「ハロー、」 図書室で、声を掛けられて振り向いた。 人が近づいてきたことには気付いていたが、聞き慣れた彼の足音ではなかったので、さほど気にも留めていなかったから驚いた。 同じ寮の誰かだろうかと一瞬思ったが、そこに立っていた少年のネクタイは金と赤に輝いていた。色々な意味であまり好ましく思っていないその2色を視界に入れたは、正直、スネイプのように顔をしかめてしまいたかった。その気持ちは、彼が誰だか分かった瞬間に再に肥大する。 リーマス・ルーピン。 いつもポッターとブラックのそばにいる、グリフィンドールの優等生。 「何かご用ですか?」 接し方は穏やかだが、声はどこか硬い。 それを敏感に感じ取ったのか、彼はその笑みをほんの少し動かして苦笑いに変えた。 「この間のことを謝ろうと思って」 は自分の頬が強張ったのを自覚した。 勿論、ルーピンの言っていることは分かった。彼はどうやら、意識して簡単な単語を使ってくれているらしい。しかし、問題はその内容だ。“この間のこと”とは、水をかけられたあの日のことだろう。 「結構です」 きっぱりと言った。 しかし、ルーピンのきょとんとした顔を見て、言葉を選びなおす。スネイプという友人ができてから、英語力は随分と向上した。それでも披露する機会が少ないので、ときどき使う場面を間違えるときがある。 「…謝ってほしく、ないです」 今度はきちんと伝わったのだろう、ルーピンの顔が翳った。同時に、彼は驚いてもいた。 ルーピンの知るところによれば、彼女は典型的なハッフルパフで波風を好まないタイプだ。だから一言謝れば、ほとんど自分には無関係に近かったあの程度の悪戯など、笑って許してくれるだろうと思っていた。それが今や、彼女ははっきりとした拒絶を目に浮かべている。 「彼らも悪気があったわけじゃないんだ」 「…そうですか」 「あの日はちょっと事情があって、ジェームズもシリウスも苛々していて」 「…わたしは思います、それは理由にはならないと」 「そ、そうだね…ごめん…」 少しばかり反応は鈍いが、なかなか手強いとルーピンは感じた。これと言って取り得のないぼーっとした子という認識を、改めなければならないかもしれない。 ハッフルパフ生とは思えないほど、攻撃的な目をしていた。同じグリフィンドールでも、自分やジェームズの性格が違うように、ピーターとジェームズの性格がまったく逆であるように、ハッフルパフ生も様々ということか。 「でも、本当にすまないことをしたと思っていることだけは、きちんと伝えておきたくて」 は、それを噛み砕くように間をおく。 「…あなたは、信じられますか? 彼らがもう二度と、悪戯をしないことを」 ぎくりとした。 「…あなたは、黙ることをやめて、止められますか? 彼らを。彼らがまた悪戯をしたときに」 追い討ちがかかる。 ルーピンには答えられなかった。彼らが再び悪戯をすることは間違いなく、そして自分はそれをいつもどおり傍観しているだろうという確信があるからだ。 「わたしは思います、あなたは彼らを止めないだろうと。だから、わたしは欲しくありません、あなたの……しゅ、しゃ…シャズ…シャザイなんて」 は、それだけは譲るわけにはいかなかった。 ここで彼の謝罪を受け入れれば、もしかしたらあのポッターたちとも、もう少しいい関係が築けるのかもしれない。 けれど、周囲で交わされる言葉から、も既に聞き知ってしまっていた。 彼らがスネイプを、格好の餌食にしているのだと。 許せなかった。彼の友人として、それを許すせるはずもなかった。彼らがもう二度とに悪戯を仕掛けなくなったとしても、彼にはずっとずっとあのタチの悪い嫌がらせを続けるのだろう。闇と言われるこの時代に、様々な事情が交錯した結果なのだろうが、そんなことを言い訳にして許されることではない。彼らが最も嫌う死喰い人たちがまったく同じ行為で人を貶めていることに、彼らは気付いていないのだろうか。彼らの模倣をしているのだとしたら、本末転倒もいいところだ。 しかしここで彼の名前を上げて、ルーピンを非難するわけにもいかない。彼と友人であることは絶対の秘密なのだと、それはとて理解していた。それに外国人の自分から庇われたなどと知られれば、スネイプのプライドに傷がつく。 彼のために何もできない自分が悔しくて、それが益々彼らへの嫌悪感を煽った。 「じゃあ、君は止められるのかい?」 ルーピンは意地悪く笑った。 たくさんの笑みを持つ人だ、と頭の片隅では感心した。スネイプはたくさんの顔の顰め方を知っている人だ。 「やっと本当の意味で友人と呼べる人たちができて長い間自分を取り巻いていた孤独が初めて和らいだときに、彼らを失う危険をおかしてまで彼らを諌めることができるの? そんな聖人君子のようなこと君にだってできるはずがないだろう? 違う?」 彼の笑みから、先ほどより少し難しい単語を使い早口にまくしたてているのが、この程度のはやさになれば内容が分からず言い返せないだろう、と馬鹿にされているのだと気付いた。 しかし、日々周囲に耳を澄ませて英語に慣れてきたには、切れ切れではあるが彼の言いたいことは十分に伝わったから、普段どおりに言葉の意味を噛み砕き、ゆっくりと口を開いた。 「…そうかも、しれません」 言葉を選びながら、小さく頷く。 「でも」 ルーピンの笑みが勝ち誇った顔に変わる前に、は素早く口をはさむ。 「そのことは、無関係です、それらには。だから、もう謝らないで」 相変わらず余裕の笑みを浮かべた彼を睨みすえ、低く言う。 実際は、余裕を装ってはいるが、ルーピンは内心苛々を募らせていた。ここまで彼の友好的な態度が上手くいかなかったことなどなかった。 「つまり僕らは、似たもの同志ってわけだね」 ルーピンは共犯者の笑みをつくる。 は初めて、衝動をこらえきれず、一瞬スネイプのように顔を顰めた。 「わたし、知っています。こうしたことを意味する単語を。……ど……ど…」 すっと目を細めては笑う。 「同族嫌悪」 ルーピンはカッとなって笑みを消した。 「…じゃあ、勝手に僕を嫌っていればいいさ! 僕だって君みたいな馬鹿は嫌いだね。ただ僕が一度は謝ろうとしたことは、覚えておいた方がいいと思うよ。今後のためにね」 悪意を込めた言葉に、は生真面目な顔をして頷いた。 「あなたも、考えるべきです。友情を失うことを、怖がる前に。本当に、彼らを友だちといえるか、どうか」 「ジェームズたちは友だちだ! 友だちのいない君に何が分かる!!」 怒鳴り声に、は身を竦めて一歩彼から離れた。 男性の怒鳴り声は、相変わらず怖い。一瞬、昔のことを思い出して、頭がくらりとした。脇腹が痛むような錯覚を覚えて、セピア色の記憶が彼女の肩を強張らせた。 「そこで何をしている」 聞きなれた声が、を現実を引き戻した。 ああ、彼の発音の、なんと綺麗なことだろう。 「怒鳴っていたのは貴様か、ルーピン」 唸るように低く威嚇し、乱入者はルーピンを睨みつける。 片手に分厚い本を抱えたスネイプは、二人を交互に見て、いかにも迷惑そうな顔をした。 「図書室は痴話げんかをするところではない。やるなら他所でやってくれ」 「と僕はそんなんじゃ!」 「…勝手に、呼ばないで、ファーストネームで。ミスタ・ルーピン」 震えないように注意しながら、は声をしぼりだした。 それでも幾分か弱々しかったのだろう。ルーピンは驚いたようにを見たが、睨む視線とかち合って反射的に目を逸らした。 「あーー……ルーピン。貴様の丁度背中あたりに、僕の探している本があるはずなんだが、勿論探しても構わないな? 貴様らのくだらない話に付き合ってやれるほど、暇な身じゃないんだ。それともこれは、僕の勉強を妨害するための新手のイヤガラセなのか? 騎士道精神のグリフィンドールらしい、正々堂々とした、勇気のいるイヤガラセだなまったく。その貴様らのどこまでもからっぽな頭の中を尊敬するよ」 ルーピンは一度口を開きかけたが、スネイプの皮肉な薄笑いを見つめ、不毛だと判断したのか顔を背けた。 笑みを貼り付けて、に言う。 「それじゃあ、またね……ミス・」 言い捨てて、スネイプの横を早足ですり抜け、彼は遠ざかって行った。 スネイプは、足音が遠ざかったのを確認して、に目を映した。 彼女は足元を見つめて、黙っている。 彼女がなかなかの激情家なのだと、今回のことで初めて気付いた。ぼんやりした、どこまでも温和な性格なのだと思っていたが、それだけではなかったらしい。 それでは今までの彼女はなんだったのだろう。 もしや今までのすべては、彼女の偽りの姿だったのだろうかと、不安が過ぎった。 「…おい」 彼女の肩が、ぴくりと反応する。 そのとき初めて、彼女の拳が、関節が白くなるほどきつく握り締められていることに気付いた。 思わず、眉を寄せる。 怖かったのだろうか、とか、自分を怖がっているのだろうか、とか、まだルーピンを怒っているのだろうか、とか、痴話喧嘩と揶揄したことを怒っているのだろうか、とか。色々と考えた。だが答えは見つからず、多少躊躇いながらも、彼女に近づいていく。 あと2歩ほどの距離になったとき、彼女が口を開いた。 「セヴルスは、わたしのお友だちです、よね?」 彼女の、“V”の発音をとても大切にした、自分を呼ぶ声は好きだ。“R”への移りはまだ拙いが、それさえも本当は、好ましいと思っていた。 そのいつもどおりの発音に、何故だか安堵する自分がいた。 「お前がそう言ったんだろう」 お友だちに、なってください。 今もまだあの声を忘れない。不安を抱えながら、涙にあとの残る笑んだ顔も。 「かわいそくなっタからじゃ、なクテですよね?」 強張った声が、発音の調子を狂わす。 握り締めたまま震えている小さな拳を見て、何と言ってやるのがいいのかなど知らず、困惑した。 敵意を滲ませた厭味なら百でも千でも思いつくのに、こういうこととなると途端に駄目になる。 同情がまったくなかったとは言い切れない。ある部分では、自分に重ねていたのだろうし、ある部分では、そうでなかった。友人になった今でも、再びあのような目に彼女があっていたら、やはり同情するだろう。 なんと言えばいいのかなんて分からない。 分からないから、何も言わなかった。 だから、黙って手を伸ばして、俯いた頭をそっと撫でた。細い黒髪がさらさらと指に絡む。 昔、見たことがある。 どこかの公園で、泣いている女の子に大人がやっていた、その仕草。 自分にはまったく覚えのないそれを、してやろうと思った理由はよく分からない。ただそれが、何故だか今に相応しいと感じたのだ。 それから、長くそうしていた。 気がつくと握り締めていた拳から、力が抜けていた。 頭を撫でる手が止まって、躊躇いながらもゆっくりと離れたので、名残惜しく思いながらは顔を上げた。 スネイプは、当惑したような、照れたような、気まずそうな顔をしていた。顔を上げたに、ほっとしているようにも見えた。複雑な感情をこれほど一度に表情にできるのは、彼ぐらいかもしれない、とは密かに思う。 「ヨシヨシされたの、久しぶりだなぁ」 日本語で呟く。 あんな風に優しく頭を撫でてくれたのは、昔世話になった小学校の先生だけだった。 突然の日本語に、スネイプは怪訝な顔でを見る。 「ありがとう」 見上げて笑いかけると、彼は慌ててそっぽを向いた。 改めて思うと恥ずかしくなったのか、目が泳いでいる。 「………別に」 湿った黒髪の隙間から覗く左耳が赤かった。 たぶん、自分の顔も盛大に赤いだろうと思いながら、辺りを見回してふと気付く。ルーピンの立っていた辺りの本棚には、ファンタジー小説や古い詩集しか置いていない。ルーピンはともかく、このしかめっ面の友人の好みとは思えなかった。 「……アナタはわたしを助けてくれたのですか?」 本棚を指差して尋ねると、そのとき初めて彼もそれに気付いたらしく、可哀相なくらい赤くなって何事か言い訳めいたことを呻いた。 も益々顔を赤くしながら、もう一度「ありがとう」と呟いた。 2006/01/21 喧嘩腰ヒロイン。温和なぼんやり子設定ぢゃなかったのか自分。(駄目出し) なんかリーマスがヤな子でごめんなさい。狼ファンに殺されそうだ……ははは。って笑い事ぢゃないよコレ。 とりあえず、セブに「いいこいいこ」してもらいたかっただけ。セブ至上主義だから仕方ないとです。 |