忌々しい。 低脳を極めた“ヤツら”の下劣かつ最悪な罠――落とし穴だ! 古典的にも程がある!――に足止めを食らい、薬草学の授業に遅れてしまった。 教授も、ローブの袖が縫い目にそって破け、黒いローブがグレーに見えるほど埃をつけ、あちこちを擦りむいているという僕の惨めな姿で何があったのか大体のことは察したのだろう。悩ましげに溜息をついて何があったのかを問うた。 僕は何も言わなかった。ここで何を言っても結果は分かりきっている。ヤツらは減点なんか気にしないし、どう叱られても反省するフリはそのときばかりで、何の効果もない。それに減点が重なり寮生たちから非難をあびそうになれば、あの偽善者の優等生――ルーピンだ――を使って挽回するからプラマイ0だ。 だから僕は変わりにこう言う。 「遅れて申し訳ありませんでした」 何を聞かれても目を伏せて静かにそればかり繰り返す。 僕は自分がヤツらの言うとおり陰気臭くて、人に好かれるタチでないのは分かっている。その点、何をしても愛嬌とやらで人に嫌われることのないヤツらとは、やはり対極にいると言えるだろう。だが、それだからと言って味方をつくれないわけではない。 こうして謙虚に振舞っていれば、ハッフルパフ出身のこの教授は僕に同情を寄せる。そうして少しずつ味方を増やしていけば、そのうちもう少しやりやすくなるだろう。……そう、何もかもが。 ほら、もうこの教授の目は気の毒そうに細められている。寄せられる同情は不快でしかないが、まあいい。 結局“理由のない遅刻”として処理することになったが、減点はなく軽い罰則として放課後に植木鉢の整理を頼まれただけだった。 席に戻るとき、ほんの少し、ほんの少しだけ、左足をひきずって歩いてやった。あまりわざとらしすぎるといけない。気付かないくらいが丁度いい。気付かなければ収穫はゼロだが、気付けば倍増。損はない。 席に座ると、隣のヤツがそっと今の時間に進んだ分のメモを差し出してきた。顔をあげると、その目にも同情がある。吐き気がしたが、損はない。 損はない。 放課後、約束の温室へやってきた。 ドアを開けると、丁度出るところだった教授とぶつかった。 「あら、ごめんなさい、ミスタ・スネイプ」 「いえ」 「温室の整理だったわね。あの端の方のを簡単にでいいわ。わたしは少し用ができましたから、終わったらこの鍵を閉めておいてください」 「はい」 その同情あふれる目が吐き気がすると言うんだ。くそったれ。 そっと肩に手を置かれる。 振り払ってしまいたい衝動を必死でこらえた。今までの苦労が水の泡になる。 「負けちゃだめよ」 そんなこと、あんたに言われるまでもない。 敵意さえわいてくるのを無視して、目を伏せて会釈した。 教授が去っていく足音を聞きながら、誰も居ない静かな温室に入った。 「こんにちは、セヴルス」 訂正しよう。無人ではない。 そこには相変わらずのんびりと微笑む・が立っていた。 「…どうしてお前がここにいるんだ」 「…えっと…なぜなら、先生に言われたからです、“彼を手伝いなさい”と。…わたしもペナルティーを科せられました。だから、掃除をします。…アナタと」 「そうか」 「そうです」 心なしか嬉しそうに(特に最後を)報告されて、思わず少し頬の筋肉が緩んだ。 「いったい何をしたんだ?」 「……少量? 咬まれ、ました」 表現に自信がなかったのだろう。途中が疑問系になった。 あってるか確認するように首を傾げたので、苦笑いしてやる。 「少しだけ、だ」 「…少しだけ、咬まれました」 できた、と言いたげに笑う。少し照れたように、視線は僕の膝のあたりをうろうろしている。恥ずかしいとき目を伏せるのは彼女の癖だ。 彼女の指を見ると、彼女の肌より少し濃い色の絆創膏がはってあった。黄色がかかったガーゼの部分に、ぽつりと小さな血の染みが浮いている。まだ黒く変色していないから、咬まれたのはそれほど前のことではないのだろう。とすると、午後の授業だったのは間違いない。あの教授は怪我をしたぐらいで罰則を与えるような性格ではないから、おそらく事前に注意していたことを彼女が守らなかったことに対しての罰だろう。は注意の意味を理解していなかったに違いない。細かい単語はまだ分からないのだから、仕方がないといえば仕方がなかろう。そのことについては、教授もすぐに気付いたはずだから、普段なら注意程度で減点も罰もなかったはずだが、そこで今日の放課後ここに呼び出した“可哀相な少年”のことを思い出したわけだ。なるほど。こうして本人には分からないところでこっそり生徒を助けている教師、という構図は偽善者の目には魅力的に映るのかもしれない。 まあ、そのおかげでこうして会う時間ができたのだから、感謝すべきなのだろうか。 「アナタは?」 「僕は遅刻だ」 肩をすくめて、植木鉢の並びの前にしゃがみこむ。 花の色ごとにに整理して、水を少量与えておけばいいだろう。 「……セヴルス、…け、け……」 「怪我?」 「そう! アナタは怪我しています」 「…ああ」 そういえばそうだった。すっかり忘れていた。 まったく、慣れとは恐ろしいものだ。まあ今までヤツらに負わされた怪我の中では、比較的軽い方だからだろう。 「それらは…イタイ、ですか?」 「そうでもない」 「…医務室には行かなかった、ですね?」 「ああ」 困った顔で、頬の怪我を見つめられる。 咎める目つきよりずっとこたえるのは気のせいか。 「…気にするな」 思わず目を背けた。植木鉢を持ち上げる。小さいくせに妙に重い。 「これ…」 言葉を途中で詰まらせたような気配に振り返ると、は言葉を探すように目を彷徨わせながら、5枚ほどでひとつなぎになっている絆創膏を差し出していた。絆創膏、という単語が出てこないらしい。 「…それは絆創膏だ」 「ば、ばん、そ、コー?」 「ばんそうこう」 「バンソ、コー」 「…」 「…バンソう…こー?」 「よし」 「………」 「……それで?」 「あげます、コレ」 しゃがんだ状態で、彼女を見上げる。彼女は僕の怪我をした手の甲を、瞬きもせずに見つめている。 視線を交わらせることもないまま、その黒い瞳の奥に目をこらす。けれどどれだけ目をこらしても、何も見つけられない。ただ彼女はとても真剣な顔をしていた。 「別にいらない」 「…ばいきんが、入ってくるかもしれません」 「大丈夫だ」 「使ってください」 「それは、治りを遅くする」 「メディスンもあります…ほら」 「…飲み薬(メディスン)じゃない。軟膏(オイントメント)だ」 「それです」 「………」 「使ってください」 最近気付いたことだが、彼女は思いのほか頑固で、一度こうと決めたら簡単には揺るがない。 いつの間にか、こういう問答が起きたときはこちらが先に折れるのが通例になっていた。断っておくが、これは限定だ。彼女が相手でなければ、僕は彼女以上の頑固者だという自覚がある。 了承の溜息をつくと、彼女はやっと笑った。 「……軟膏だけだぞ」 「はい、どうぞ」 「…ドウモ」 手の平サイズのそれの蓋を回して開ける。隣にもしゃがみこんだ。 柔らかい土の上に並べられた灰白色の敷石は、大蛇が這うように大きな温室に張り巡らされている。お世辞にも清潔とは言えないが、じかに土の上に座るよりましであることは確かで、そこにあぐらをかいた。 一度やると決めたらとことんやるのが自分の性で、袖をまくって肘から始めた。青や赤のあざもあったが、おそらく軟膏は効くまい。こういうのは放っておくに限る。とりあえず、軽く皮がむけているところや、出血しているところに揉むようにして擦り込んでいった。 「持ち歩いているのか?」 「……Pardon?」 「絆創膏や軟膏、いつも持ってるのか?」 「…ああ…はい、そうです。わたしは…わたしは…えっと、しばしば、け、怪我します」 「なるほど」 確かに、彼女はドジだ。 この年になってもまだ、走ったら転ぶ。遠目にみるとその姿はまるで幼子で、微笑ましいが危なっかしい。遠目に見ていて、今まで何度駆け寄りたい衝動を堪えたことだろう。 「お前はドジだな」 「どじ?」 「ああ、ドジだ」 「…わたしは、どじです」 真面目な顔で覚えようするので、笑ってしまった。といると、よく笑わされる。 余程僕が意地悪な顔で笑っていたのだろう。やっと“ドジ”という形容詞に思い当たったらしく、頬を赤らめて恨めしそうに睨まれた。そんな顔をされても、まったく怖くないのだが。 「セヴルスは、悪いひとです」 「そうさ。僕は悪いヤツだ」 にんまり笑うと、も笑った。彼女は本当に嬉しそうに笑う。 僕が笑うことを喜ぶなんて、可笑しなヤツもいたものだ。大抵の人間は気味悪がるような陰気な顔だ。笑顔など我ながら恐ろしい代物だと思うのだが。……自覚があるだけに複雑な気分だ。 「でも……」 「ん?」 「彼らは、もっともっと、悪いです」 笑顔を消して、むっつりとが言う。眉を顰める仕草にそれは僕のオハコだと笑いたくなる。 彼ら、か。誰なのかは言うまでもない。 「そうだな」 「わたしは、彼らを殴りたいです」 「え?」 彼女の口から飛び出した予想外の単語に驚くと、彼女はわざとらしく真顔をつくって見つめ返してきた。ジェスチャーのつもりなのか、単にふざけているのか、パンチパンチと言いながら空に向かって固めた拳を繰り出している。そのファイティングポーズがまったく様になっていないのが、また新たに笑いを誘う。最高にひ弱そうなファイターだ。 彼女が彼ら4人の前でそのポーズをとる姿を思い浮かべて、にやりと笑った。 「そいつはいいな」 ヤツらはきっとそのとき、素晴しい間抜け面をさらしているに違いない。 「そのときは僕も混ぜてくれ」 その言葉の意味は正確に伝わったらしく、彼女はきゅっと口の両端を吊り上げて笑った。 「約束です」 ぽかぽかと暖かい温室の片隅で、僕らは声をひそめて笑った。 「わたし、エルボー、ルーピン」 「鳩尾をはずすなよ。僕は…そうだな、とりあえずポッターとブラックを、一発ずつ殴り飛ばしてやる」 「眼鏡、こわれる、痛い」 「じゃあ、蹴り倒そう」 「ミゾオチを、はずずなヨ」 しかめつらしい顔で、僕の口真似をする彼女があまりにも滑稽で、笑った。思いのほか大きく響いて、慌てて口を押さえる。も自分で受けたらしく、苦しそうに腹を抱えた。 抑えようとすればするほどお互いの肩が震えて、それが益々笑いの渦へ導く。彼女が更に体を折り曲げて小さく呻く。僕は「ハハハ!」と大きく笑いたいところを無理に堪えたせいで、「ヒュッ」と悲鳴にも似た呼吸を静かな温室に響かせた。彼女の震えが激しくなる。 怪我も、同情も、偽善も、打算も、なんだかここでは、ひどくちっぽけなことに思えた。そうだ。そんなもの本当はどうだっていい。 本当に大事なのは、もっと違うもので、僕は幸運にもそのことを知っている。 きっとヤツらは知らないだろう。 ざまみろ、極悪4人組! 2006/04/08 久しぶりに書いた! リハビリです。 ほのぼのになってたらいいな。しかしなんかタチ悪いことで爆笑してるのは気のせいですか。 日傘セブは、無理してつっぱってる打算的な男の子、です。素直じゃないのさ。 |