開いた口が塞がらないとはこのことだ。 「じゃあね、!」 「ぜぇったいママには秘密だぜ!」 「行ってきまーす」 夜の闇に消える3人を、呆然とした間抜けな顔のまま見送る。 “家をちょっと抜け出す計画”とは聞いていたが、まさか空飛ぶ車に乗っていくなんて違法スレスレの大冒険とは思わなかった。フォード・なんたらとかいう車らしいが、アーサーが魔法を仕掛けたのだろうか。…彼ならやりかねない。さすがあの双子の父、といったところか。 どうして男の子って不可解な生き物はああも無茶をするのが好きなのだろう。あるときは無自覚にまたあるときは故意にそれを招いて、怯むことなく飛び込んでいく。女の子はそれを見守ることしか許されていないのに。 「…心配だなあ」 今更だけれど、彼らを止めようとしなかったことへの後悔がじわじわと心臓を締め付けた。 大人としては叱ってやらなければならない場面だと分かってはいたが、好きにやらせてあげたいという自分の気持ちが勝ってしまった。大人になれば出来なくなってしまうことならばと思ってしまうこの身勝手を、エゴ以外の何ものでもないものを、どう処理すべきなのかがまだ分からない。これから見つけていけるだろうか。 ごめんね、と誰にともなく心の中で呟く。 「何もないといいんだけど」 マグルに見られるぐらいならまだいい。誤って墜落したり不注意でどこかに車体をぶつけたりして、怪我などつくってこないだろうか。治る怪我ならまだましだけれど、まさか。まさか。 悪い想像ばかりしてしまう自分に顔を顰める。やっぱり、無理にでも引き止めるべきだったと、激しい後悔と自己嫌悪に陥りながら溜息をついた。 「」 猫の姿のが、物陰からするりと姿を現す。 闇夜を身に纏い輪郭ははっきりしないが、神秘的な目だけが煌々と輝いている。 「本当に行くのかい?」 「うん」 主の返事を聞き届けると、は目を閉じる。 むくむくと漆黒の体躯が膨れ上がり、気がつけば彼女は大型の獣へと姿を変えている。長く突き出た牙が白くぼんやりと見えた。 「お乗りよ。少し遠くまで行くからね」 「どれくらいかかる? あの子たちが帰るまでには戻らないと…」 「なァに、ほんのひとっ走りさ」 おそるおそる彼女の背に跨ると、「もっとしっかり掴まりな!」と小声だが鋭く叱責される。慌ててぎゅっとしがみ付くと同時、は滑らかな動きで地を蹴っていた。 始めこそ自転車とさほど変わらなかったが、少しずつ速度は増してやがて今まで体感したことのない世界へ突入した。 びゅんびゅんと景色が変わっていく。 風が唸る。 髪が踊る。 美しい毛並みに顔を埋めて、リズミカルな彼女の動きにだけ意識を傾けていた。 おそらく今のなら、電車さえも軽く追い越して行けるのだろう。背に跨っているだけの自分が後方に吹き飛ばされることもなく無事なのが何故なのかは分からない。 重くないのかと最初は心配だったが、聞かなくてよかったかもしれない。きっと愚問だと鼻で笑われただろう。それほどに彼女の歩みはしなやかで力強い。 やがて、電車がスピードを緩めたことを知るのと似た感覚を覚えて、目的地が近いことを悟る。 誰にも迷惑をかけない場所で、誰の目にも触れることなく、確かめなければならないことがあった。 己のうちに眠る、言霊の力。 その使い方と性質、そして限界。 この力と一生付き合っていかねばならないのなら、当然把握いておくべき最低限のことをは早いのうちに確認しておきたい。 理由のないこの不吉な予感を払拭するためにも。 淡々と報告している間、じっと目を閉じて耳を傾けている目の前の上司の様子を、そっと観察する。 相変わらず風変わりな服装だが、いつもよりはいくらか地味な気がする。長いマントの裾と自慢の靴には渇いた泥がこびりついていて、ここにくる直前までぬかるんだ道を歩き回っていたようだ。机の上で組んだ手の指先は、親指と人差し指だけ汚れている。それに加えてどこか疲れた表情を見れば、それらの理由は何となく想像がつく。 おそらくは昨年我が親友に取り憑いてホグワーツに侵入し、そしてまた姿をくらました『彼』の行方を捜しているのだ。 元教え子を始末するために奔走するというのは、一体どんな気分なのだろう。想像しようとして…やめた。自分は彼のように生徒を愛したことはない。生徒だからという単純な理由で、大勢の子どもたちを我が子のように愛せるほど偉大ではない。彼の心境など分かるはずもなく、理解しようとする行為でさえ侮辱に等しい気がした。 「そうか…」 疲れた顔が安堵した笑顔に変わるのを、もろに直視してしまった。瞬間湧き上がった形容しがたい気持ち。数年前なら慌てて彼から目を背けたかもしれないが、今はもう平静を保てる。 自分が見ていいものではないはずだったが、人の弱さを受け止めるのを躊躇うような、そんな下らない罪悪感は要らない。 「彼女が職に就きたいとな……そうか…そうか…」 喜びを含んだ独り言は小さく震えていた。 いつからか、彼は時折自分に弱さを見せるようになった。偉大だ世界一だと賞賛される、茶目っ気たっぷりで愉快な老人。その賞賛も姿も決して嘘ではないのに、真実でもないことを知ってしまった。その影に潜む大きな後悔と悲しみと怒り。帝王にさえ負けない大きな闇を、彼はたった一人で背負っていた。 彼とて一人の人間であることを、最近になってようやく理解した。伝記には記されていない部分の彼の人生に、初めて思いを馳せた。どんな家族がいたのか、どんな友人がいたのか、どんな恋人がいたのか、どんな愛があったのか、どんな失敗があったのか、どんな罪があったのか、どんな喜びがあったのか、どんな悲しみがあったのか。 和やかな笑みを浮かべて、冷めてしまった紅茶を口に運ぶ老人を見る。 何故彼は、自分のような人間にそれを見せようとするのだろう。 ……いや、理由なら本当は分かっている。 「のう、セブルス」 風変わりな眼鏡の向こうの青空を切り取ったような目に、揺るぎない信頼が浮かんでいる。 信頼。 それこそが全ての、絶対唯一の理由で。 「はちゃんと笑っておったかのう。本当に……心から?」 その、過ぎるほど単純で、しかし大きな意味のあるものに答える方法を、自分は一つしか知らない。 それはときに我が身を苦しめ破滅へと追いやるものと分かっているけれど、答えずにはいられないのだ。既にその心地よい青空の光に、己の人生は絡め取られている。それならば、それでいい。 「心からかどうかは知りません」 しかし、と付け加えて続ける。 目に浮かぶあの馬鹿の笑顔。へらり、とどこか気の抜けた笑み。 「私は嘘なら分かります」 あいつの嘘だけは気付く自信がある。その心配はしないでいいと、伝えれば老人は笑った。 「…良かった」 ダンブルドアは祈るように合わせた拳を額に当てて俯いた。 「本当に…良かった…!」 老いた頬に転がった涙には気付かなかったふりをして、紅茶を温めなおすために席を立つ。 慰める言葉や行為は得手ではなかったし、彼もまさか自分にそれを望んでいるわけではないだろう。 彼がどんなに愛を説こうが正義を語ろうが、時代の大きな渦に呑まれて闇へ囚われていく生徒たちの存在。それが、彼が背負う闇をどれだけ大きく濃いものにしたのか。逆に、最も闇に近い血筋に生まれながら人を愛し平和を望んだ親子の存在が、彼の目にどう映っていたのか。幸福を求めて足掻くを、どんな気持ちで見守ってきたのか。戻ってきたが絶望して蹲る姿を、どんな気持ちで。 頃合を見計らって戻ると、彼は部屋をぐるぐると歩き回りながら何事か考えていた。 そんなときの彼の表情は、打って変わって生き生きと輝いている。思考するのに夢中な様子に、折角あたためてきた紅茶が手をつけられぬまままた冷めてしまうことを予想しつつ、彼のカップに角砂糖を2つ落とす。いつの間にか彼の好みまで把握している自分に一瞬微苦笑を漏らして。 「うん……そうとも…いや…出来ん…空きは……そうじゃのう…しかし…うーむ……そこは………出来る…………うむ…うむ…、よし!」 ぶつぶつと呟くのをやめて、ぴたりと足を止めるとがばりと顔を上げる。 きらきらと目を輝かせて彼は笑っていた。 「セブルス、わしゃいい事を考えちゃったぞい!」 「…左様で」 子どものようにはしゃぐ彼に、口許をほんの少し上げてみせる。 彼が光であるのなら、己は影であろう。この先、今まで以上に厳しいものが待ち受けているのなら、それでこそ開ける道もあるはずだ。 ずっと、付いて行くから。 重荷を分かち合おうなどと偽善的なことは絶対に出来ないけれど、それでもこれ以上それが増えないように。 ずっとその目が輝いていられるように。 「お手伝い致しましょう」 2006/09/30 セブがダンブルドアに誓うのは忠誠ではないと思います。 友情とか信頼に似ている何か。名前のない、けれど確かなもの。 仲間とか共犯者とかが抱く絆のような気持ち。 拙宅のダンブルドアは、色々と裏設定があります。 親友ギルバートを絡めて、今度短編(中編?)にしたいと思います。 |