「で、どこに行ってたの?」 少女のように目を輝かせたモリーが、好奇心の泉からあふれ出す声で尋ねた。隣には似たような表情をした正真正銘の少女ジニーが座っている。 は困っていた。 切実に困っていた。 けれど助けを求めてを見ても、優しく微笑み返されるだけだった。絶対に楽しんでいる。 「ええと、」 だって彼はホグワーツの教師なのだ。 ここの兄弟たちはきっと知っているに違いない。このことが知られたら彼らは学校で脚色をつけて面白おかしく言いふらすだろう。そうなると、セブルスに迷惑がかかる。何せ彼はスリザリンの寮監なのだ。 「ちょっと、友だちのとこに…」 「男の人? 女の人?」 ジニーが可愛らしく首を傾げる。 「お………女の人」 の眉がぴく、と動いた。モリーとジニーのまぶしかった表情がまったく同時に輝きを失う。 がっかりした様子を隠そうともせずに、モリーが口をとがらす。 「ほんとに?」 「…ほんとです」 「、嘘ついてない?」 「ついてないよー。学生時代に仲の良かった子なんだ。一緒にミサンガつくったんだけど、これが切れたときは何があっても会おうね、って約束してたから」 「な〜んだ」 つまんなーい、と言いながらジニーが立ち上がった。 何を想像していたんだろう。 黙っててね、とに目配せする。彼女は肩をすくめて、かすかに了解を示した。 「2人とも深読みしすぎなんだよ」 ロンが笑いながら階下に下りてくる。 「パーシーは?」 「またこもってる」 「うぇッ」とおどけて顔を歪めるロンに苦笑した。 自身、部屋にこもったきりのパーシーとはあまり顔を合わせたことはない。 「あ、そーそー。今日、ダンブルドアが何か用事があったみたいでさ、人が来てたよ」 暴れまわるカエルチョコレートを口に放り込んでふがふが言いながらの聞こえづらい言葉に、はきょとんとする。が意味ありげに目をきらりと輝かせる間にも、彼はべたべたした指をなめながら顔を歪めて報告する。 「それがさあ、もう、マジ最悪なんだよなー」 「そうそう!」 どこから沸いて出たのか、フレッド(だと思う)が相槌を打つ。 「なんてったって、スネイプだぜ?」 え? 「ダンブルドアももうちょっと人を選ぶべきだよなー。マクゴナガル先生が忙しいのは分かるけどさあ、普通こういう遣いを頼むんならスプラウト先生みたいな愛想のいい人が相場だろ?」 「あんないい年して恐ろしく我がままな性格捻じ曲がった親父を、なんで使うかねー」 「っていうか、そもそもあれが教師だってのが信じられないんだよ。保護者とかから文句ないのかな」 「あるに決まってるだろ。でもダンブルドアはそれを抑えこんでまで雇ってるってハナシだぜ?」 「分かんないなあ」 「分かってたまるか」 「ねえ。あの人そんなに嫌な先生なの?」 「もう語りつくせないぐらいだね! お前も入学すれば分かるよジニー」 「でも、あのときのはカッコよかったよなあ!」 同じく沸いて出てきたジョージ(たぶん)が笑う。 「そうそう! “さっさと帰れ!”ってポイだもんな!」 「さすがのスネイプも、いやみのいの字も言えなかったんだから吃驚だね」 「二の句も告げないスネイプなんて初めて見たよ」 に目を遣ればその赤い唇には意味深げな笑みが浮かんでいて、その意味を理解してしまえばどうしようもなく頬が緩んだ。だらしないその笑みを誤魔化すためにに微笑みを返したが、彼らの言う“スネイプ教授の訪問”を想像するとどうしても顔が締まらない。 そうか。 …そうか。彼も再会を望んでくれたのか。 悩んで、苦しんで、身悶えて、それでも再会を選んだのはわたしだけではなかったのだ。 会いたいと願ったのはわたしだけではなかったのだ。 帰宅したときの彼の表情を思い出して、目の奥がじわりと熱くなった。人前で笑い泣きするわけにもいかず慌てて目を閉じてそれが去っていくのを待つ。泣き方を忘れてしまったはずの自分だが、たった一日で随分と涙もろい人間に転進したらしい。 「セブルスパワー」 口の中で呟いたら、聞き逃さなかったが小さく噴き出した。 ホグワーツの課題量は半端ではない。その点は昔と変わらないと言えるだろう。遊び盛りの子どもたちには苦痛の山でしかないそれを、は懐かしく見つめた。その横には昔の自分のように舟をこいでいるロンがいるのだから尚更だ。 それにしても、魔法薬学のそれはもはや恐怖だ。どうやら彼はベイルダムに倣って、ホグワーツの嫌われ者教師の道を順調に、まっしぐらに、駆け足で進んでいるらしい。ウィーズリー兄弟の話ではそれはもう凄まじい嫌われようだ。当時のベイルダムを遥かに上回るだろう。 彼は生きるのにあまりに不器用すぎる。本当は思うほど嫌な人間ではないのに。本人でさえそれに気付いていないのだから、どうしようもない。 苦く笑って、ロンの頭を小突いた。 「このナマケモノ」 ごん。 小突いた拍子に頬杖のバランスが崩れ、彼は鈍い音を立てて机に額をぶつけた。少し気の毒に思いはしたが、自分の場合居眠りしようものなら彼に本の角で容赦なく殴られ、付属して聞かされた不機嫌な怒鳴り声に頭を抱えていたのを考えればまだ軽い方だ。 呻くロンを部屋に残し、冷やした紅茶とクッキーを持ってくる。 部屋に戻るといつの間にやってきたのか、ジニーが兄のレポートを覗き込んでいた。 スペルミスでも見つけたのだろうか、賢そうな大きな目を少し細めてからかうようにピュウと口笛を吹いた。すっかり目の覚めた様子のロンが、慌ててレポートに覆いかぶさる。 「ばか! あっちいけよ!」 最近気付いたことだが、このふたりの様子は兄妹というより友人に近い。歳がひとつしか違わないせいだろうか、わりとジニーの方がロンをおちょくって遊んでいる。おそらく、ロンが他の兄弟に比べあまり保護者ぶらない点も手伝っているのだろう。仲がいいというか兄が舐められすぎというか女は強しというか。 紅茶を3人分グラスに注ぐ。こんなこともあろうかと、コップを余分に持ってきておいて良かった。 適当に相槌を打ちながら、しばらく2人の話に耳を傾ける。 今年からホグワーツに入学するジニーはやはり学校生活のことが気になるのか、話題はもっぱら授業や教師、寮のことだった。しかし冷静に聞いているとロンの説明は主観的過ぎる。教師への評価、スネイプへの嫌悪、各寮への評価、スリザリンへの嫌悪…。ジニーは両親と兄弟たちからずっとこうした話を聞いてきた。闇への嫌悪は既に根深い。こうしてグリフィンドールとスリザリンの敵対関係は受け継がれてきたのだろう。闇の時代が終結しても、怒りと憎しみの連鎖は終わらなかったのだ。たとえ語り継ぐ本人たちがそれと意識していなくても。 の口元に浮かべた笑みがほんの少しだけ苦味を帯びたことに、話に夢中の子どもたちは気付かない。 未来への期待や希望が現在彼らの持つ輝きと重なって、まぶしいほどだ。あんな頃がわたしにもあったのだと、は少し切なくなる。大人になるにつれて失ってしまったものを漠然と感じた。彼らがその輝きを失わぬままに成長して、豊かな人生と平和な日々を送ることができればいい。 「そのときのハリーの箒さばきは、言葉にできないね!」 “ハリー”という一語に示したジニーの動揺との反応に、ロンは満足げに笑う。 ジニーはほんの少し顔を赤らめ、心なしか目を輝かせてロンの話にますます聞き入る。それに気を良くしたロンは、あることないこと得意げに話し始めた。 対照的に、はますます物思いに沈むことになる。 思い出すのは、ジェームズとリリーの子どもの名付け親に任命されて、シリウスとふたり、赤ちゃんの名前辞典を読み漁った日のことだ。 性別はまだ分かっていなかったため男の子と女の子の2通りを考えた。ふたりで悩んで悩んで5つずつ選んだが、1つに絞りきれずに最後は結局くじで決めたのだった。 まずはが目を瞑って、女の子の名前を書いたくじをおそるおそる引いた。 そう確か、確か…ミシェル。 丁寧に丁寧に書いた「Michelle」の文字。Lの字のほんの少しの傾きや、破りとったメモ用紙の形まで思い出せそうだ。ハリーがもしも女の子に生まれていたら、ミシェル・ポッターだったはずなのだ。 ハリー「Harry」のくじを引いたときのシリウスの顔を今も鮮明に思いだせる。「俺は最初から絶対これが一番だって思ってたんだ!」と、興奮して話すあの単純馬鹿の無鉄砲男。きっときっと男の子だぞ!と自信満々に笑い、生まれたらああしようこうしようとジェームズと熱心に語り合っていた。 そんな彼がどうして、その大事な大事なハリーを危険に晒すようなことをするなんて考えられただろう。箒を初めて触らせる日は必ず俺も呼んでくれよと、ジェームズに無理矢理約束させて、リリーのお腹を子どものように見つめていた彼が、どうして親友夫婦を裏切るなんてことができたのだろう。 本当に彼は、裏切ったのだろうか。 それとも――? 「ジニー!」 階下から聞こえたモリーの声に、ハッと我に返った。 ジニーが気だるげに「はあい」と返事をして、部屋を飛び出していく。 その背中を見送ったあと、急にそわそわし始めたロンは、と目が合うと意を決したようにひとつ頷きの耳元に口を近づけた。そして、悪戯を打ち明ける子ども特有の真剣で、かつどこか楽しげな声でこそこそと囁く。 「今夜、フレッドとジョージと一緒にちょっと家を抜け出す計画なんだ」 誰にも言わないでよ、と頬を上気させて笑う彼のその青い目に、無邪気な輝きと揺るぎない信頼を認めて、いやとは言えなかった。 は共犯者の笑みを浮かべ、人差し指を己の唇にあてて今にも零れそうな大人の言葉を封じた。 リリーに似たハリーの碧い目も、ロンのように輝いているのだろうか。 2006/08/15 なんだか後半は地の文が多かったですね。 少し読みづらい、かな…? |