先日が、と一緒に買い物に行ったときに、“お土産”と称して買ってきてくれたマグルの遊び道具で、3人は遊んでいた。 “ベースボール”というスポーツで使うらしい。拳大の白いボールと、いくつかのグローブ。クィディッチではグリフィンドールの優秀なビーターコンビである双子は、10分も経たないうちにその使い方を攻略し、今はやすやすとキャッチボールをしている。お互いに手加減も何もない全力投球だからなんだか命懸けだ。それに混ざる勇気はなく、ロンは横で2人をぼんやりと見ている。 それにしても今日のの様子は一段とおかしかったなあ。普段から変わったひとだけど、今日はなんか様子が変だったんだよなあ。大丈夫かなあ。なんかあったのかなあ。 ジニーは家で“魔法なしの料理”に母モリーと挑戦しているところだ。に教わったらしいレシピをもとに、もう一度あの唐揚げをつくるつもりらしい。マグルオタクの父が帰宅したら実際に小躍りしてみせて狂喜するだろう。間違いない。 唐揚げ美味しかったよなあ、と空を見上げて、浮かぶ雲がどれも唐揚げに見えて困った。細長く空を横切る雲を見て、またあの色褪せたミサンガを思い出す。 どんな願いを込めたんだろう。どうしてあんな顔をしたんだろう。あの言葉はどういう意味なんだろう。どうして僕はこんなに気にしてるんだろう。 ぐるぐると色々な思いが頭を廻っていて、目が回りそうだ。 と。 バーン!! という大きな音に文字通り跳び上がった。 振り返ったロンが見たのは、生まれてからこれまでずっとこの土地に住んできたが、それでも一度も見たことがないものだった。 いつもと変わらず広がっている、だだっ広い草原。 そこに突然姿を現した、黒い影。 ゴオ、と吹いた一際強い風に、重たげな漆黒のマントがバタバタとはためく。 乱暴にひと括りにされている黒髪が、マントと同じ方向になびいた。長い前髪に隠されて、顔はよく見えない。 風を避けようとするように軽く腕を上げて顔を庇う仕草は、突然眩しい場所に放り出された者のようにも見える。 まるで漫画のヒトコマのように出来すぎた光景に、ロンは息を呑んだ。 前髪の間から、一対の黒い目がぴたりとロンを見据えた。思わず一歩後退る。 誰だろう、これは。よく知っている気がして、よく見ようと目を眇める。 男がかぜに揺れる邪魔な前髪を、さも鬱陶しげに掻き上げた。 露になったその顔に、ロンは再び息を呑んだ。 「「げ」」 背後で双子が同時に声を上げた。 今ならあの2人と同じことを考えていると確信できる。この気持ちを表すのは一言で十分足りる。 な ん で あ ん た が 此 処 に い る ん だ 。 男が無表情なまま何も言わずにこちらを見ているせいで、それをうっかり口にしてしまいそうになったとき。 「ママー! 来てぇー! お客さんだよー!」 何も知らないジニーの叫びがその場を救った。 ばっと振り返ると、兄たちを呼ぼうと一度は家を出たらしい妹が、ばたばたと家に駆け込むのが見えた。 凍り付いていた時間が動き出す。 彼――スネイプは、目の敵にしているハリーの親友であるロンも、日々手を焼かされている双子にさえ目もくれず、奇妙な形をした彼らの家へと真っ直ぐに歩いていく。どう見てもマグルの製品であるそれで遊んでいた生徒たちに、厭味のひとつも言わずに。 双子と3人で顔を見合わせた。 あの長い髪を括っているから最初は誰だか分からなかった、とは言えるはずもないので開きかけた口は固く閉じた。まして、その光景に見惚れていたなどとは、口が裂けても絶対に言えない。 「まあまあまあまあ、ホグワーツの先生がどうしてまた?」 片栗粉で真っ白になった両手をエプロンの裾で拭きながら、母が駆け出てきた。 その目がじろりと双子を睨む。反射的にぎくりと身を強張らせた2人だが、今回は潔白だ。彼らにも訳が分からない。 「もしや息子たちがまた何か」 「いや…」 母の言葉を、スネイプの低い声が遮る。 「突然で申し訳ないが、今日は…此方の………居候に、用がありまして」 妙に言い淀む様子を、ロンは気味の悪い気持ちで見上げる。教師とは言え、去年は敵だ敵だと思い込み憎みまでした男だ。こんなことで言いよどむような人間ではないことなど分かっている。何か企んでるんじゃないかと、疑ってかかってしまうのは仕方ないだろう。 モリーは散々息子たちから彼の悪評は聞いてはいたが、いざ目の前にすれば多少血色は悪いがそれほど悪い人間には見えない。 「あらそれじゃあ校長先生のお遣いでいらしたんですか? まあまあここじゃ何ですからどうぞ中へ」 入れちゃダメだよママ! と叫ぶことが出来たらどんなにいいか。 双子もロンも絶望的な気持ちでそれを傍観していた。お互いに目配せしあい、やがて彼らの後につづいて家に入った。 「ごめんなさいね、今とても散らかってるんですの。今日にそりゃあ美味しい唐揚げのレシピを教えてもらったので、早速挑戦してみようと思いましてね。娘と一緒に、彼女のマグル流の調理法を試してたんですよ」 聞かれもしないのにモリーはペラペラと喋った。ホグワーツの教師ということで、多少緊張しているのかもしれない。 ぴくり、と彼の眉が動いたのをロンは目聡く見つける。そうとも彼ならば言うに違いない。マグル流の調理法というやつを馬鹿にして皮肉やら厭味やらを散々母にぶつけるに違いない。今は休暇中なんだから減点はないと、ロンはすぐさま反撃できるように意気込んだ。フレッドもポケットをごそごそと探り、ジョージは腕まくりをした。 が。 「唐揚げ、ですか」 なんとも間の抜けた平凡な相槌に、ロンは危うく前のめりに倒れるところだった。 急いで見上げると、“のっぽ”と言われる自分よりも更に高い位置にある横顔は、散らかったキッチンを遠い目で眺めている。こんな表情をするセブルス・スネイプは知らない。 「ええ、中々面白いんですのよ。油を熱するにはやっぱり魔法がいりますけどね」 上機嫌なモリーの言葉を、聞いているのかいないのか、スネイプはぼんやりと突っ立っている。 ぼそり、と低い小さな声で何か呟いた。 男衆には聞こえなかったが、パッとジニーが驚いたように顔を上げた。賢そうな細い小さな顔は何かを見透かそうとするように、じっとスネイプを見ている。 スネイプはそんな子どもたちの様子にはちらとも気付かずに、促されるままモリーの後に続いた。 「ジニー」 ロンはこそこそと囁いた。 「あいつ今、なんて言ったんだい?」 「あの人…」 ジニーは考え深げに、眉を寄せて首を傾げた。 「あの人、“火傷…”って言ったのよ」 ―― そのときウチに居候してた陰険男が血相変えて駆けつけてきたときは笑っちゃったね ―― あのときのの顔を、ジニーはじっと思い出していた。ロンはそんな妹の様子を困惑した顔のまま見ていた。 やがてジニーは足音を忍ばせて母と男の後を追った。先程からどうも蚊帳の外といった感が耐えない男たちは、再び顔を見合わせて、諦めたように妹の後につづいた。 「それでね、いつもこうちょっと不思議な子だったから料理なんて任せて大丈夫かとハラハラしてたんですけど、これが本当に上手で吃驚しましたよ。よく聞いたら父子家庭だったって言って、きっととても苦労したんでしょうねえ。それに本当に優しい子でこの間なんか」 「あー…ミセス・ウィーズリー? その……彼女は…」 「ああそうでしたわね! わたしったらいけない、うっかりしてたわ! 先生は会いにいらしたんですものね、あら、でも、ええと」 モリーはぴたりと動きを止めて、振り返った。 「どちらの居候にご用ですか?」 「は」 スネイプは途方に暮れたようにしている。 「どちら、とは…どういう」 「なんだってあんたがここに居るんだい!!」 戸惑うスネイプの言葉を遮ったのは、その場にいた全員が跳び上がったほどの怒鳴り声だった。家がびりびりと震えた。 階段の途中にたった、黒髪の美女が睨むようにスネイプを見ている。 「今更…遅すぎるにも程があるってもんだよ、この……蛇男!!」 蛇男!? その場の全員が硬直したまま、頭の中を疑問符でいっぱいにした。 「来るならもっと早く来るべきだったろう! やっと来たと思ったらなんだってこんなときなんだい! タイミング計る勘ぐらい日頃から男として養っておくべきだろう!? どうして人間はこうも不器用にできてるのかねえまったく! ああもう腹立たしい! うまくいくかと思えばもうあんたたちはほんともどかしいんだから! いい加減にしないととって喰っちまうよ!!」 怒鳴るだけ怒鳴ると、はあぁ、と疲れたように息を吐いて、木の手すりに寄りかかった。 呆然としていたスネイプは、やっと口を開いた。どんな因縁があるのだろうかと固唾を呑むウィーズリー家の者たちの前で、スネイプは呟くように問うた。 「あんた………誰だ………」 え、そこから!? ウィーズリー家の者たちの様子はちらとも気にせず、は多少落ち着いたらしい顔をゆるりと上げた。 「ほんとにあたしが分かんないのかい? ――?」 最後は口パクで何と言っているのかは分からなかった。ロンには“ 坊や ”と動いたように見えたが、そんなはずはないだろう。 だが、スネイプにはしっかりと伝わったようで、驚愕に目を見開いている。 「……、なのか」 「説明はあとだよ。今はさっさとうちにお帰り!」 階段から下りて来ると、スネイプの腕をひっつかみものすごい剣幕で家から追い出そうとぐいぐい引っ張っていく。 呆気に取られているモリーの前を、ジニーの前を、ロン、フレッド、ジョージの前を瞬く間に過ぎて、家の外にぽいと放り出された。 「お、おいっ」 「残念ですがは留守です!」 「…」 黄金色の瞳が、真っ直ぐにスネイプを見ている。 怒りを通り越して呆れたような顔だ。 「会いたくても会えなかった学生時代の友人に会いに、2時間も前に出かけました」 「あ…」 なんというすれ違い。 スネイプは立ち尽くした。 が怖い顔をつくって、腰に手を当て仁王立ちするとキッとスネイプを睨む。 「お帰りください、ミスター」 スネイプはハッとして数歩距離をとる。 それから、迷って、躊躇って、ちらりとを見た。ぼそり、と小さな小さな声で呟いた言葉は、彼女の聴覚だからこそ聞こえた。 「すまん」 と。 そして。 バーン!! 彼はまた突如として姿を消した。 ウィーズリー家の人々はわけも分からず、彼の消えたそこを黙って見つめていた。 が帰って来たら、説明してもらわなければならない。 がやけに嬉しそうに微笑んでいるその理由を。 2005/09/06 |