「適当に座ってろ」 と言い捨てて姿を消した後姿に、は苦笑するように顔を歪めた。 それにしても、なんなんだろうこの部屋は。 いや、別に部屋が汚いとかそういうわけではない。独り身の男性としては、驚異的なほど片付いた部屋だ。 しかしその原因といえば、極端にも思える生活感の無さ。ダイニングだと思われるところに、ソファと小さなテーブルと本棚しかないのはどういうことだ。 「らしいと言えば、らしい、か」 呟いて、今度こそ笑う。 とりあえず、向かい合うように配置されたソファの片方に腰をかけた。 「座っていろ、と言わなかったか?」 本棚から勝手に本を引っ張り出してはパラパラと開き、元の位置に戻しまた別の本を取る。落ち着かない後姿に、キッチンから戻ってきたスネイプは、眉間に皺を寄せた。不機嫌なわけではない。癖である。 振り返ったは、困ったように頭を掻いた。 「暇なんだもん」 「ガキかお前は」 片手に持ったトレイを、向かい合うソファの間にある背の低いテーブルに置いた。 白いカップがふたつ。クッキーの類らしい包みがいくつか。 「うわ、どしたのコレ」 「あ゛ぁ?」 「セブルスの家にお菓子があるなんて、実はダンブルドアが編みぐるみコレクターですってくらいありえない」 「………いらんなら食うな」 どさ、とソファに座ったスネイプは一度をジロと睨みつけると、そっぽを向いてしまった。 は懐かしさに胸が熱くなる。 ああ。照れた仕草は変わらないんだね。 「ときどきはこんなのも食べてるんだ?」 からかえば、彼はハッと鼻で笑った。 「2・3年前に同僚から貰った旅行の土産だ。味も安全も保証せん。腹でも壊してしまえ」 「うわなんか言い切っちゃったよこの人。それってオキャクサマに対してどーなの」 「久しぶりに会った友人を突然罵倒するのは客としてどうなんだ」 「そりゃまあ、高得点でしょう」 「そのとち狂った価値観をいい加減どうにかしろ」 「やなこった」 「意地を張るのはやめて、カウンセリングでもひとつ受けてはどうかね。同窓のよしみだ、いつでも医者を紹介してやる」 「セブルスと知り合いの医者なんて、有無を言わさず解剖されそうだからもっとやだ」 「口が減らない奴だ」 「増えてもないけどね。生憎あたくしお口はひとつしか持っておりませんの、おほほのほ」 呆れ果てた顔を一瞥しながら、は澄ました顔で紅茶を飲んだ。 美味しい。 その腕は相変わらず、超一流のようだ。彼のことだ。きっとあらかじめポットやカップを温めたり、蒸らす時間を秒単位で気をつけたりと、色々なこだわりがあるに違いない。この分では、薬学好きも変わってはいないのだろう。 「今は何やってるの?」 研究者なんかに向いてそうだと、昔からつくづく思っていた。 これでホテルマンとか言われたら最高に笑えるのだが。 「なんだ、ダンブルドア辺りから聞いていないのか?」 訝しげに問われて、は素直に頷いた。 途端に苦虫を噛み潰したように顔を歪めて、「わざとだな…」などとぶつぶつ悪態をついた。 カップに口をつけながら此方の様子を窺っている期待に満ちたの視線に気付くと、ばつの悪そうな、躊躇うような、複雑な顔をしながらも、低い声で白状した。 「教師だ」 ぶはっ!! せっかくの紅茶を吹いてしまった。 「汚い!」 思わず叫んだスネイプに、片手でごめんごめんと謝りながら、は咳き込む息を整えた。 その間に立ち上がったスネイプは一端キッチンに姿を消し、の息がようやく整い始めた頃戻ってきて清潔そうな布巾を投げつけた。それを顔面で受け止めたは、濡れたテーブルやら服やらを拭いた。 「でも、き、教師って…」 「ホグワーツで魔法薬学を教えている」 「え、じゃあ」 「スリザリンの寮監だ」 「うわあ…」 こんなのが寮監で大丈夫なのかスリザリン。 その思いは顔にも出ていたらしく、スネイプは益々不機嫌そうな顰め面をつくった。だが文句を言わないあたり、自覚はあるらしい。 「でも、まあ、ほら、腕は一流だしね」 少し不憫になって、フォローするように言う。 「腕しかないような言い方だな?」 スネイプは受け付けない。口は勿論のことへの字にひん曲がっている。 は「そうか、教師かあ」と呟きながら、菓子の袋をぺりぺりと破いた。プレーンクッキーだった。 一緒に、授業を受けて、宿題をして、テストを受けてたあのセブルス・スネイプが、就職してお金を稼いで生活している。 「大人になったんだね」 当たり前のことだ。 けれどには、不思議なほど新鮮なことだった。32にもなれば勿論そうだろうとは思っていたが、本当の意味で理解してはいなかったのだろう。 それは時の流れを否応なく感じさせ、同時に穏やかで、寂しかった。 「お前もハタチだろう」 静かな声。 けれどふたりは、その言葉がもたらした胸のざわめきに、同時に気付かされる。 同い年だったのに。 12も年が離れてしまった。 不自然に落ちた沈黙が、痛い。怖い。 は、誤魔化すように笑みを浮かべる。 「セブルス老けたねぇ、って話だよ。わたしまだピッチピチだもん。羨ましいでしょ」 スネイプは鼻で笑いながら目を逸らした。 羨ましいかと聞かれて、当たり前だと言いかけた言葉は呑みこんだ。羨ましくないはずがない。その若さがあれば、これほどに時を経ていなければ、この距離に身悶えず迷いなく走り寄れただろう。 だが、もう遅い。 「お前は、痩せたな」 がきょとんとした顔をする。 「きゃーセブルスに褒められちゃったーどうしよう感激ー」 「褒めてない。お前の場合痩せすぎだ。……それとも」 スネイプは目を細める。 確かに昔から小柄ではあったし、小突くだけでよろけそうな頼りなさはあったと、記憶しているが。 これほどまでではなかったはずだ。これでは、よろけるどころか折れてしまいそうだ。 「やつれた、と言った方が正しいか?」 今度はが目を逸らした 「女性に対してちょっと失礼なんじゃない? 別になんでもないよ」 「何があった?」 ぴく、との肩が震えた。 何があったかなど、ダンブルドアから聞いて知っている。だから、この問いはそれを尋ねるものではない。 それが、彼女にとって、何であったのかが問題なのだ。どんな意味を持っていたのか。どんな風に感じ、どんな風に思っているのか。 「」 促す声に、彼女が口を開く。 「ねえ」 穏やかな声は、縋るようにも聞こえた。 「約束を覚えてる?」 ぎくりとした。 けれど、それを顔には出さなかった。 「どの約束だ?」 いつもの声で尋ねた。 「お前とは、たくさん約束をしたからな」 「…あのね………」 静かだ。 2人とも動かない。 スネイプは黙って待っている。 やがて、ゆっくりと、ゆっくりと、が顔を上げる。紅い瞳を揺らして、僅かに口を開く。 「わたし、」 カツカツカツ カツカツカツ ハッとして振り返ると、窓に鳶色の梟が止まっている。 盛大に舌打ちして悪態をつきたい気分だった。もう少しだったのに。 苛立ちを抑えながらも早足に窓に寄り、窓を開ける。梟は手紙を渡すと、さっさと飛び立っていった。 チップを貰おうとしない辺り、よく躾けられている。 封筒をひっくり返して差出人を見ると、薬学学会からだ。十中八九、先日発表した研究結果についてだろう。 「忙しそうだね」 がさっと立ち上がった。 ハッとして手紙から顔を上げる。 「いや、」 「わたしも用事があって、ここに寄ったのはついでだったから、もう行くよ。ちょっと長居しすぎちゃった。遅刻しなきゃいいんだけど」 まくし立てるように言いながら、玄関へと廊下を歩いていく。 慌てて手紙をその場に残し、その後を追う。 「おいっ」 「ほら、ウィーズリーさんとこから此処まで結構距離あるから、バスだと時間かかるんだよね。だからちょっと早めに出とかないといけないし」 「待て」 「紅茶ありがと。相変わらず美味しかったよ。あとクッキーも。あれくれた同僚のひととはちゃんと仲良くしといた方がいいね、すごい高級っぽかったもん。それじゃあ、また」 最後の扉が既に開けかかっているのを見て、たまらずスネイプは動いていた。 ダン!! の肩ごしに扉を殴りつけるように強く押さえつけて、もう一度閉める。 彼女の黒髪が、鼻先にあった。 「行くな」 搾り出した声。震えていたかもしれない。 けれど至近距離で振り返ったは、あでやかなほどの笑顔だった。 「会えてよかった」 その瞳は揺れていたけれど、同時に、他者の介入を拒絶していた。 「心配してくれてありがとう。でも、わたしは大丈夫だから」 彼女の声はいつもと変わらないはずなのに、やけに平坦に聞こえた。 「また、手紙書くね」 それは。 「ばいばい」 別れの言葉だった。 そして、・は、振り返ることなく立ち去って行った。 あの土砂降りの日、残された彼女は、こんな気持ちでこの背を見送ったのだろうか。 こんな虚しい気持ちで? 涙ひとつ伝わない顔を隠すように、スネイプは片手で覆った。 2005/10/01 ラストスパートですぞ〜。 |