01 恋に恋するお年頃 魔法薬学が好きだった。 けれどそれは何よりも難解で危険で繊細だから、幼いわたしは魔法薬学に精通する人を無条件で尊敬した。 しょっちゅう質問に行った。 煩がられるほど熱心だった。 スリザリンだからか、さほど邪険にはされなかった。 純血主義でなく(無論、それを装ってはいたが)、寮の生活を少々窮屈に思っていたわたしも、そのときばかりは組み分け帽子に感謝した。 地下室に入り浸るようになって数年、お茶を出してくれるようになった。 薬学以外の世間話もした。 彼は薬学以外にも様々な学問に精通していて、自分の視野の狭さを恥じた。 さらに数年。 とうとう首席を取った。彼は喜んでくれた。よくやったと言ってくれた。笑ってくれた。 恋をした。 彼は嫌われていた。恐がられていた。わたしは尊敬し、崇拝していた。恐くなどなかった。誇らしかった。誰もが好きになれない人を、こんなにも好いている自分が誇らしかった。まことしやかに囁かれる悪い噂や暗い過去も、彼を彩る装飾にしか見えなかった。 思いを伝えようと思った。 受け入れられる期待もないわけではなかった。 この学校の誰よりも彼と親しい自信があった。彼のことを最もよく知り、最も彼に気に入られている生徒だという自負があった。 どきどきした。うきうきした。毎日が楽しかった。初めての恋に、頬を染めた。少しおしゃれを気にした。誰にも言わなかった。けれど友人はにんまりと笑った。恋をしてるね、お嬢さん。そうだよ、と笑った。ひみつだけどね。 そう。恋をしていた。 その日、いつもと違う彼に出会うまでは。 雨が降っていた。 ざあざあ、ざあざあ、と前の晩からずっと止まない。 休日の学校は、全寮制のホグワーツといえども静かなもので、誰もいない廊下にはただ雨の音だけが響いていた。 彼はいつもと同じ漆黒のローブに身を包み、窓枠に腰掛けていた。 無駄や無意味を嫌い、常に何かの目的に沿って活動する彼の主義に反し、その横顔はぼんやりと外を眺めている。 そしてその手には、あまりにも意外なマグルの嗜好品。 それはわたしに衝撃を与え、同時に小さな喜びをもたらした。好きな人の新たな一面を見つけるのは、恋する乙女の喜びに他ならない。 彼はわたしに気付いていないらしく、ゆっくりとそれを吸い、溜息をつくように吐いた。ゆらゆらと白く色づいた吐息が揺れた。苦い香りが風にのって届いた。心臓がばくばくとうるさかった。長い間、その光景に見惚れていた。 しかし発見の喜びは、次第に得体の知れない不安へと変わった。 孤独な彼に惹かれていたのは本当だ。けれどその横顔は、孤独などという単純な一言で表現するにはあまりに寂しすぎた。 「あの…」 静寂と不安に耐え切れず、小さな声で呼びかけた。 無反応の横顔に、一瞬聞こえなかったのかと思ったが、しかしゆっくりと彼はわたしに焦点を合わせた。 「………」 「…せんせ?」 そのときの彼の顔を、わたしは忘れることができない。 無意識だったのだろう。無自覚だったかもしれない。煙草の紫煙よりも儚く消えたが、しかし痛いほど目に焼きついた。 落胆。 それはざっくりと、やわらかなわたしの心臓を傷つけた。さあっと血の気が引いた。 彼が声をかけてほしかったのは、わたしではなかったのだ。 「…ああ、君か」 彼はそれ以上の動揺を見せなかった。わたしに気付き認識したが、煙草を消すこともなかった。 傷つき、動揺していた幼いわたしには分からなかったが、今思えば、わたしはそれを許される程度には、心の許せる相手だったのだろう。存外、幼い自負も的外れではなかったということだ。 「…意外かね」 「え?」 先ほどの彼の表情が思考に纏わりついて、何を問われたのか分からなかった。 そんなわたしを静かに見やって、彼はうっそりと笑った。 「私がこれを吸うのがだよ」 わたしはおずおずと頷いた。 動揺を取り繕うように「ちょっとだけ」と付け足したが、余計だったかなとすぐに後悔した。だけど、彼はわたしの返答など、どうでもよかったのかもしれない。彼はまた、遠く窓の向こうに目を戻した。 「学生のころから、隠れて吸っていたんだ」 「…それは」 「無論、規則違反だし、まあ、大袈裟に言うと、犯罪だな」 くつくつと喉をならして笑う。 けれど少しも楽しそうに見えなかった。 「意外かね」 「はい。…ちょっとだけ」 無理に微笑むと、彼も口許を歪めて笑った。少しだけ悲しそうに見えた。 やがて、静寂が戻った。 わたしは立ち去ることもできず、そっと、できるだけ足音を立てないように気を付けて、その横に立った。どうしてあんなにも、純粋であれたのだろう。自ら傷つきに行くなど、今のわたしにはできない。 彼の座る窓辺からは、やはり雨しか見えなかった。 ざあざあ、ざあざあ。 見事な土砂降りだ。 「何を、見てるんですか」 気がついたら問うていた。最も口にしたくない質問を、けれどわたしは口にしていた。 答えなど聞きたくなかったのに。 「………雨だ」 簡潔な答えは事実だけれど、真実ではなかったろう。雨のみを見ていたにしては、目の焦点があまりにも遠い。 雨が邪魔で景色もろくに見えない。 土砂降りの雨。 わたしにはそれしか見えないが、彼には別のものが、そこに見えているのかもしれない。 その想像は奇妙なほど、わたしを悲しくさせた。 「雨は、好きですか」 わたしはじっとその横顔を見ていた。 彼は長い間答えなかった。 遠い、遠い目で、じっと外を見ていた。 口を開いても、彼は表情を変えなかった。先ほどと同じ横顔。同じ表情。けれど、わたしは、その瞬間のその横顔を、 「…大嫌いだ」 見なければよかったと思った。 そうすれば、幼く微笑ましいその恋を、口にすることもできないまま失わずにすんだのだ。 (080328) 02 甘やかな片想い ビル・ウィーズリーとは友人と言える仲だった。 性格も趣向も価値観も違うが、なんとなく馬が合うのだ。きっかけはもう覚えていない。ホグワーツ特急でコンパートメントが一緒だったとか、授業中にペアを組まされたとか、よくあるそんな話だっただろう。わたしはスリザリンで彼はグリフィンドールだから、人前ではろくに挨拶も交わせないが、一瞬の目配せで事足りる程度には親しかった。 いつだったか、わたしがひとりの生徒としてスネイプ先生を崇拝していることを話した。流石に異性として好きだとは言えなかったが。 彼は率直に理解不能だと言った。いかしそれ以来、少なくともわたしの前では彼を悪く言わなくなった。ビル自身はセブルス・スネイプという人を好ましい目で見ることはできないが、彼を好ましく思うわたしにその価値観を押し付けようとはしなかった。そういう点では、彼はわたしよりはるかに大人だったのだろう。 ある日、人気のないところに呼び出された。 今までそんなことはなかったので、何事かと急いで行った。 「どうしたの?」 彼はそわそわと周りを見回して、人がいないのを確認するとわたしの手に素早く何かを握らせた。 「ウチの2年生たちが拾ったらしいんだ。廊下を走っていたところに運悪く正面衝突して、しこたま減点された後に、ね」 「つまり?」 「全速力で走ってたから、両者とも思い切り尻餅をついたそうだよ」 「…なるほど」 銀色の懐中時計だった。 「確かに、先生が使ってるのによく似てる」 「だろ?」 「分かった、返しとくね」 「頼むよ」 グリフィンドールが届けに行ったら、いろいろと難癖つけて減点されるのは目に見えている。 恋は盲目とはよく言ったもので、そういう見境のないところも、そのときのわたしはまったく気にならなかった。所詮、スリザリンのわたしには他人事でしかなかったのだ。 「これ、お礼」 彼は照れくさそうに笑って、いちごのキャンディくれた。さっそくぱくりと口の中に放り込んで、にっこり笑い返した。 いちご味のキャンディは、わたしの大好物だった。覚えていてくれたのが純粋に嬉しかった。 あの土砂降りの日に、わたしは幼い恋を失った。 彼が雨の向こうに見ていたものには到底敵わないと分かってしまったのだ。わたしは告白を諦めた。答えはNOだと分かりきっている。たとえYESであったとしても、それはいくらかの妥協や諦念を伴い、わたしの望む恋愛とは違うものになっただろう。そんな後味の悪い決着を無理矢理つけてしまうよりも、教師と生徒という良好な関係を保っていたいと思った。 しかし、諦めたと言っても、簡単になかったことにはできなかった。中途半端な気持ちのまま、いつもどおり地下室に入り浸って、彼に変わらない態度で接して、気がつくと数ヶ月が過ぎていた。 ころころと口の中でキャンディを転がしながら、早速行きつけの地下室へ出向いた。 しかし、その重厚な扉は固く閉ざされていて、ノックをしたあと長く耳をすませてみたが留守のようだった。珍しい。 がっかりしたが、仕方ないので明日にすることにした。 寮に戻り、天蓋付きのベッドに体を投げ出して、手中の時計を眺めた。 使い込まれたもののようで、あちこちに傷がついていた。蓋を開くと、素っ気なく「S・S」とだけ刻まれてある。そこでようやく、違和感に気がついた。 かの人はああ見えて意外と高級志向だ。安物を使って何度も買い換えるより、多少値が張っても長く使えるものを選ぶ。実際、靴もローブもかなりのものだ。愛用している羽ペンなど、うっかり折るのが怖くて触れもしない。 しかし、これだけはどう見ても安物だった。 秒針の音はあまりに頼りなく、薄っぺらい蓋はところどころへこんで、小さな傷が白く線を引いていた。それでも大切にしているのか、錆びたところはない。 効率と実益を優先するセブルス・スネイプが、肌身離さず身につけている安物。 そのひどい違和感がわたしに与える得体の知れない不安は、覚えのあるものだった。煙草の苦い香りまでもが蘇り、知らないふりはできなかった。 あの大雨の日の、ぼんやりと物思いに耽る横顔。 窓の外の、何も見えない景色。 純血主義をはらむスリザリンの寮監にあるまじき嗜好品。 同じものだと、直感で分かった。 「よりにもよって…」 諦めきれない思いを抱えて苦しんでいるときに、どうしてとどめを刺すように、よりにもよってわたしの手元に飛び込んでくるのか。 彼の特別な“誰か”との思い出が、手の中で嘲笑うように時を刻んでいた。 わたしの恋を、この小さな時計はどうしてこんなにも簡単に弾き飛ばしてしまうのか。わたしの片思いよりも、ずっと美しくずっと重みのあるものだったのだろうか。その“誰か”は、わたしが思うよりもずっと彼を大切に思っていただろうか。わたしよりずっと彼を理解していたのだろうか。それとも、ただ単にわたしの思いが、わたしが思うような美しいものなんかではなく、わたしが思うよりもわたしは彼を理解できていないというのだろうか。いちご味のキャンディのように、ただ甘ったるいだけの片思いなのか。 ぎゅっと時計を握り締めた。そんなことはないはずだ、誰よりも彼を思っていると、わたしは自分に何度も言い聞かせた。認めたくなかったのだ。彼への恋を思うときに胸を支配していた喜びがおそろしいほど優越感に似ていたことや、地下室で彼と薬学の話をしているときよりも、グリフィンドールの少年とのほんの束の間の会話の方が楽しかったことを、自覚してしまえばそれで何もかもが終わってしまう気がして。 せめてもの意趣返しとして、このまま何も言わずに持ち去ってしまおうか。 ふとそんな浅ましい考えが浮かんだ。彼がひどく大事に抱え込んでいる“誰か”の思い出の品をひとつ、彼の手から奪ってしまおうか。恋を奪われたばかりのわたしには、それは正当な対価のように思えた。それで少しは溜飲も下がるだろうと思った。思い込もうとした。 ッ ッ ッ ッ ッ ッ ッ ッ ッ ッ ッ ッ ッ ッ ッ その時限爆弾のような不気味な音が、際限なくわたしを責めた。 その日の夕食は、心臓がいやな旋律を刻み、教員席を直視することができなかった。 左ポケットがひどく重い。大して重みなどないはずの小さなそれは、ずっしりとした存在感をわたしに示し続けた。 「顔色悪いわよ。ほんとに大丈夫なの?」 「へいき」 不自然なほど黙り込んでいるわたしを見て落ち込んでいると思ったのだろうか、友人たちが何かと気を使って話しかけてくる。今はそれさえも煩わしく、気のない返事を返しながらサラダをもそもそと食べた。ドレッシングが塩辛い。 「眉間に皺よせちゃってまあ」 「スネイプ先生みたいね」 くすくすと笑い合う、他愛ない会話さえひどく怖かった。 「そういえば、スネイプ先生どうしたのかしらね」 向かいの子が首を傾げた。自慢のブロンドがふわりと揺れた。 意味ありげに目配せをされて、仕方なく顔に笑みを貼り付けた。おそらく彼女は、わたしが彼を好いていることを知っている。当たり前だ。わたしは誰にもそれを打ち明けなかったけれど、そうと分かるような発言や行動を何度もとった。彼らの視線が気持ちよかった。優越感は蜜よりも甘くわたしを捕えた。秘密だなんて、そんなものは装飾に過ぎなかった。 気がついてしまえば、わたしという人間は何もかもが恥ずかしいほどに薄っぺらい。 「先生がどうかしたの?」 「だって、この時間にまだ大広間に来てないなんて、珍しいじゃない」 驚いて顔をあげると、確かに教員席のそこには誰もいなかった。 視界に入れまいとしていたから、まったく気付かなかった。今もし彼があの時のような横顔をしていたらと考えると、怖くて仕方なかったのだ。 「あ、あたし知ってるよー」 隣の女の子がにまにまと笑った。 「ここに来る前すれ違ったもの。廊下をうろうろして、何か探してたみたい。切羽詰った顔してさ、ワケアリって感じ?」 ――…大嫌いだ。 脳裏に、あの横顔が過ぎった。 胸が痛い。 そのとき、教師とか生徒とか、恋とか憧れとか、そんなものとは関係のないところで、わたしの胸は痛んだ。ひとりの人間として、セブルス・スネイプというひとりの人間が、たった一人であんな顔をしているということが、痛ましくて仕方なかった。 ポケットの中のそれを握ると、気のせいか僅かな熱を持ってわたしを迎えた。 そう、お前も帰りたいのね。 「…どうしたの?」 突然フォークを置いて立ち上がったわたしに、向かいの子が目を丸くして尋ねた。 こげ茶色の彼女の目の中に、歪んだ微笑みを浮かべたわたしが映っていた。 これで、この恋とは本当にお別れなのだ。単純で明快で子供だましの甘ったるい恋を失い、残されたのは苦い痛みだった。けれど悲しみではない。涙もでなかった。 「返してくる」 いちご味の対価にするには、あの横顔はあまりに苦く、悲しすぎたのだ。 (080329) 03 愛と恋の違いについて述べよ 「むずかしい質問だね」 「そうお?」 白い趣味のいいティーセット。ソーサーを片手にカップを覗き込むと、赤い水面に困り顔の自分が映っていた。 対して、リリーは楽しそうに微笑っている。 「リリーはどう思うの?」 「あら。質問を質問で返すなんて反則よ」 「おねがーい」 「仕方たいわねえ」 思案するように、若葉色の目が宙を泳ぐ。 「恋は堕ちるもので、愛は育むもの、かな。恋はよそからやって来るものだけど、愛は最初から手元にあるものよね」 「なるほど」 微笑む。結婚間近の彼女は、色々と考えるところがあるのだろう。 部屋の奥に掛けてある、真っ白なドレスを見遣った。繊細な白いレースが、幸せそのもののように輝いて見えた。 「恋は」 口からするりと言葉が落ちた。 「糸のイメージ」 「糸?」 「そう。たった1本のライン。ときどき誰かと交差したり、結び合ったり、からまったりするの」 「なるほどね。…じゃあ、愛は?」 「布のイメージ」 「織りものなのね」 「そう」 2本以上で少しずつ織るもの。木綿になるか、絹になるか。上手くいけば、きっときれいなレースにだってなる。 そしてもしかしたらいつか、美しいドレスに。 「それに糸は結びつけるもので、布は包むものでしょ?」 「…詩人ね」 やわらかく笑い合う。 彼女の旦那さまは、犬の散歩からまだ帰って来ない。 (080331) 04 雨音に閉ざされてふたりきり 夜の見回りは、実は散歩も兼ねている。 絵画も眠りに着いた静かな廊下を、灯りもつけずにゆっくりと歩くのが好きだった。しんとした空気が肺を満たすのを楽しんだ。 けれどその日は見回りに出たことをさえ後悔していた。 どうしてここまで来るまで気付かなかったのか。いつもならいち早く勘付くのに、溜まっていたレポートの採点で疲れていたのか。つい先ほどまでのんびり歩いていた自分が腹立たしく、見回りに出る背中をじっと見ていたくせに何も言わなかった彼女にも腹が立った。何でもないふりをして、一瞬見せた縋るような目を思い出した。 ざあざあ ざあざあ 雨の音が過ちを責める。 うるさい黙れ。そんなことは私が一番よく分かっている。 早足に、ほとんど走るようにして自室に戻る。硬質の足音が、静寂に高く響き渡る。普段は何とも思わない距離が、ひどく長く感じられた。 ようやく辿り着いた階段の前でようやく速度を落とし、息を整えながら地下へ下りる。慣れ親しんだ重い扉に手をかけると蝶番が軋む音が響いた。暖炉の火も消え灯りの落とされた部屋は、しんと静まり返っている。 それでも眠っていないと確信していた。それが彼女だ。 マフラーと上着をソファに脱ぎ捨てて、その部屋の前で耳をすます。物音はしない。 できるだけ音を立てないようにそっとドアを開く。灯りは消えていた。闇に慣れた目を細める。予想したままのシルエットに、小さく溜息をついた。 ベッドの上で膝をかかえて小さくなっている。 痛みを見せまいとする子どもの姿だ。けれど気付いてほしいという我侭も抱えている。 孤独に怯える彼女を見ると、いつもたまらなくなった。 そっと近寄って、ベッドに浅く腰掛けた。スプリングが沈む。気付いていないはずはないのに、彼女は顔を上げない。肩の上下を見る限り呼吸は深くも浅くもなく、眠っても泣いてもいない。 黙って待った。こんなときに相応しい言葉など知らない。そんなものを求めてもいないだろう。 部屋に静寂が戻った。 ざあざあ ざあざあ 遠く雨の音だけが響いている。 静まり返った地下室は雨の音がよく響く。それが夜の見回りを始めたそもそもの理由だったのを思い出した。思い出に引きずられそうになると、気を紛らわせるため外に出る。見咎める者がいないのをいいことに煙草を吸う。それがいつのまにか習慣になった。この部屋でひとりきり、静寂を友としていた頃に。 雨の夜は、自分の罪を思った。あの日の別れを思った。死んでいった者たちを思った。どこで何を間違ったのかを繰り返し考えた。どうすればよかったのかなんて、今更どうしようもないことばかり考えた。答えなど一度も出なかった。そんな自分を嫌悪するあまり、涙することも躊躇われた。雨の日は嫌いだった。 同じ静寂の中で、彼女は何を思っただろう。 遠くで響く土砂降りの音。 彼女が黙ったまま、動いた。 肩と肩が、触れた。 外から帰ったばかりの冷え切った手の上に、あたたかな手の平が重ねられた。 すがるように、確かめるように、ぎゅうぎゅうと強く握られる。この手は血塗れて汚れているのに、こんなにも冷え切っているのに、彼女はそんな温もりをいつも当然のように求めてくる。喜びとも悲しみとも哀れみとも言えないもので、胸がつまる。 そっと指を絡めて、握り返した。 (080401) 05 最大限の愛を以って 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「………なんだ」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「………なんだ、じゃ……ないでしょ」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……要らんなら捨てろ」 「要る」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………そうか」 「…………うん」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……これ、サファイア?」 「………知らん」 「…えー」 「……………」 「……………」 「………入って、見て、それが一番よかったんだ」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………笑うな」 「……っ………むり…」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………泣くな」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………むり」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「…照れないでよ」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……なんで、青にしたの?」 「…………イメージ」 「わたしの?」 「……………」 「……へえ」 「……なんだ」 「意外」 「なにが」 「赤っぽいって、言われる」 「だれに」 「みんなに」 「そうか?」 「そうだよ」 「………なんで」 「………知らない」 「……………青だろ」 「………そうなの?」 「……そうだろ」 「…なんで?」 「…………なんとなく」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………ねえ」 「……………」 「……………」 「……………」 「………どの指にはめて欲しい?」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「…好きにしろ」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………」 「……………できれば」 「……………」 くすりゆびに。 (080401) お題 >> 不在証明 |