「そういえば」

 暖炉のパチパチという音と、紙と紙が擦れ合うときに発される音以外に音のなかった、穏やかな沈黙。
 あえてその沈黙の中で心地よい時間を過ごすことをやめ、口を開いたのはだった。
 相手が寡黙な彼であるのだから、それはほぼ当然のことなのだが。

「先生は冬と夏、どちらが好きですか?」

 何がそういえばなのか、全く分からない脈略のない質問だ。
 答える必要性を微塵も感じられないスネイプ教授は、一瞬だけ文字を追う視線を止めたが、再開するのに2秒とかからなかった。
 は自分で淹れたココアを啜りながら、ぼんやりと遠い目をして天井と壁の境目を眺めていた目を、スネイプ教授へと移した。

「ねえ、聞いてます?」
「……」
「ねえ、聞いてます?」
「………」
「ねえ聞いてます? ねえ聞いてます? ねえ聞いてます? 聞いてます? 聞いてます? 聞いてます? 聞いて」
「聞いているっ!」

 靴裏についたガムのようにしつこいの質問に、多少神経質な部分を持ったスネイプ教授は低く唸るように返事を返した。
 ぎろりと睨むようにそちらを見遣ると、は満足そうに頬を緩めてまたココアを啜っていた。

「いやあ、心配しましたよ。とうとう先生にも老化現象がやってきたんじゃないかと思って」
「ほほう。人を年寄り扱いするのかね」
「大丈夫ですよ。必要なら卒業後でもわたしが介護してあげますから」
「いらん。むしろ邪魔だ。逆にストレスで老化が進む」
「酷いなあ」

 微塵も酷いとは思っていないような顔でけたけた笑うに、「まったく…」と溜息を吐く。
 毎回会話をするたびに、どうしてだかこのペースなのだ。彼女と知り合って、一体何年経つのか考えるのも面倒臭いが。

「話戻しますけどねえ、先生」

 はマグカップを置いて、頬杖をつく。
 スネイプ教授も栞をはさんだ本を閉じた。

「どっちが好きですか?」
「どちらも嫌いだ」
「………まったくもってとぉーってもスネイプ先生らしい回答ですね」

 大真面目な顔で頷いただが、懸命に笑いを堪えてるのがスネイプ教授には分かった。
 不機嫌に眉の皺の深さを2割り増しにしつつ、それ以外にどんな答えが自分の中にあると思うのだと思った。

「理由を聞いても? 夏は暑いし冬は寒いから、とか?」
「夏は日差しも虫の声も煩くて騒がしいし、冬は雪のせいで薬草採集が困難な上、ふくろう便の配達速度が遅くなるからだ」

 理由をあげるなら他にも多々あるものの、今素早く答えられるようなものはこれしか思い浮かばなかった。
 なるほど、と頷いたは今度は隠しきれずににやにやと笑っている。
 隠されるのも腹が立つが、笑われるのにも腹が立つ。スネイプ教授の眉間の皺は更に2割り増し。

「先生、先生。気付いてないようだから教えてあげますけど、凶悪な連続殺人犯みたいな顔してますよ」
「…喧嘩を売ってるのか?」
「買いますか? 先生なら安くしときますよ。大安売りです。大出血大サービス!」
「お前の腐った血なんぞいらん」
「腐敗臭なんてきっとしませんよ。焼きたての目玉焼きみたいないい匂いだと思うんですけど」
「成る程。腐敗臭ではなく腐卵臭か」
「人を硫化水素と一緒にしないでくださいよ」
「ところでお前の血は赤いのか?」
「先生にだけは言われたくありませんね。血みどろ男爵よりグロテスクな色してそうじゃないですか」

 会話は中途半端にここでぷっつりと途切れた。
 というのは、両者があまりにも不毛なこれは永遠につづきそうだと思い、そろそろやめようかというお互いの目配せに気付いたからである。
 スネイプ教授としても本気で腹を立てていたわけではないので、またひとつ溜息をつくことで終わらせた。
 中指の先で眉間をほぐしながら立ち上がり、自分の紅茶を淹れるために奥へと消えた。
 その奥というのもただ姿が見えないだけのことであって、そう離れていないことを知っているは、背もたれに体重をかけて椅子を2本足で立たせる微妙なバランスで遊びながらそれを待つ。
 その頃になって、大きく論点がずれ上手く話を逸らされたことに気付いた。
 やはりあちらの方が何枚か上手らしいと、は小さく舌打ちする。
 スネイプ教授が消えた方から、カチャカチャと食器がぶつかり合う音がした。

「ところでねえせんせー」

 返事はない。が、聞こえているだろう。
 彼のことだ。返事をするのが面倒臭くて、無視しているのに違いない。
 少し笑いながら先を続けた。

「わたしは冬の方が好きなんですよ。理由? そりゃあね、暑さっていうのはどうにもならないけど、寒さなら対処の仕様があるからですよ。夏は暑くて暑くて。薄着にしても暑いのは変わらないし、カキ氷とか扇風機で一時的に対処できても結局授業中とか肝心なときそんなの役に立たないでしょ。でも寒さならなんとなかなる気もするじゃないですか。厚着すればいいし、暖炉もあるし、授業中ならポケットにほっかいろとか隠し持ってるってのもアリで。それに夏は汗かくのが嫌で外に出たくないけど、冬は雪が降るから雪合戦できるでしょ。いーじゃないですか雪合戦。おもしろいですよー? たまに雪玉に石とか隠しておいてね、恨みのある奴に投げつければストレス解消にもなるし。あ、これで先生の老化もある程度食い止められますかね?」
「………」

 相変わらず返事はなかったが、微かに溜息が聞こえた気もする。
 はまたケタケタと笑って、湯気のたつココアを一口。
 スネイプ教授が、自分のカップを持って帰ってきた。呆れた表情を隠そうともしていなかったが、は楽しげに気付かないふりをした。
 それに片眉を上げたスネイプ教授は元の位置に座ると、椅子を半回転させてに向き直った。

「で、何が言いたいんだ。正直に言えば、今なら少しは考慮してやってもいいぞ」

 その言葉に、はぎくりと肩を揺らした。
 図星か、とスネイプ教授はにやりと笑う。
 少し困った顔をして「うー」と唸るを身ながら、スネイプ教授は促すように紅茶に唇をつける。

「だって先生……今日はクリスマスなんですよ?」
「ああ。確かにそうだな」

 平然と答えたスネイプ教授を軽く睨んで、は椅子の上で膝を抱えた。
 はしたない、と一瞬顔を顰めたスネイプ教授を横目に、は膝に顎をのせてスネイプ教授を睨む。
 彼は助け舟など出すつもりはないようで、目を半眼にして面白そうにを観察するばかりだ。

「普通、その、あー…こ、恋人同士なら、ですよ。普通は、世間一般では、もうちょっとこうお祝いするじゃないですか。それなのにですねえ、わたしたちはこうしてココアと紅茶をすすってるだけで、まったくもって普段どおりで。…不満があるわけじゃないんですけど、たまにはなーっと」

 酷く言い難そうな口調に、スネイプ教授は左手で軽く口元を隠しながらくっくっと笑った。
 恨みがましい目でそれを見るも気にしない。
 やはり唐突にまた立ち上がったスネイプ教授は、の前にあるテーブルの上を簡単に片付け始めた。
 訝しげに首を傾げるの向かい側に腰を下ろしたスネイプ教授は、これまた唐突に取り出した杖を軽く振った。
 テーブル上にパッと現れた皿に、は目を丸める。

「これ…」
「どうせお前が言い出すだろうと思ってな」
「……最初からお見通しってわけですか。…性格が修正不可能なほど曲がりくねってますよ」

 顔を赤くしてぼそぼそと文句を呟いたを、スネイプ教授はふふんと鼻で笑った。
 テーブルの上に現れたのは、ココアにも紅茶にも相性の良さそうな、上品なこげ茶色のケーキふた切れ。
 が英国独特の甘さを好まないのを知ってか、ご丁寧にもブラック、ビターの類らしい。

「まだまだ修行が足りんようだな」
「…そうやって人の未熟さを嘲笑うことで自己の欠点から目を背け、更には悪を気取ることで人の視界からもその部分を押し隠そうとしてるのまる分かりですよ先生? 本当は自分が食べたいだけで用意していて、偶然にも話題がそちらへ向いたので、さも予期していたことのように振舞うことでやや旗色の悪かった不毛といえば不毛な言葉の応酬の情勢を一変させようとしたのではと取ることもできますが?」
「……言ってくれるな。しかし、お前も人のことを言えたものじゃない。真に理解している以上の言葉を連ねつづけ、精神と心拍の安定する時間を稼ぎ、その後また形勢を逆転させようという意図はあまりに分かりやすく幼稚この上ない。しかもその間にも目の前の好物を意識から外すことができず、たびたびそちらに目を走らせてしまう失態に飽き足らず、その度に言葉を詰まらせるのもまだまだ未熟。それを指摘して何が悪い? こちらはお前が少しでも早く馬鹿から人間へと進歩するようにとわざわざそうしてやっているというのに、礼を言われるならまだしも反抗を見せるとは生徒としてあるまじき言動だな。ちなみに付け加えておくが、最初からお前に分はない。形勢逆転を計ったなどとよくもそのように素晴しく自惚れることができますなあ。感嘆に値する思い込みの激しさだ。そうする必要など微塵もなかったが、それさえも未熟なお前には嗅ぎ取れなかったというのか? 甚だ嘆かわしい…」

 平静を装ったの言葉は、見事にスネイプ教授のマシンガントークによって粉砕された。
 がっくりと肩を落として敗北の白旗を振ったを、スネイプ教授は軽く肩を竦めただけで流した。

「食わんのかね?」
「食います」

 冷たいフォークに急いで手を伸ばしたは、皿を自分の方へと引き寄せた。
 スネイプ教授もそれを見遣ったあと、自分の分に手を伸ばす。
 大き目の積み木のような形をした、直方体の黒いケーキにフォークをナイフのように使いスッと細かく切り分ける。本体から切り離された欠片は、安定を失い皿の上でこてんと倒れる。上にかかっていたココアが、白い皿の上に少し零れた。
 それをフォークの先端で軽く刺し、口の中に運ぶ。

「……美味いですっ」
「そうか」

 世界中の幸せを調べて円グラフにしたら、きっと6割は美味い食べ物を食べた瞬間に感じる幸せに違いない。
 そんなくだらないことを考えながら頬をだらしなく緩めたは、再びフォークを動かした。
 二口目を口に咀嚼しながら、未だ湯気をたてるマグカップにも手を伸ばした。

「でも先生、これどうしたんですか? もしかして先生の手作り?」

 自分で言っておいて、スネイプ教授のエプロン姿(しかも左手にボウル、右手には泡だて器)を生々しく想像したは、奇妙な表情をつくってみせた。
 目を細めて「うわーやだー」と言いたげな顔をしようとしつつ、見たいという欲求と笑いそうになる口元を引き締めようとする無駄な努力が混ぜ合わさったその顔は、笑顔でもしかめっ面でもなくただ奇妙に歪んだだけだった。
 スネイプ教授は片眉を跳ね上げ、一瞬苦い顔をしてみせたがすぐにその顔は呆れに変わり溜息までおまけした。

「馬鹿者。そんなわけがあるか」
「ですよねえ」

 分かっていて口に出したは、うんうんと頷きながら自分の妄想を振り払った。
 それから、スネイプ教授は既に半分ほどになったケーキの皿にフォークを置き、紅茶を一口飲んだあと軽く肩を竦めて先程の問いに答えた。

「厨房から拝借した」
「………………あー………かっぱらってきた、と? 今日の夕食に出るはずだった分を?」
「ああ」
「…………先生もそういうことするんですねえ」
「お前らと一緒にするんじゃない。こういうことになるだろうと予測して余り物でもないものかと見回り帰りに少し立ち寄ってみれば、たった2切れしかないこれを見つけた。広間のどこかで起こるかもしれなかった争いを事前に防いでやろうという善意だ」
「うわあ、タチわりー」

 確信犯かよ。
 は3口目を刺したフォークを空中で止めたまま、声を殺して笑った。
 スネイプ教授は澄ました顔でチョコレートケーキを噛み潰し飲み込んでいたが、一瞬にやりと口端が上がったのをは見逃さなかった。
 耐え切れずは笑い声を上げた。

 普段どおりに過ごすクリスマスもそれはそれでいいと思っていた。
 それでも、言い出して得をしたことには変わりなく、今日は本当にラッキーだったと思った。
 サンタクロースがただで玩具をくれるよりお得な気分だ。

「ねえ先生。ところでクリスマスプレゼントは?」
「ない」
「えーー」
「まあ…あと5年ぐらいたってお前が大人になってたら、考えてやらんでもないが。こんなクソガキではなあ…」
「なんですかその溜息は。ハッ! いーですよいーですよ。そのときには先生がなかなか直視できないくらいすんげえ女になってやりますから」
「無理だな。身の程をわきまえろ。あーまあしかし、食べすぎで横が順調に成長していったなら、5年後くらいにはある意味すごい女になっているかもな。それは否定せんぞ」
「カーーーッ! 言いましたねっ聞きましたからねっ! いつか後悔しても知りませんよ!? ヴォン・キュッ・ヴォンですよ!!?」
「なんだその安易な効果音は」
「定番を追求してみました!」

 ああこのさきも、ずっと2人が幸せでありますように。




















2004/12/19

 THE☆くっだらない話。
 こんなフリー夢だれが欲しがるかってんだな感じです;
 でも誰か奇特な方がおられないものかと、これからもフリー表示でいきます。(諦めろ)

 佐倉 真