「セブルスがさあ」

 ぼんやりとした調子で声を発するが、彼はぴくりとも反応しない。
 相変わらず、レポートの採点に向き合ったままだ。
 カリカリ。カリカリ。羽ペンの尖った先端が、羊皮紙を引っ掻く音。
 パチパチ。パチン。赤々と燃える暖炉の火が、小さく控えめに爆ぜる音。
 大きなソファでごろんと横になったの、規則正しい呼吸音。
 そういうものでつくられていた“沈黙”を、は躊躇いなく破った。沈黙は心地よいけど、それに浸っているより彼に聞きたいことができたから。

「黒だとするじゃない」

 彼にも見えるようにと、腕を天井に伸ばして掲げてみせた、何の変哲もない黒のクレヨン。
 非魔法界のものだから、何の変哲もないという言葉に間違いはない。性能も、見た目を裏切らない平凡さ。
 夏休みに、ロンドンの街で買い物をしたとき、入学祝いのセールか何かで格安になっていた。12色が長方形の平たい箱につめられていたもの。それを何の気紛れか、理由など今のはまったく覚えていないが、買い物籠の中に追加した。
 そんなこと今の今まで忘れていたのだが、今日部屋を掃除していて引き出しの奥から掘り出した。
 ほんの少しも使われていない、新品のままのクレヨン。
 見れば見るほど、というか、どこからどう見ても、ただの黒のクレヨン。それを改めて色んな方向から観察してみる。
 箱の中には、あと11色残っている。

「わたしは何色だと思う?」
「知るか」

 即答、だった。
 もう少し考えてくれたっていいじゃない、とは頬を膨らませる。そして、ぷうぅーっとぺしゃんこに戻す。
 彼はペラと採点の終えたレポートをどけて、やけに大きな字で書かれたレポートを引き寄せた。ザッと目を通して、軽蔑に眉根の皺を深くする。

「あーー…」

 疲れてきた手をクレヨンごとパタリと下ろす。
 胸の上で黒いクレヨンを弄んだ。

「ってか、セブが黒っていうのもあやしいよね」

 黒は優しい。
 いろんな思いを、その色で隠してくれる。すべてを拒絶していて、すべてを受け入れている。どんな色も、黒を染め替えることはできない。
 それでいて、黒は恐ろしい。
 孤独、不安、喪失感、虚無感。それらすべてのマイナスなイメージと結びつく。白とてそれは変わらないのだけど、連想させる“何もない”状態は、甘美なようで恐ろしい。
 彼に、ぴったりな色だと思う。
 けれど。

「コーヒー色、ってのもありなんでない?」

 徹夜の日に飲む、素晴しく濃いやつ。
 苦くて、どうにも美味いとは思えないのに、なくなってしまえばすぐに恋しくなる飲み物。
 苦味に隠された、緩やかな穏やかさ。気持ちに余裕が生まれる。そんな飲み物。
 思いを、正反対の行為でしか表せない男には、やはりぴったりな色。

「どうなのよ、その辺」
「知るか」

 即答。

「テメこら。そうやって付き合いを大事にしないから、友達がいないんだよチミは」
「ひとがレポートの採点で忙しいというときに、優雅にソファでくつろいでクレヨンなんぞで遊んでいるお前は、果たして付き合いが良いと言えるのかね?」
「……採点を手伝えと?」
「お前にさせたら0点のレポートが120点になりかねん」
「じゃあ言うなよー」

 ふん、と鼻で笑われて、はぶすっと剥れた顔をした。
 視界の端に映った、にやり笑いが憎らしい。

「あーあ、残念。コーヒー色は、12色クレヨンには入ってませーん」

 黒を箱の一番端のくぼみにしまう。

 あとで、ここ地下へと続くあの長い階段の壁に、この色で落書きをしてやろう。
 そんなことを決意して、箱の蓋を閉めた。

 黒のようでもあり、コーヒーの色のようでもあり、それでいて他の色でさえあるような、男。
 その男がいつのまにか、レポートから顔を上げて此方を見ている。
 細めた目が、あんまり穏やかなものだから、

「ん?」

 不機嫌も忘れて、笑んでしまう。

「さっきの問いだがな」
「……ああ、うん」

 わたしは何色?

 そういえば、先程、自分はそう問うた。思い出すのに、2,5秒かかった。
 の中で、沈黙を破るだけの価値があったはずの問いは、もうほとんどどうでもよくなりかけていたから。
 けれど、彼にとっては、突然答える価値のあるものになったらしい。
 そして彼は、なんの躊躇いもなく口を開いた。
 まっすぐに、の目を見て。

「何色だろうがお前はお前だから、そんなことはどうだっていい」

 ……。

 まったく。
 その通りなんですけど。

 そんな目で、そんな声で、そんな言葉は、あまりにも不意打ち。
 そんなことを言われたら、わたしは死んでしまうじゃないか。

「…ぇ………ぁ…」

 肌という肌を真っ赤に染めて硬直したまま、声の出ないに、彼、スネイプ教授は小さく微笑んで。

「だから、腹いせに壁に落書きしようなんて考えるなよ」

 しっかりと釘を刺した。





 その翌日、地下への階段の壁に、真っ白なクレヨンで大きく書かれた“ドスケベ”の文字が発見され、情け容赦ない拳骨を頂戴したのはまた別の話。




















2005/03/30


 クレヨン。
 アップしていたのがあまりにも拙すぎて恥ずかしかったので、
 書き直してみました。