しまったーー! うっかり倒れてしもうたーー!!
 セブルスに怒られるーー!
 目覚めたが自分の状況を把握した後、一番に思ったのがそれだった。
 先程まで庭に居たような気がする――実はその辺りからの記憶がちょっと曖昧だ――のだが、気が付くとベッドの中にいた。心配そうに自分を覗き込んでいたロンとハリーから、簡単な事情を聞いた。奇声を上げて庭小人をぶんぶん振り回していたところ、突然ばったりいったらしい。人づてに聞くと、我ながらかなりの変人だ。なんかほら、朦朧としてたんだもん、仕方ないじゃん。とか自分で自分に言い訳してみる。
 しかし、突然ぶっ倒れて気が付くとベッドの中、ということは自分に限っては(悲しいことに)珍しいことでもなかったから、あまり動揺していない。寝てりゃ治る、ぐらいの暢気な気持ちで布団を被っていたところ、はたとあることに気づく。
 まさか。
「モ、モリー! モリーさま!」
「どうしたの?」
 冷やしたタオルを絞りながら、モリーが振り返る。
 の剣幕に、モリーのそばをウロウロしていたハリーも首を捻った。
「お願いだからこのことは、ダンブルドアにはひみ」
「ああそのこと! それなら大丈夫よ。さっきエロールに手紙を渡して…ああエロールっていうのはウチの梟のことよ年寄りだからスピードは褒められたものじゃないけどね、仕事はまだまだ立派に果たしてくれますよ。そうねえ、そろそろ着いたんじゃないかしら」
 手遅れか!
 秘密にしてね、という言葉を遮って知らされた情報は、ほとんど処刑宣告に等しい。
 あああああヤバイこれはヤバイ。マジでヤバイ。
 ダンブルドアに知られたということは、かなりの確率でヤツにも連絡が…!
、どうかしたの?」
「なんかさっきより顔色悪くなってる気が…」
 彼女の両脇を固めるようにした双子が顔を見合わせ、同じタイミングで首を傾げる。その様は意味もなく笑いを誘う微笑ましいものだったが、今はそれにツッコム余裕もない。
「おかあさーん、おきゃくさまー!」
 ひい!
 階下から聞こえてきたジニーの声に震えあがる。“お客様”がダンブルドアオンリーであればどれだけいいか!
 モリーがいそいそと降りて行く足音に重なって、バタバタと慌ただしく駆け上がって来た足音の主は、ロンだった。彼の表情に、は最悪の事態を確信した。
「ハリーッ、大変だ! 隠れろ!」
「は?」
「ダンブルドアと、スネイプが来た!」
 ザアッと血の気の引く音を発したのは、とハリーのどちらが早かっただろう。どちらにしろ、2人はそれを聞いた。
 先に立ち直ったのは勿論ハリーだった。彼は驚くべき速さで部屋を飛び出し、細い廊下を飛ぶように駆けた。バタン!と扉を閉めた大きな音が響く。おそらくはロンの部屋に隠れたのだろう。賢明だ。もしかしたら、念には念を入れて透明マントも被っているかもしれない。
 しかしに、隠れる場所などない。ベッドから這い出す力もない。
「なんでハリーはあんなに慌ててるんだ?」
「家出してきたようなもんだからな。見つかっちゃまずいんだろ」
「なーる…。あー、特にスネイプなんかに見つかったら、難癖つけられて送り返されそうだもんな」
「つーかなんでスネイプが来るわけ?」
「さあ…」
 フレッドとジョージは、やはり同じように首を傾げる。
 ぎし、ぎし。
 一歩一歩、確実に近づいてくる3人分の足音。先頭はモリー。次はダンブルドア。そしてその後ろに続くそれを、はよく知っている。
 がちゃり。
。ほら、ダンブルドア先生と、スネイプ先生が来てくださったわよ」
 朗らかに笑うモリーの後ろには、確かにその2人の姿があった。
 上半身を起こした状態で恐怖と緊張に硬直していたは、最後尾のその顔を見る。
 眉間に寄せた皺。真一文字に結んだ唇。彼女をひたりと見据えて、すっと細められた目。その表情たるや、凶悪と言って差支えない。
 双子も思わず凍りつく。しかし、はその顔を見て視線を合わせた途端、一気に全身から力を抜いた。恐怖の根源は確かに彼だったのに、実際スネイプを見るや否や、へにゃりと笑いさえした。
「…、何にやけてんの?」
 フレッドが気味悪そうに小声で尋ねる。
「えーー。ふっふふーなんででしょぉーー」
「きもい!」
 ジョージがうっかり本音を漏らした。
 しかしそれにも関わらず、やはり彼女は一人へらへらと上機嫌に笑っている。
、モリーに突然倒れたと聞いたが、気分はどうかね?」
 ダンブルドアが穏やかに尋ねる。その足元からするりと姿を現した黒猫が、滑らかな動きでベッドに飛び乗った。
「平気です」
 心配そうな顔で擦り寄る彼女を撫でながら朗らかに答えると、背後の凶悪面が更に険悪になる。そんな顔すんなって。
「モリー、彼女に何か、薬や魔法を使ったかね?」
「いいえ、校長先生。は事故にあったばかりだから、そういうものは避けるようにって仰ってたでしょう? だから、本当はうちの特製魔法薬を飲ませてあげたかったんですけど、その前にご連絡したんです」
「ありがとう、モリー」
 ダンブルドアは例の如く青空のような目をきらきらさせて、礼儀正しく礼を言った。
 なるほど。にまにまと笑う頬を両手でほぐしながら、は納得する。確かにあの“事故”以来、の体や体質がどう変わってしまっているか分からない。だから安易に魔法関係のものを摂取しないよう、ダンブルドアが取り計らってくれていたらしい。連絡が素早かったのもそのせいか。
 と、ジョージが恐る恐る挙手する。
「あのー」
「ん? 何じゃね?」
「なんでスネイプ、先生が…?」
 あ。そこ突っ込むんだ。ジョージは勇者だなー。
 のほほんとが見守っていると、にぴたりと焦点を当てたまま動かなかったスネイプの目が、冷たく彼に一瞥をくれる。
「私の専門は薬学だ、多少の医術は心得ている。連絡が来た時分に“たまたま”校長と仕事していたせいで駆り出された。何か問題があるかね」
「ありません」
 ジョージが縮こまる。
 こらこらこらこら無関係な子どもを怖がらせるんじゃない。しかもあんたの生徒だろ。と思ったが口にはしない。代わりににやにやと笑う。彼が教師としてどんな“役”をしているのか、その片鱗を見て少しだけ可笑しかった。とりあえず、すごく悪そうなのは間違いない。
「それじゃあセブルス、診察を任せてもいいかのう?」
「もとよりそのおつもりでしょう」
「それじゃあわしとモリーは下で待っていよう」
 ダンブルドアはちらりとスネイプに目配せすると、その場に残りたそうにする世話焼きなモリーの肩に手を置いて、穏やかに階下へ促す。それを見遣って、残されたスネイプはぎろりと子どもたちを見下ろした。
「診察の邪魔だ。貴様らも出て行け」
 言い放つ声は冷たい。
「えー、俺達も、その、診察に興味があるといいますか」
「今後の魔法薬学の参考に」
「実際こういうのを目にするのは勉強になるし」
の具合も気になるし心配だし」
「妙齢の男女が密室にふたりっきりってのはちょっと」
「精神衛生上よろしくないような気が」
 最後のが本音らしい。
 真一文字に結ばれていた唇が、笑みの形に歪む。目が笑ってない分、かなり怖い。
「今すぐ、出て行け」
 2人は黙って出て行った。とスネイプを交互に見上げていたも、何を思ったか何も言わずにやはり部屋を出て行った。
 部屋を沈黙が支配する。
 スネイプの顔からは笑みが消え元の凶悪面に戻っている。は相変わらずへらへら笑って、そんな彼を見上げていた。
 スネイプが先に口を開いた。
「この希代のマゾヒストが」
「第一声がそれ!?」
 あんたはどこのサディストだ。
「何だってお前はいつもいつも自分で自分を痛めつけてぶっ倒れるんだ。いい加減ぶっとばすぞ…」
「いやーー好きで痛めつけてるワケじゃないんだけどねー」
「ぶっとばすぞ」
「ゴメンナサイ」
 何かを昇華するように一つ溜息をつくと、スネイプは上体を起こしたの額に手を当て、そのまま少し力を加えて枕に彼女の頭を押し付けた。寝ろ、ということらしい。
 無言の命令に大人しく従って布団を被ったのに、眉間の皺がまた深くなる。
「熱があるな」
「ありますか」
「ないと思ったのか」
「ありますよね」
「…いくつか質問がある。一応言っておくが正直に答えろ。でないと診察にならん。少しでも痩せ我慢なんぞしてみろ、問答無用で精神科に入院させてやる」
「アイ・サー」
 おどけて答えると、ギロリと睨まれた。
 こんな視線を容赦なく子どもたちに浴びせているのかと思うと、生徒たちが哀れに思えてくる。特にグリフィンドール。これは確実にベイルダム先生を超えるな。
「痛むところは」
「アタマ痛い」
「どれくらい?」
「平気だよー」
「ど、れ、く、ら、い」
「…内側から小人さんにガンガン殴られてる感じ?」
「………」
「すいません真面目に答えます」
「…眩暈は」
「する」
「吐き気は」
「…ちょっと」
「ちょっと?」
「えっと、…かなり?」
「疑問形になるな」
「あと、ちょっと手がしびれる、かな。指の先んとこがぴりぴりする」
 ふん、ともふむ、ともつかないような相槌を打って、の手を握る。親指から順番にぎゅっと押す。
「感覚はあるか」
「うん」
「こっちは」
「ある」
 その後も握ったり開いたりさせられ、握力なども丹念に調べられる。確かめるように手の平をなぞり、自分の指先をいじる彼の手は、大きくてひんやりとしている。ぼんやりとそれを眺めながら、なんだか部屋が暑いなあと思った。夏なのにこんな布団を被っているせいかもしれない。
 改めて熱を測り、脈をとられる。それから杖を取り出し、「ルーモス」と唱えた。杖の先に小さく光が灯る。
 瞼を指で押さえて顔を覗き込み、光を当てて左右に振る。瞳孔の収縮を見ているのだろう。まるで本当の医者みたいだ、と小さく笑うと至近距離でまた睨まれた。こわいこわい。目を覗き込んでいたスネイプが、ふと怪訝そうに顔を顰める。
「どした?」
「…いや」
 別に、と首を振って、同時に光を消す。
 体を離して、を眺めながら口元に手を当てる。
 思考を巡らせるときの、もよく知った彼の癖。そういう仕草が自分をどれだけ安心させるか彼は知るまい。目を細めて、大人になった彼の姿に少年の面影を探す。
「症状は…過労、に似てるな。魔力を制御出来ない幼児などが、まれにそういった症状を訴えることがある。魔力切れ…、いや、巫力切れといったところか」
「…あー…つまり…」
「無理のしすぎだ阿呆。身の程を知れ」
「スミマセン」
 簡単に口にされる重みのない謝罪に、スネイプの目がまた冷たくなる。
「………」
「睨むなヨー、大丈夫だヨー。もー無理しないヨー、今回ので懲りたヨーー」
「お前の“大丈夫”は昔から信用ならんのだ」
「ひでー」
「………」
「怒んないでヨー。顔こわいヨー」
「…まったく」
 いつまでたっても真剣にならない馬鹿を見下ろし、はああとやはりまた溜息をついた。
 とりあえず一般的な疲労回復剤を、効果の強さをいくつかに分けて作ろう。弱い方から少しずつ試していって、魔法効果を受けにくい体質がどれだけ変わったか見てみるしかない。とにかく、特殊な力への拒否反応やら反動やらなどという、深刻なものでなかったことに安堵する。
 ふと目についたタオルと水桶を気紛れに手繰り寄せ、きつく絞って阿呆の額に乗せてやる。
 鼻から上だけを布団から覗かせて、はまたにへーーーと笑った。
「…さっきから何をにやにや笑ってるんだ気持ち悪い」
「いやー別にぃー?」
「…お前な」
「そんなコワイ顔してたら、ますます子どもに怖がられちゃうよー」
「別に構わん」
「そこは構えよコラそこの教師」
 もとからおかしい奴だったが、えへへだかひひひだか絶えず笑っている様子がますますおかしい。
「…何がそんなに楽しいんだ」
「んふふー…べっつにぃー?」
 間延びした言い方が少々癇に障る。
「ついに頭に虫が湧いたか? それとも新しい症状か? 阿呆過ぎてワライダケでも喰ったのか?」
「いやさァ、だってさァー」
 目を細めて笑う。
 昔からこの女は笑い方が少しも変わらない。蘇る記憶に、スネイプも思わず目を細めた。
「心配してもらえるって、いいなーって思って」
 怒るだろうと思っていた。自己管理が甘いとか、これだからお前はと説教されることを思って縮こまっていた。
 それなのに彼を見た瞬間思わず笑ってしまったのは、心配したじゃないかこの馬鹿野郎、と顔に書かれていたからだ。怒っているようにしか見えなくても、どんなにそれが凶悪でも、そこには怒りなんて本当は一片もなかった。ダンブルドアの肩越しに見えたその顔は、校長に呼び出されてやって来た怒れる薬学教師ではなく、ただただ心配で駆けつけて来た友人の顔だった。
 それが本当に、嬉しかった。
「…馬鹿者」
「馬鹿でいいもん」
「お前にはほとほと呆れ果てた」
「呆れられたっていいもん」
 呆れたって友だちはやめてあげないんだから。布団の下でもごもごと言う。
 重くなり始めたらしい瞼を見遣って、低い声に穏やかさと静けさが加わる。
「もう寝ろ」
「…やだ」
 必死で眠るまいと瞬きするを、スネイプはまた眉を寄せて見下ろす。怒ってるようにしか見えなくても、これは困った顔だとには分かる。
「わたしが寝たら、薬作りに行くんでしょー」
「ああ」
「………」
「…なんだ」
「ううん、別に」
 不自然に目を泳がせて否定するから、黙って待った。待たれていることに気づいたが、ますます深く布団に潜り込みながらもそもそと白状する。
「…帰っちゃうんだなー、って、思ったり、して」
 そりゃあ、帰らなくては材料がない。道具もない。
 困り果てているスネイプを、布団の下からじっと見つめる。
「…お前、言ってて恥ずかしくないか?」
「…かなり」
「………」
「………」
 はあ、と溜息をついて、その視線に耐え切れなくなったようにスネイプが手を伸ばす。
 心細そうに瞬かせるの両目を片手で覆って、低音のそれでもう一度言う。
「寝ろ。すぐ戻る」
「…うん」
「…起きても、消えやせん。寝てろ」
「…うん」
 見透かされてしまった不安に少しだけ笑いながら、大人しく身体から力を抜く。
 視界を覆う手の平が冷たくて気持ちいい。瞬く間に意識を奪っていく睡魔にゆったりと身をまかせながら、最後にそっと囁いた。
「おやすみ」
 ああ、と優しい返事が闇の向こうで聞こえたような気がした。















2008/11/14