Christmas Eve。 深々と雪の降るその聖なる夜に、彼女は談話室の冷たいソファに座っていた。 暖炉の消えかけた火が、パチリと小さく爆ぜた。 彼女は寒ささえ心地よいと感じながら、目を閉じていた。 普段は目を閉じると、赤や青や紫が奇妙な具合に混ざり合ったような何かが視界を覆う。たぶん瞼の裏側の景色なのだろう。近すぎてそれがどれほどグロテスクなのか、簡単には確認できないことが救いだが、それを考えるとあまり気持ちの良い景色ではない。 しかし、こうして暗い地下室で目を閉じると、それは幾分か誤魔化すことができる。闇の中でそうしていると、まるでどこまでも澄きとおった湖に少しずつ身を沈めていくかのように、不思議と落ち着き心が澄んでいく。昔からこの感覚が好きだった。周囲は様々なことに笑いさざめき嘆き悲しむが、その騒ぎさえ些細なことのように思える。 怒りも嫌悪も、憎悪さえも、然り。 ああ。 こうしていると、雪の積もる音さえ聞こえてきそうだ。 静寂の旋律があまりにも美しすぎて、はぶるりと身震いをして目を開いた。 闇に慣れた目で、消えようとしている暖炉の火を見た。もう音を立てるほどの元気もないらしい。 頬の筋肉が動き、笑みを形作ったのに気付いた。 何を笑っているのかは、自分でも分からなかった。 「?」 振り向くと、暗闇の中に彼が立っていた。 を含めた数少ないクリスマス休暇の居残り組みの一人。 呼びかける声が尻上がり気味だったのは、暗闇の・ナ一人ソファに座っている人物が本当になのか確信を持てなかったからではなく、何をしているんだと訝しむ思いから滲んだようだった。 「セブルス…」 名を呼ぶと、彼は真っ直ぐにこちらにやって来た。 それにしても暗闇のよく似合う男だ。まるで、溶け込んでいるように見えた。 その事実がは何故だか少し気に入らなかったが、それを表情に出すほど幼くもなかった。 「こんなところで何をしている」 尋問するかのような口調に、は笑みを浮かべて見せた。 「何も」 「何も? 何の意味もなくこんなところにいるのか」 「談話室には何か意味がなきゃいちゃいけないの?」 「私は、クリスマスにこんな暖炉の火さえついていないところで震えていることに、何の意味があるのかと聞きたいんだ。風邪をひくという単純な結果が分からないわけでもないだろう」 「買いかぶらないで。わたし馬鹿だからそんな結果も分からなかったのよ。暖炉の火をつけなかったのは、動くのが面倒だったからよ。暖かい部屋に戻らなかったのも同じ理由」 「…凍えたいのか?」 「さあ、どうなのかしら。馬鹿なわたしには分からないわ」 長い間静寂に耳を澄ませすぎたからだろうか、話す言葉をぼんやりとしか考えられなかった。 酔いが回ったかのように、曖昧な言葉しか出て来ない。 彼は眉根に皺を寄せた。 そんな顔してると眉に皺の後ができるわよ、と声を上げるのもなんだか億劫だった。 彼は方向転換をして、つかつかと暖炉に歩み寄ると、杖を取り上げて何事か呟いた。 今にも尽きるかと思われていた弱々しい火は、瞬く間にごおごおと高く燃え上がった。はゆっくりと笑みを消した。 「こっちに来い」 セブルスが暖炉に近い椅子を示した。 彼女が動かないでいると、彼は声をきつくしてもう一度言った。 「来い」 強い意志と威圧感を持った言葉に、反発を覚えながらも彼女は従った。 そうしなければ、無理にでも立ち上がらされそこに連れていかれそうな気がしたからだ。あながち、間違いでもないだろう。 大人しくそこに座り、背もたれに思い切りもたれて片膝を立て最も落ち着く態勢を探り当てながら、は彼を睨んだ。 彼は平然と隣の椅子に腰掛けている。 「どうして…?」 質問の意味など、分かりきったことだ。 「談話室で凍死した生徒などが出たら、大恥をかくのはスリザリンだ」 冷たい答えだったが、それもそうだと頷いた。 自分の右膝に右頬をのせるようにして、左隣の男の横顔を見た。 暖炉で燃える赤い炎が、彼の横顔を照らした。頬にかかる火の明かりが、ときに強くときに弱く彼の顔に陰影をつくる。彼の黒い瞳にも炎がうつる。黒い闇のようなその中で、燃え盛りちらちらと揺れる。 その目が唐突にこちらを射貫いた。 「おい」 「ん?」 見惚れていたことに気付かれたのだろうかと思ったが、どうやら違うようだった。 「さっき…………いや、なんでもない」 「何?」 躊躇うように口を閉じ、また開いた。 それから何もかも暖炉の火のせいだというように、それを睨みつけた。 「さっき…お前、泣いていなかったか?」 沈黙が落ちた。 彼は自分の質問が不適切だったと悔やんでいるように、不愉快そうに顔を歪めていた。 彼女は否定も肯定もしなかった。 ただ彼の険しい横顔を見つめて、小さく笑みを漏らしただけだった。 「ねえセブルス」 呼びかけるが、その目はこちらに向いてはくれなかった。 彼にはよくあることなので、彼女は特に気にしなかったが、視線が交わらなかったことを惜しいと思った。 「わたしね…あなたが不死鳥の騎士団に入団すればいいなと思ってるの」 「はあ?」 彼は呆気にとられた顔をして、こちらに顔を向けた。 まじまじと見つめられ、は愉快そうに笑った。 「何を言ってるんだお前は」 周りに人の気配がないことを確かめて、彼は先程とは違う意味で険しい顔をした。 「お前も死喰い人になるんだろうが」 険しくも呆れを含んだ声に、はしばらく笑っていた。 床についていたもう一方の足も椅子の上に持ち上げ腕に抱くと、視線を彼から暖炉の火に移して答えた。 「だって……わたし、さっき思ってたのよ。暗闇の中で目を閉じてたら…」 夢見るようには呟いた。 「あなたに殺されるのは、悪くない気がしたのよ」 火を見ていると、また笑いが込み上げてきた。 しかしそれを吐き出すのは勿体無いような気がして、笑顔だけに留めておいた。 彼はその笑んだ横顔を、やはりまじまじと見ていた。 「偽善にまみれた正義という幻想を振りかざした馬鹿な魔法使いに殺されるのはいや。死っていうのはさ、生と同じだけの価値があると思わない? だからわたし、死ぬことにも意味を求めたいのよ。死ぬことが、生まれることと同格なのか、それとも生きることと同格なのかはよく分からないけど、少なくともわたしが生まれたことや生きたことが、幻想の平和を信じる愚者たちに殺されることと同等だとは思えないし思いたくないの。勿論、病気で死ぬのも、事故で死ぬのもいや。だから死ぬときは、あなたの手で殺されたいと思った」 いけないことかしら、と彼女は小さく首を傾げた。 それを思いついたとき、自分は狂ってしまったのかもしれないと思った。それでもいいような気がした。 殺されたいのではない。死にたいのでもない。 ただどうしても死ななければならないのなら、この血で手を染めるのはセブルス・スネイプであってほしいと思った。 だから彼が騎士団に入ればいいと思った。 それだけのことだった。 セブルスはしばらく考えるように黙っていたが、彼女と同じく暖炉の火を見つめて口を開いた。 「私には、生と死が同等だろうがそうでなかろうが、どうだっていいことだ。お前の生の価値を決めるのはお前で、死の価値を決めるのもお前だ。だがその価値の基準となるのは何だ? 人生とは何をすれば価値あるものになる? 私は……人と関わらなければ分からないことだと思う。他人にどう感じられるか、どういう言葉をかけられ、どれほど信頼されるか。それを自分がどう受け止め、感じ、どう考えるかによって、私たちは自分の価値を手探りで探っていくのではないのか?」 彼にしては意外なことを言うと思い、その横顔を見た。 彼も複雑そうな顔をしてその視線を受け止め、溜息をついた。 「自分でも柄でもないと思う。……だが、そうじゃないか? 自分の価値は自分が一番分かっているかもしれない。だがそれは、どこか偏っている可能性があるのは思わないか? たとえば今燃えている薪にしてもそうだ。薪にとっては自分は昔、美しい森で多くの生死を見てきた木々が切り倒され、人間なんぞのために燃やされる単なる欠片でしかないかもしれない。しかし私たちにとっては、凍えないための手段、生きるために必要な火をつくりだすための貴重な資源だ」 一度沈黙して、考えを整理するようにゆっくりと目を閉じ…開いた。 長い瞬きを見つめているの唇は、もう笑んではいなかった。 真剣でもなくどちらかというと無表情に近かったが、それほど堅いものでもなかった。 「私は、お前が生まれたことにどんな意味があるのか、お前がどんなことを感じ、考え、生きてきたのかなんて知らん。だが少なくとも、お前の生が私に殺されることと同格のものだとはどうしても思えない。そして私はお前の価値観よりも、自分の価値観を信頼している。だから」 セブルスはを真っ直ぐに見つめて、きっぱりと言った。 「私はお前を殺さない」 は何も言わなかった。 「お前みたいな馬鹿は大嫌いだ。だからお前がそんな愚かなことを望むなら、私は逆に、お前を守るために全力を尽くしてやる」 生きて、生きて、生き抜けば。 自分に見合った死を、いつかは見つけられるかもしれない。 それならば、死に急ぐ必要がどこにある? 彼は立ち上がって、に背を向けた。 暗闇の中、暖炉の赤い火が彼の真っ黒な背中を照らす。 彼女はそれをぼんやりと見つめていたが、彼が男子寮へと消える直前口を開いた。 「ねえ」 彼はぴたりと動きを止めた。 「どうして?」 質問の意味など、分かりきったことだ。 僅かに振り返った彼の横顔は暗闇の中で判然としなかったが、少し笑っているように彼女には見えた。 「どうして? 愚問だな、。さっきも言っただろう」 彼は再び前へと歩みを進めながら、冷たく答えた。 「お前が嫌いだからだ」 再び一人になった談話室で、は膝に顔を埋めて笑った。 パチパチと暖炉が燃える。 火が自分を照らす。 彼女はただ彼の言葉を反芻して、耳まで赤く染めながらくすくすと笑った。 「まるで愛の告白みたいね、セブルス」 吐き出した溜息には狂気など微塵も感じられず、ただ愚かな女の喜びだけで構成されていた。 こんな幸せなクリスマスイヴが、今まであっただろうか。 浮かんできた愚問を否定して、は暖炉の火の明かりに目を細めた。 火がこれほどに眩しいものだとは知らなかったし、燃える火が映った闇色の瞳があれほど眩しいものだとも思わなかった。 「やっぱり殺されるより、並んでに生きる方が素敵よね」 夢見るように呟いて、は再び目を閉じる。 目を閉じても闇は訪れなかったし、恐ろしいほど美しかった静寂の旋律も聞こえてこなかった。 「彼が全力でわたしを守るなら、わたしも彼を射止めるのに全力を尽くすべきかしら」 これは考慮するべきかもしれないと、彼女は笑いながらも真剣に考えた。 深々と雪の降るクリスマスイヴの、スリザリン寮談話室のことである。 2004/12/23 暗いクリスマスフリー夢でした; たぶん貰ってくださった方はおられないかと…。 期限は過ぎましたが、気に入った方はご自由にどうぞ。 佐倉 真 |