名前は知っていた。
 顔も知っていた。
 編入してきたことも知っていた。
 ハッフルパフに入ったことも知っていた。
 それだけだ。
 接点なんてなかった、はずだった。

 最初は興味なんてなかった。
 片言の英語をときどき耳にして、小さく鼻で笑う程度だった。
 ただ、ある日ふと気がついた。
 彼女の周りから、あれほどいた人影が消えていた。
 少しだけ気にするようになった。
 友人たちは、“珍しい編入生”の彼女に飽きたのだと、すぐに気がついた。
 それなのに、少しも気にしていない様子で、ゆっくりと日々を過ごしていくのを見ていた。

 彼女はあまり、喋らなかった。
 片言の英語を、笑われるからだ。
 彼女はいつも大人しかった。波風を立てなかった。
 礼儀正しかった。
 少し臆病だった。
 見ているうちに、分かった。

 気がつけば、なんとなく彼女を眺めていた。

 興味なんてなかった。

 いつも、見ているだけだった。





 それが変わったのは、少し肌寒い晴れの日だった。

 既に把握しているあまり人に会わないでいられる廊下を、できるだけ選んで図書室へ向かっていた。
 人の気配に気を配りながら、早足で歩いていた。
 と。
 笑い声が聞こえてきた。
 聞きなれた、大嫌いな馬鹿笑いの声。

 奴らだ。

 急いで近くの柱に隠れた。
 悔しいが仕方ない。あいつらはいつも群れているから、一人では敵わない。いつか必ず、奴らには及びもつかないような強力な闇の魔術で、一生消えない呪いをかけてやるから、今はいいのだ。
 案の定、群れになった奴らは、げらげら笑いながらやってくる。

「ちゃんと見たか、シリウス?」
「見た見た。見事にずぶ濡れだったな、濡れ鼠ってのはああいうのを言うんだろ?」

 ポッターとブラックの、笑いに引き攣った声が聞こえる。

「まったく、すごいや! 僕だったらとても、ふたりみたいには上手くいかなかったよ! やっぱり2人はすごいなあ」

 おべっかつかいのペティグリューは、今日もご主人様に擦り寄っている。

「そう思うかい、ピーター? でも僕ら、やろうと思えばもっと派手にできるんだよ?」
「例えば?」
「例えば……そうだなー」
「やっぱ爆弾は欠かせないだろー。なあ、ジェームズ、もっと面白いやつ作ろうぜ」

 少しは別のことに頭を使えばいいものを、考え付くのは下らないことばかりらしい。
 あそこまでくると、いっそ哀れだ。

「でも、女の子にあんなことするのは、ちょっと酷かったんじゃない?」

 出た。偽善者ルーピン。
 にやにや笑いながら言っても、何の説得力もない。

「いいじゃねえか。どうせあんなとこ通るくらいだから、スリザリンだったんだろ?」
「彼女はハッフルパフだよ。それに、バッチリ顔を見られたじゃないか」
「それなら大丈夫だよリーマス。彼女確か留学生だろ。告げ口なんてまともにできやしないから」

 一瞬、息が止まった。

「ああ! あいつかあ! とろとろしやがって、苛々するよなあ、ああいうタイプ。俺、ああいうのきらーい」
「まあ、恨むなら自分のトロさを恨め、ってとこだね」

 遠ざかる声。
 角を曲がって消える後姿を確認したあと、走り出した。
 彼らが来た方向へ。





 彼女は、階段の下に立ち尽くしていた。

 位置からして、階段の上からバケツか何かをひっくり返されたのだろう。
 俯いているうえ、水に濡れた長い黒髪が邪魔で、顔は見えなかった。でも、泣いていることは、なぜか分かった。
 手から落ちた鞄の中身が、水溜りに散乱していた。
 声をかけようか迷った。だが、気の利いたことを言えるとは思えない。そのうえ、どうして慰めようなどと考えているのか、自分でも分からず、少なからず困惑していた。

 とにかく、階段を下りた。
 足音にぎくりとして、彼女が顔を上げた。
 涙は、水に濡れた頬でもはっきりと分かった。
 彼女はハッとして、袖で目元をぐいぐいと拭った。見ないふりをした。
 杖を取り出すと、彼女は訝しそうに首を傾げた。
 とろい。普通逃げるとか怯えるとか、そういう反応をするべきだろう、そこは。そんなんだから、こんな下らない悪戯になんかひっかかるんだ。そうは思ったものの、何も言わなかった。使い慣れた呪文を呟いて、杖を振った。
 水が、消えた。
 あっという間に渇いた髪や服に驚いたのか、彼女はきょときょとと挙動不審に周りを見回した。
 水溜りも消えたのを見て、僕を見て、杖を見て、服を見て、僕を見て。それから。
 それから、笑った。

「Thank you so much.」

 心底、嬉しそうに笑った。
 かわいたはずの涙が、またころりと転がったのを見た。

 僕は何も答えることができず、そのまま、散乱した荷物を拾い始めた。
 彼女は更に何かを言おうとしたようだったが、やはり口をつぐんで、一緒に荷物を拾い始めた。
 乾いてはいたが、インクなどは少し滲んでいた。教科書などは、読めなくはないがよれていた。あまり気にしていないのか、そういうフリが上手いのか、彼女は淡々と鞄におさめていった。古びた写真を一枚拾った。これは、何がうつっていたのか、よく分からないほどになって駄目だった。彼女はそれをしばらくじっと見ていたが、大事そうに胸ポケットに入れた。ちらりと僕を見たが、何も言わなかった。また泣くだろうかと身構えていた僕は、少しほっとした。

 すべて拾い終えて、僕たちは立ち上がって、それから2人とも長く黙っていた。
 何か喋らなくてはと思ったが、我に返れば何故僕がこんなことをと、少し苛立った。同情? くだらない。僕はそういうのが、一番嫌いだ。それなのに、何故。

「ええと、……ありがとう」
「…それはもう聞いた」

 何を言ったのか分からなかったのだろう。彼女は曖昧に笑った。
 僕は踵を返して、帰ろうとした。
 階段を1段、2段、のぼった。

「あの」

 のんびりした彼女らしい、あまり焦った様子のない声に、振り返る。

「お友だちに、なってください」

 唐突だった。
 彼女ははにかんだように笑っていた。少し緊張しているようにも見えた。
 いまどき、1年生だってこんなふうに率直には言わないだろう。呆れた顔に、なっていたかもしれない。
 けれど、そうでもしなければ、言葉の壁を感じている彼女は、うまく友達を作れないのかもしれない。きっと、唯一の手段だったのだろう。

「……………セブルス・スネイプ」
「え?」
「…それが名前だ」

 僕は、今度こそ振り返らずに階段をのぼっていった。

「えと、わたし、です!」

 追いかけてきた弾んだ声に、少し笑った。
 聞こえないくらい小さな声で、「知ってる」と呟いて。



 前から名前は知っていた。
 顔も知っていた。
 編入してきたことも知っていた。
 ハッフルパフに入ったことも知っていた。

 けれどこれが、出会いといえば、出会いだったのだろう。




















2005/12/28

 セブ一人称。
 ってか、この連載ではポッターくんたちは、基本的に敵だし悪なので、お気をつけください。
 これからバトルする機会とか結構増えるかもですし。
 そのたびに結構酷い表現を使うので、悪戯仕掛け人スキーさんには、ご不快かもしれませぬ。
 私、スリザリン贔屓なので。