確かな痛みを伴って 蘇る思い出たちは リディ! リディ、早く!置いてくぞー。 リディ、見てくれ!1人でレポート書いたんだ! さっすがリディだな。頼りになるー♪ ありがとう、リディ。おかげで助かった。 なあ、リディ。 リディ。 リディ…。 ごめんよ、リディ。 ごめん。 ……リディウス。 あれからもう18年になるのに、記憶の中の彼は、ずっと10代の若さを保っている。 当然だ。 あれから一度も会っていない。 ただ何度も、自分の愛称を口にしたときのあの声を反芻し、もう決して口にすまいと一度は誓った彼の名を、小さく小さく呟くのだった。 答えはないと知っているのに、地下室の静寂は哀しかった。 母親の故郷の女性と婚約をしたと聞いて、どれだけ胸を焦がしたことか。 結婚式にも行ってやれなかった。 子供が出来たと聞いて、夜中に一人祝杯を挙げたこともあった。 そしてその後、彼の妻が病死したことを知って、数日密かに喪に服したこともあった。 その全ては誰も知らぬ、何の意味もない行動だ。 けれどただ、思いを馳せる。 想って、しまう。 神よ。 これは罪か。 「無様だな」 片手で覆った目からは、もう涙も出ない。 あれほど笑い合い、怒り狂い、泣き合って、過ごした日々はどこへ消えたのだろう。 彼は。 リディウス・ベイルダムは、感傷の泥沼から逃げようと、頭を冷やすために地下室を出た。 マントを翻してこの広い校内を、昔のように徘徊しはじめた。 隣に、無二の親友はいなかったけれど。 たくさんの階段を過ぎても、たくさんの廊下を過ぎても、彼は歩き続けた。 歩いていれば、何も考えずにすむというかのように、ただただ歩き続けた。 黒く色のついたレンズごしの世界に、彼の求める光はない。 かけがえのない場所と信じていたこの学校も、光がなければただの風除けに過ぎないと気付いたのは、果たしていつのことだったか。 リディの目はさ。 また、あの声が聞こえる。 あれは確か…そう、空中散歩の後で、2人草はらに転がったときだ。 沈む赤い太陽を見送った後の、空の色に似ているよね。 そうだな、友よ。 今の俺は、光を失った盲人の気分だ。 やっと、それに慣れてきたころさ。 歩き続けるベイルダムは、図書室を過ぎた比較的細い廊下で、やっと立ち止まった。 えっこらえっこらと、重い鞄を抱えた後姿を見つけたからだった。 ちらりと見えた横顔に、ベイルダムは彼の面影を見た。 そう。 この十数年落ち着いていた彼の心を、彼女は5年前、みごとなほど掻き乱した。 彼女にその気はなくても、彼女の一挙一動が、蓋をしたはずの思い出を無造作に蘇らせる。 神よ。 これは罰か。 彼が見ているとは露知らず、彼女は階段を上るという目先の試練に必死だった。 一段一段を、危なっかしげに上る。 あんな鞄に、何をどれだけ突っ込めば、それほど重くなるのだろうか。 黒髪が揺れた。 引き剥がすように視線を逸らそうとした、その時だった。 彼女の体がぐらりと、大きく傾いた。 一足先にその小さな手から、重い鞄が滑り落ちた。 凄まじい音を立てて、石畳の階段を転げ落ちた鞄を見て、一気に血の気が引いていく。 愛用の杖を振り上げて、早口に何かを叫んだ。 何の呪文なのか、自分でも判然としない。 しかし彼女が落下するスピードは確かに遅くなった。その隙に階段を大またに駆け上がる。 3歩行ったところで、彼女は胸に落ちてきた。 背中が痛い。 けれど安堵感が、それを拭ってくれた。 腕の中の存在は、もぞもぞと動いて周りを見回す。 そっと手を離して、彼女が落ち着くのを待った。 「…あれ?わたし生きてるじゃん」 まだ状況を把握しきれていないらしい。 ベイルダムの存在にも気付いていなかった。 ベイルダムは小さく咳払いをする。が、まだ気付かない。 「おい」 「…ん?」 「はやくどけ」 目と目が合った。 ああ、やはり紅いと思った。 記憶にある彼よりも幾分黒に近いけれど、その瞳が確かに彼の血を受け継いでいることを何よりも強く物語る。 「ぎゃあぁ!すみませんッ、先生!!!」 騒がしいところも、実によく似ている。 混乱している彼女を尻目に、ベイルダムは立ち上がった。 背中は痛いが、どうせ打撲程度だろう。放っておけば治る。 「あの、なんで」 「通りかかったら、君が落ちてきた」 落ちていくのに気付いて慌てて下敷きになったなど、スリザリンの寮監として相応しくない科白だろう。 「それは、すみません。階段がわたしを騙しやがって」 「そうか。それより、言葉遣いが汚いぞ」 「あ、すみません。えぇと……騙してくださって?」 妙な発言までそっくりだ。 一体あいつとどんな生活を送ってきたのだろうか。 「すみません!なんか、すっごく迷惑かけちゃって。痛かったし、驚いただろうし、重かったですよね!ごめんなさいッ!!」 「…そうだな。教師の上に降ってくるとは、良い度胸だ。グリフィンドール5点減点」 「はいぃ」 これでこそ贔屓の目立つ立派なスリザリン寮監。 立ち上がったベイルダムは1人頷きながら、パタパタと服を叩いた。 異常なし。 しかしふと、随分視界がクリアなことに気付いた。 ハッとして顔に手を当てる。 サングラスがない。 ペキ 不穏な沈黙の後、ゆっくりと視線をそちらへやった。 真青な少女の足の下で、それは見つかった。 やっぱサングラスって目立つよなぁ。 なんだ、今更。目立ってるのはいつもじゃないか。理由は別にあるけどな。 うっさいなぁ。どうせ俺は『グリフィンドールの騒がしい妙な奴』だよ。 いいじゃんか。『存在自体が面白可笑しいディック』のまんまで。的を得てるし。 リディってば酷いわ!俺のことをそんなふうに思ってたの?しくしく。 …………一人芝居って寂しいッ。 そうだな。 …あーあ。日光に弱いなんて、ヴァンパイアじゃないんだからさぁ。 親父の馬ッ鹿野郎め。 …そんなに嫌か? 嫌だね。紅い目なんか、大っ嫌いだ。 …よし。 じゃあ、俺もサングラスかけてやるよ。 は? だからその目、嫌いって言うのやめろ。 約束だぜ? 彼女に借りた『代用品』を、ランプの光に当てて彼はじっくりと観察した。 見事な設計だ。 じろじろと眺め回して、視線が一点で止まる。 『 R i c h a r d 』 そう、小さく刻んであった。 懐かしい名前を見て浮かんだのは、涙でも哀しみでもなく、謎解きに成功した子供のような微笑みだった。 そのサインから見て、このサングラスはあの子の父親が愛娘のために作ったのだと思われた。 「やはりお前は、親馬鹿になったか」 予想はしていたがな。 語りかけるように言って、サングラスをそっと机に置いた。 なあ、友よ。 お前は俺に、最後に言った言葉を覚えているか。 最後に約束したことを、覚えているか。 俺は一字一句違えずに、そらで言えるぞ。 なあ、友よ。 あの日、どちらかがどちらかを止めたなら、何かが変わっていただろうか。 2人とも、今より幸せに過ごせただろうか。 しかしあの日、俺がお前を止めたなら、お前は妻に出会わなかった。 あの日、お前を止めたなら、あの娘が生まれることもなかった。 それは嫌だろう? なあ、友よ。皮肉だなあ。 お前と俺が出会ったここで、俺は教師となってお前の娘と出会ったよ。 お前と俺が過ごしたここで、お前の娘は青春を過ごすことになる。 あの子はお前の子だから、きっとお前と同じに辛い思いをするだろう。 そしてお前の子だからこそきっと、たくさんの手に支えられ、その足で乗り越えてゆける。 なあ、友よ。 あの日の約束は確かに辛いことではあったが、俺はお前を恨まない。 本当はお前の方が辛かっただろうから、俺はお前を恨まない。 友人とは、そういうものだったろう? 何があっても許しあえるものだろう? なあ友よ。旧友よ。 我が友ディック。 「友人の娘だ。出来る限り守ってやるさ。感謝しろよ、馬鹿野郎め」 呟きは地下室の空気に消えて、答えは返ってこなかったけれども、何故かそのとき哀しくはなかった。 返事を望んだわけではなかったから。 彼を 優しく 包み込む 2004.6.12. オリキャラ、出張り決定〜。 リディウスさんは、ヒロインパパとお友だちでーす。 ちなみに、ディック(DICK)とはリチャード(RICHARD)の一般的な愛称です。 |