に触れたのか、動けるようになってからは、とにかくゲオルグから離れようとしない。ちょっとでも移動しようものなら、雛鳥よろしくぺたぺたぺたぺたついてくる。 かわいくていいじゃありませんか、と船長は手を叩いて笑っていたが、こういった経験に乏しい彼は少々戸惑い気味だ。 だが、まあ、満更でもない。 「一応調べては見るが、……たぶん」 「分かっている」 届けはおそらく出ていないだろう。 事情は分からないが、親元で愛されて生きてきた子とは思えない。 上下がつなぎになった灰色の服は、小さな子どもに似つかわしくない。「囚人服」という単語が頭を掠めて、眉を顰めた。 「赤毛、赤目の男児、か。…ファレナでは見かけない色彩だ。もしかしたら外から来たのかもしれん」 「そうか」 それではますます、身元の確認は難しい。 暗い雰囲気を振り切るように、くしゃくしゃと撫でまわして手を離す。ふと思い出して、「ああ」と声を上げた。 「そうだ、フェリド。こいつ、男児ではないぞ」 「あ?」 「女児だ」 ションベンさせようとして、俺もびびった。 「……はあああ!?」 突然の大声に、子どもがきょとんと動きを止めた。 ゲオルグも、予想以上の反応に目を瞬かせた。 「何もそんなに驚くことはないだろう」 「しかしなあ! …ああ、いや、…そうだな。うん」 はっと我に帰ると、乗り出した身を椅子に沈め直して、ふうと力を抜く。がしがしと頭を掻いて、ばつが悪そうに笑った。 「いや、悪い。…思った以上に俺も染まっているらしい」 「うん?」 「話せば長くなるから簡単に言うが、この国じゃな、女は基本、髪を伸ばすものなんだ。最近の若い連中じゃ、思い切りの良く短髪にするのもいるらしいが、それでもやはりあまり見ないな」 「ほう」 そう言われれば、こちらに来てから見ていない。 「男も伸ばすやつは多いぞ。女王騎士も、伸ばして結うのが伝統になってるくらいだ」 「あんたは伸ばしてないじゃないか」 「……伸ばしてたんだ、最初のうちは。しかし盛大に跳ね回るもんで、やたらと朝時間をとられて難儀した。不器用だから自分じゃ結えんしな。嫁さんと相談して、結局これぐらいの長さに留めることにしたのさ」 あんたらしい話だと声を上げて笑った。 しかし、そうすると、やはりこの子はファレナの民ではないのだろう。ばっさりと、意図的に短く切られているのが毛先で分かる。余程の不器用が切ったのか、それとも見た目にこだわらなかったのか、不揃いも良いところだ。 「…そのうち伸びるさ」 慰めるように呟いたセリフに、我ながら驚く。 思った以上に情が移っているらしい。 「そうだな」 娘がいるからか、友は父親の顔でしんみりと同意した。 当の本人は話を分かっているのかいないのか、とうとう骨ばかりになったそれを、あぐあぐと名残惜しげに噛んでいた。 それから他愛ない近況を話して、ゆるやかに時間が流れた。 肴を食むときや、酒を舐める合い間に、ふと優しく沈黙が落ちる。 ささやかな燭台の灯りが、ゆらゆらと部屋を照らし、階下の酒場から陽気な喧騒が遠く聞こえた。赤毛の子は、いつの間にか丸くなって寝ている。 心地よい静寂に、ゲオルグは微笑んだ。 気兼ねせずにすむ部屋。上等の酒と肴。雑音と静寂。対等の目線。変わらない掛け合い。 フェリドという男はまったく、自分が望むものをよく心得ている。危惧も不安も見透かしてのことだろう。気をつけ過ぎぬようによく気をつけて、うまく整えられた再会の場。してやられたと思いながらも、感謝も覚える。 だから、そう、仕方がない。 仕方がないから、その思惑に乗ってやろう。 返さねばならぬ命の恩も、未だ此処には残っている。 「それで」 手酌で杯を満たす。 空気が変わる。 こういう察しの良いところも、昔から変わらないこの男の美点の一つだと思う。 「なぜ俺を呼んだ」 その、一瞬。 群島が生んだ大らかなその目の奥に、静かな厳しさが走ったのを、見た。 「女王騎士に、なってはくれないか」 |
Long time no see!