ひらひらと薄桃色の花弁が舞う。 春。 爽やかな風は、日本もイギリスも同じで。 少し、嬉しい。 木陰にごろりと寝転んで、目を細めた。 眩しい。 でも、揺れる花弁とその間から見える青空のコントラストから、目を離すのは勿体無くて。 空を掴もうとするように手を伸ばせば、堕ちてきた花弁が指先を掠める。 「春ですねえ」 独り言のように呟いた。 途端。 ふん、と鼻で笑われた。 近くで本を読んでいる彼に。 「当たり前だ」 なんとも味気なく、しかし彼らしい言葉。 「ほんとに、桜みたい」 桜によく似たこの木は、アーモンド。 よく見れば違うのが分かる。 それでも日本の風景に重なって懐かしい。 「・・・確か日本は、この次期に桜という花が咲くのだったな」 目は本の頁から離さずに、彼は言った。 「うん。きれいなんだよ。近所にも並木道なんかがあって」 入学も進学も卒業にも、いつも桜があったから、日本の友達の名前が次々と頭に浮かぶ。 みんな、元気にしてるかな。 手紙も出せないでいるけれど。 「帰りたいか」 思わず空から目を離せば、彼のいつもの横顔が見えた。 「日本に」 お父さんもお母さんも、もういなくて。家もなくて。 イギリスに住まわせてもらっているから帰る機会なんてない。帰る場所さえ、ない。 帰る、って言葉が適切なのかも、分からない。 あの懐かしい家は、もうわたしの家じゃなくて。 それでも。 ああ、それでも。 「うん」 あの桜の並木道を歩きながら、もう一度夕飯のことなんかをのんびりと考えたい。 あの桜の並木道を歩きながら、友達と数学の宿題の心配なんかをしたい。 無理なのは分かっているし。 ここに来たから、この人に出会えた。 それでも。 ああ、それでも。 「帰りたい、かな」 そう思うのは罪だろうか。 彼はしおりを挟み、本を閉じた。 わたしと同じように、ごろりと横になる。 似合わない。 だけど、わたしの前だから、そういうこと気にしてないの知っているから、嬉しい。 笑って、少しだけ擦り寄った。 二人で薄桃色と澄んだ青のコントラストを眺めてた。 「・・・まだ、ある」 彼が言う。 「?」 「日本のお前の家は、まだお前が出て行ったときのままだ」 驚いて身を固くする。 けれど、彼の表情はこんな場所でもいつもと変わらない。ちょっと不機嫌そうな顔。 「ダンブルドアの配慮でな」 私も最近知った、と彼は付け足した。 喜びの声をあげようとしたとき、気付いた。 今まで、何故教えられなかったのか。 「そっか。帰っても誰もいないんだ」 お母さんとお父さんがいないそこは、きっととても寂しい。 「来週、出かけるぞ」 彼の口調と今までの話題から考えて、行き先など決まっている。 「でも」 「なんだ。私では不満か」 意外な言葉に、わたしは彼の横顔から目が離せないでいた。 彼はちらりとわたしを一瞥しただけで、空ばかり見ていた。 たぶん、今の科白に自分でとても照れてる。 「お、お願いします」 わたしは何とかそれだけ言った。 彼は無愛想にひとつ頷いた。 この人といるなら、きっとどこでも寂しくなんてないだろうなあ。 そう思った。 「ああ、そっか」 アーモンドの花が、ふわりと額にのった。 「あなたのそばが、わたしの居場所なんだ」 何があっても、ここには帰ってくるよ。 「当たり前だ」 なんとも味気なく、しかし彼らしい言葉。 わたしには、とても優しい声音に聞こえたけれど、気のせいだろうか。 fin. 2004.2.27. |