何も言えないと言って深く頭を下げたに、ハリーは黙って一冊の冊子を手渡した。
 ハリーの了解を得て、幅広で分厚い硬めの表紙を開く。

 燃えるような髪を揺らして、大きく大きく手を振る笑顔のリリー。
 その肩を抱いて、朗らかに、高らかに、笑っているジェームズ。
 馬鹿笑いしながらピーターの頭を小突いたりぐしゃぐしゃに掻き混ぜているシリウス。
 シリウスに叩かれた肩を痛そうに擦りながら、苦笑いして控えめに手を振るピーター。
 ピーターを叩いたシリウスの膝裏に容赦ないローキックをかまし、こちらに向かってウインクを投げるリーマス。
 そしてそんな友人たちの輪の真ん中で、ウルトラマンポーズを取ったり、変な顔をしたりと、おどけている
 全員の胸には獅子のエンブレムと、金と赤のネクタイが輝いていた。
 変わらないみんなの笑顔。
 ページを捲っても捲っても、彼らがフレームの中で微笑んでいる。こちらに向かって手を振っている。声を上げて笑い、手を打って笑い、歩き回り駆け回り、仲良く身を寄せ合っている。

 だいすきだよ。

 フレームの向こうからそんな声が聞こえてくるようで、は零れそうな涙を零してしまう前に拭った。
 確かにそこに友情はあったのだという確信が胸に湧く。
 脆いものだったかもしれない。気付かなかっただけで、本当はとても薄っぺらで、つつけば壊れてしまう程度のものだったのかもしれない。
 それでも、確かに。
 確かに温かかったのだ。其処は。

「わたしのこと、知ってたんだね」

 名残惜しい気持ちに心地よささえ感じながら、そのアルバムを静かに閉じて、彼らの愛し子の手に返す。
 ハリーはひどく困った顔をしていた。
 ジェームズによく似ているけれど、リリーの目をしているし、自信と過信の塊のようだった彼は滅多にそんな顔はしなかった。どんなに彼に似ていてもまったくの別人であることを意識して、微笑んだ。彼らの可愛い一人息子は、確かな個人を確立しているのだ。

「これ、ハグリットがくれたんです。お父さんとお母さんの昔の友だちに手紙を出して、その人たちに送ってもらったって言ってました」
「そっか」
「……あなたが、います。両親とは…その…」
「うん。同級生だった」

 今更嘘をついても仕方ない。
 は素直に頷いた。

 狭いロンの部屋で、2人はベッドに並んで腰をかけていた。
 ロンの部屋はクィディッチのグッズだらけで、がいくらか手伝ってあげた学校の課題が散らかっている。
 隣のハリーはこの状況が落ち着かないのか、足をもじもじしたり、爪の汚れを気にするフリをしてみたりと忙しい。が泣きそうになっていたときは、突然ポスターの選手にひどく注意をひかれたふりさえしてみせた。なんというか、微笑ましい。

「誰にも話さないって約束してくれる?」
「はい」
「ロンにも、他の友だちにも?」
「……はい」
「ダンブルドアにも?」
「え! と…そのう…」

 彼に隠す必要があるほどの話なのかと、緊張した顔をする。

「いや、ダンブルドアは全部知ってるんだけどね、ハリーの覚悟を教えて欲しいの。ダンブルドアほどの絶対に信頼できる立派な人にさえ漏らさないと約束してくれるなら。どんなに親しい人にも教えたりしないと誓ってくれるなら、少しだけは話してあげられる。そして…」

 アルバムを指差した。

「そこにあるわたしの写ってる写真を、できればわたしに預けておいて欲しい」

 ハリーは目を丸くして、それからぎゅっとアルバムを抱き締めた。
 今やこの子にとってその冊子は両親の笑顔を見る唯一の手段なのだ。そのほぼ半分を寄越せと言っているのだから、罪悪感を覚えないわけではない。
 それでも。

「お願いハリー。わたしが誰なのか分かると、すごくたくさんの人に迷惑かけちゃうんだ」

 ハリーの中で、持ち前の強い好奇心と秘密の情報への対価が戦っていた。
 しかし然程時間が経たないうちに、あっけなくその戦いの決着はついてしまうことになる。
 真剣な顔で考え込んでいた彼は、しかめっつらの顔をあげ、首肯したのだ。
 彼の強い好奇心は、何にも勝るものだった。
 諦めにもにた思いでもってそれを眺めていたは、その顔に確かに彼の両親の面影を見た。好奇心の強いジェームズと好奇心の強いリリーの子どもが、こうなるのは至極当然のことだったから。








「宇宙の果てまで飛んでいけえぇーーーー!!」

 絶叫して小人を投げる人の背中を、ハリーは疲れた顔で眺めている。
 あんな人が両親の親友だなんて、という心の呟きに答えてくれる声はない。
 早くに亡くしてしまった両親に憧れと尊敬を抱く幼い彼に、君の男親だったらたぶん彼女より楽しそうにかつもっと酷い方法で小人を追い払っただろうよ、と残酷な真実を教えてくれる人も、幸か不幸かいなかった。

「いやー、今日も掛け声の派手さのわりにはあんまり飛ばないなあ、ノア」

 傍らに立っているフレッドが、腰に手を当てて呆れたようにに言う。

「うん。だめだめな飛距離だね」

 胴体着陸した庭小人の行方を生温かい目で見守っていたジョージが答えた。
 あの人はあんなに真剣な顔もできて、あんなに綺麗な色の目をしていて、静かに話すととても魅力的なのに、どうしてこうも頭の悪そうなことばかり好んでやるんだろう。ハリーは笑った。でもそれがとてもらしくて、そんなあの人が自分はいつの間にかとても好きだ。

「消える魔球!!」

 消えてないけど。

「消えろ魔球!!」

 消えないと思うけど。

「バーイバーイキーーーーン!!」

 何の呪文。

「それでは皆さん、まったらーいしゅーうーー!!」

 そんなに庭小人と再会したいのか。
 ああ、もう、なんていうか。
 両親の友だちとか、年上とか年下とか、そういうの全然関係なしに。

「おもしろいよね」

 そんなハリーの満面の笑顔を目撃したロンが、背筋を這い登ってきた寒気と恐怖に慄いていた。
 あの笑顔が親友の顔に浮かんだとき、碌なことが起こったためしがない。
 恥ずかしがって今も部屋に篭りっきりのジニーに一度見せてやりたい。そしたら目が覚めるかもしれない。彼女はけっこうアタマがイイから。

(…ほんと、何もなきゃいいんだけど)

 ハリーは考えていた。
 結局について教えてもらえたのはほんの少しだった。
 両親とは同級生で、特に母とは同室だったこともあり仲が良かったこと。
 ハリーが生まれた年、ヴォルデモート陣営に襲われ、その際“ある魔法道具”の誤作動で未来に飛ばされてしまったこと。
 そのため今まで死んだと思われていたこと。
 生きていたことが分かると誰に狙われるか分からないため、今は名前も明かせないこと。
 本名は、だということ。
 話せることをゆっくりと選んで、ゆっくりと話してくれた。そのおかげで、信じられないようなこと――だってつまりそれは、タイムスリップしたってことで、なんだか映画みたいだと思った――も上手く呑み込めたし、頭の中に渦巻いていた疑問の嵐も取りあえず大人しくなってくれた。
 最後には、絶対に誰にも言わないでくれと念を押した。
 本当に心底すまなそうにして、お願いしますと頭を下げるから、断ることはできなかった。
 ありがとうと言って、にっこりと笑った顔には、ちょっとどきっとした。不覚だ。あんな人に…なんで…不覚だ。

「ガキどもー! 何をボサッとしとるかー! お前らもこの子たちを放り投げるんじゃ、あの夕日の向こうへ!」

 あんな人に…!

「僕はもういいよ、なんか疲れちゃったし」
「うん、全部が投げていいよ」
「気にしないで」
「そう?」

 ぶんぶん腕を振り回しながら、にこにこと彼女は笑う。
 オレンジ色の日の光を浴びて、黒い髪も艶やかに染まった。夕日よりもずっと紅い目が笑顔に合わせて細められて、ハリーは今度こそ素直に、きれいな笑い方をする人だと思った。
 そしては。

「じゃー、遠慮な…く……っ……」

 ド  サ

「…え」
「え」
!?」
ーッ!?」

 倒れた。
 膝をついたかと思うとうつ伏せに倒れ、慌てて走り寄ると気を失っていた。
 なんなんだこの人。




















2006/12/01

 うをい。
 だいじょぶか、こんなんで。
 姐はなにしてんだ、って話ですがそれは次回明らかに。