「っうぅぎゃーーーー!!!!」 突然の急上昇し薄い霧のような雲に突っ込んだは、何十回目かの甲高い叫び声を上げた。 旋回したり急降下、急上昇を繰り返して用もないのに雲につっこんだりと、無駄にアクロバチックなバイクの後ろに跨っている。 雲を抜けると視界いっぱいに青空が広がる。永遠に見つめていたいと思うほど美しい光景ではあるが、いかんせんそんな余裕はない。 自分の素晴しいハンドルさばきを満喫しているのは、勿論リディウス・ベイルダムその人である。確実にエンジンは全開だ。サングラスを掛けた端整な顔には、風を切る感覚に爽やかな笑みが浮かんでいる。 「耳元でぎゃーぎゃーうるせえな! 口閉じとけって言ってんだろうが! 振り落とすぞテメエ!」 笑みが爽やかでも口から出る言葉は、夜中の暴走族並みに荒い。おまけとばかりにドスまで効いている気がする。 「だだだだだってキョウジュ! わたし高いところ、あんまり」 「お、あれじゃねえのか? ほら、あれだろあれ。よーっし、降りるぞー! しっかりつかまってろおー!!」 「で、できればゆっくり………ゆうっくりだってばあぁーーーー!! うぼぎぇやあーーーーー!!!」 わけの分からない間抜けな叫びが、清々しい夏空に木霊した。 「あら、来たんじゃない?」 リリーの言葉に、シリウスが「ぁあ?」と声を上げた。 顔を上げた彼は、卒業してますます雑誌モデルのような容姿に磨きがかかっている。専属のスタイリストでもいるのだろうかと思うほど私服もよく似合っていて、リリーも多くの女性が無視できない存在であることは認めざる得ない。 が、今はその整った顔の筋肉はすべて緩み、世の女性が態度を一変させそうなデレデレとした間抜けな笑みを浮かべているので、その魅力は見事半減している。その上、胡坐を掻いた彼の腕には、安らかな寝息を立てている赤ん坊の姿がある。いわゆる“こぶ付き”というやつに見えなくもない。 「シリウス、その顔をどうにかしなよ。…ちなみに、ハリーは僕の子なんだけどなあ」 苦笑してそう言ったジェームズの手にも、「かわいい我が子への接し方〜良い父親になるために〜」という文字が点滅する、ピンク色の分厚い本が握られている。その脇にも「神童の見分け方」、「赤ちゃん言葉辞典」「子どもの成長を促す正しい遊び方」「素晴しき子煩悩たちへ」「もっと笑ってよBABY!〜子どもの笑いのツボ〜」などなど、うさんくさいタイトルの本が何冊か積まれている。 シリウスの腕の中の我が子を覗き込んだ彼の顔も、シリウスに負けず劣らず無残に崩れた。 眼鏡越しに見える目尻は、最近ずっと下がりっぱなしだ。 そんな男たちの有様に溜息をついて、リリーは立ち上がった。親友たちの姿を苦笑して見ていたリーマスも、リリーに続いて立ち上がる。 「確かに、の叫び声が聞こえたね」 リーマスの言葉にリリーは頷いて、2人並んで外に出る。 ハリーを実の父親に取られた名付け親は、少し拗ねた顔で2人のあとに続いた。 既にバイクの激しいエンジン音が聞こえ始めている。 3人は揃って空を見上げた。 黒い点がみるみるうちに近づいてきたかと思うと、3人は土ぼこりに目を閉じていた。 エンジン音にかき消されそうな甲高い悲鳴のあと、ドサリと重い音がした。 「い……たぁ……!」 バイクから転がり落ちたらしく尻餅をついて呻いているのは、紛れもなくである。 慌てて駆け寄ったリリーとリーマスがを助け起こす。 ベイルダムは、振り返ってが落ちているのを見たが特に何も感じないらしく、何も言わずに名残惜しそうにエンジンを切った。エンジンを切ったと同時に、顔にいつもの無表情が戻ってくる。 それを見上げたは苦々しい顔をする。 「安全運転って何度言ったら分かるんですか!」 「仕方ないだろう」 「ぜんっぜん仕方なくないですっ。あーもう吐きそう…」 「あれくらいでか? まったく…。ディックに似て貧弱だな」 「勘違いしないでください。わたしが標準! 教授が異常! そこは理解しておきましょうね、大人として」 「子供に言われてもな」 「成人しました」 「問題は年齢じゃなく中身だ」 「まあまあ2人とも喧嘩しないで」 苦笑したリーマスが2人の間に入った。 するととベイルダムはきょとんとしてリーマスを見る。 「「喧嘩?」」 声を合わせて意外そうに聞き返されて、今度はリーマスがきょとんとする。 それを見ていたリリーがくすくすと笑った。 「リーマス。わたしたちには口論に見えても、2人にとっては日常会話なのよ」 「……なるほど」 リーマスとリリーは顔を見合わせて笑った。 は苦笑いを浮かべてジーンズの汚れを叩き、ベイルダムは相変わらず感情の読み取りにくい顔でバイクから降りた。 ふと、ベイルダムは視線を感じて、いつのまにかそばでしゃがんでいた大きな影に気付いた。 シリウス・ブラックが、瞳を輝かせてバイクに見入っていた。 やがて見られていることに気付いたシリウスは、カッと顔を赤くして立ち上がった。「あの」だの「その」だの言い訳らしいことをぼそぼそと呟いている。 ベイルダムはサングラスのせいで何を考えているのか分かりにくいが、黙ってシリウスを見ている。 シリウスの中では、バイクのことを知りたいと思う気持ちと大嫌いな腐れスリザリンの寮監なんかにという気持ちがぶつかり合っている。長い間、葛藤に苦しんだうえ、シリウスはやっと口を開いた。 「その!……これは…どこで……というか…なんというか」 勢いのよかった言葉も、すぐに尻すぼみになっていく。 呟きは聞き取れないほどの囁き声になった。、聞き耳を立てていたには「このエンジンは……でも…モデルは…それに…」という言葉だけが聞こえた。 リーマスはリリーとに家に入ろうと促しながら、「あのへたれ…」と呆れたように呟いた。 「興味があるのか?」 庭を横切りかけたところ、そんな声が聞こえた。 リーマスやリリーは少し驚いた顔をして振り向いたが、はただ可笑しそうに小さく吹き出しただけだった。 友人たちより彼と付き合いの長いには、その声が少なからず嬉しそうなのを嗅ぎ取っていた。 ほっといて行こうよ、と促してはハリー・ポッターの元へと急いだ。扉を閉める直前、 「まずお前の言ったとおり、このモデルはマグルのものだ。しかし違うのは燃料と、ここの……見えるか? そう、これだ。これは私が特注したもので…」 相変わらず抑揚はないものの、心なしかうきうきとした得意げな声が聞こえていた。 パタンと扉を閉めると、は一も二もなく赤ん坊の元へと駆け寄った。 でれでれ笑うジェームズもおかまいなしに、ハリーの顔を覗き込む。いつの間にか起きたらしい。開ききっていない目をもどかしそうに瞬きながら、小さな口で欠伸をした。 「ちぃっちゃ〜い」 思わず甘い声が出た。 小さな握り拳に触ると、きゅっと握られた。 「うぉほーっ」 浮かれて顔を赤くしたは、囁くように叫んだ。 ジェームズが「かわいいだろう?」が堪えきれない思いを抑えたような上ずった声で囁いた。はこくこくと何度も頷く。 リリーはその様子に目を細めて微笑んだ。空を飛んできたのなら喉が渇いているだろうと、冷やした紅茶をグラスに注ぐ。 ジェームズとの輪に入るようにして同じく絨毯に座り込んだリーマスは、警戒するようにを注意深く観察した。 「ん?」 視線に気付いて顔を上げたに、リーマスはにこっと笑って。 「いや。ただ今日こそは…今日はは1人で来たのかなあと思って」 「ベイルダム教授が一緒だけど?」 「いや、そうじゃなくて」 機嫌がいいのかにこにこと説明しようとしたところで、の背中の小さなリュックが動いた。 もぞもぞと動いたと同時に、リーマスの笑顔が凍りついた。 「あ!」 慌てた様子ではリュックの留め金を外す。 ひょっこりと顔を出したのは、小さな黒猫である。息苦しそうに大きく息を吐き、非難がましく主を見上げる。 「ごめん!」 リュックの中に手を入れてそっと抱き上げると、許すようにの鼻をぺろんと舐めた。 どうやら飛行中落下しないよう、リュックの中に入っていたらしい。 金色の目がちらりとリーマスを見たが、興味なさそうにすぐに目をそらして、今まで自分が入っていたリュックに顔を突っ込んだ。 彼女がリュックから引きずり出したのは、きれいにラッピングされた包みだった。 「そうそう。これプレゼント」 ハリーに気を取られてすっかり忘れていたらしいは、その包みをから受け取ってリリーに手渡した。 「退院おめでとう、リリー」 「ありがとう」 にっこりと笑ったリリーに笑い返して、は振り返ってまた笑った。 「少し遅れたけど、ハリーも誕生日おめでとう」 また父親の腕の中で眠ったらしく、返事はなかった。 リリーとは軽くハグをして、は親友の背中をぽんぽんと叩いた。 「リリーはお母さんなんだね!」 「ええ」 幸せそうな笑顔が眩しかった。 遅くなりそうだし途中買い物にも寄るつもりだからバスで帰ると、はベイルダムを先に帰した。 ベイルダムは一瞬気がかりそうな顔をしたものの、そうかと言って1人バイクを飛ばした。シリウスはベイルダムと交わした会話と、それから得られた情報を心の中で何度も復唱しながらその背中を見送っていた。空飛ぶバイクに相当ハマったらしい。 は哺乳瓶からミルクを与えるのと、オムツ変えを経験した。その間、シリウスはジェームズにいつか空飛ぶバイクでハリーと散歩する計画を延々と話していた。ジェームズは負けじと箒での空中散歩を力説した。リーマスとはを巡って火花を散らしていたが、はリリーと一緒にハリーに構っていてまったく気付かなかった。リリーは時たま大きくなる騒ぎに呆れたような一瞥を送っていたが、それも彼女の上機嫌を壊すことにはならなかった。 日が暮れかける頃、は名残惜しそうにしながらもポッター家を出た。 リーマスが途中まで一緒に帰ると名乗り出た。は一度断ったが、ジェームズとリリーから強い説得に合い結局頷いた。 シリウスは今日は泊まると言い張って帰らなかった。親友のジェームズは思い切り迷惑そうな顔をしていた。 はリーマスと2人でバスに乗った。 の肩には監視するようにが乗っているので、厳密に言えば2人と1匹だ。 とリーマスは移動中、会話を絶えさせることなく楽しげに談笑している。買い物にも付き合うと申し出があり、2人は並んでスーパーマーケットに入っていった。 クリームシチューの具材を買って、2人は並んで歩いた。 仲の良い2人には忌々しげな顔をしていたが、久々に見るの自然な笑顔にどこか安堵もしていた。 は作り笑いが上手い。それが無意識だから本人でさえ、本物と偽者の見分けがつかないくらいだ。見分けられるのはたぶん、リチャードと彼だけだろう。リチャードがもうこの世にいないということは、頼りにできるのはセブルス・スネイプただひとりのはずだった。 それが今はこんな状態。 見ていることしかできないは、ただ胸の痛みに耐えるだけだった。 「今度、ジェームズとリリーはまた引越しをするんだ」 は唇を湿らせながら、頷いた。 「そっか。……どこに?」 「やっぱり2人だけじゃ危険だから、騎士団本部に住み込むことになりそうだよ」 「そっか」 ポッター家を包んでいた、あの幸福な雰囲気のことを思った。 なぜあんなに幸せな家庭が、追っ手から逃げ回る日々を続けなければならないのか。なぜハリーが狙われるのか。それはには知らされていない。次の日曜、ダンブルドアとポッター夫妻がそろった席で知らされる予定だった。 しかし、祖父であるヴォルデモードが関係していることは間違いないだろう。あの幸せな家庭を脅かす影のことを考えると、幼い頃から慣れ親しんだ重いしこりがぎりぎりと胸を締め付ける。いつまで経ってもそれに慣れることはない。 それでも、それを顔に出さない術だけは身につけてきた。 いつものように笑みを浮かべる。 「2人とも、大変みたいだね」 「…うん」 リーマスも弱々しく笑い返した。 「最近よくシリウスが泊り込んでいるみたいだけど、あれはたぶん何かあったときのことを考えているんだと思う。少しでも危険を避けようと、騎士団のみんなも頻繁に出入りしているみたいだ」 「それは良かった。…けど、ジェームズは文句言いそうだね」 暗い顔をしたリーマスに、にやっと笑って言った。 一瞬きょとんとした彼も、やがてくすっと笑って頷いた。 「ああ。顔いっぱいで不満を表現してたよ」 「あはは、身振り手振りも使ってそうだなー」 「よく分かったね」 笑い合った2人は、お互いの目に暗い翳りを見つけ、また見つけられたことに気付いて目を逸らした。 自分の強がっていない部分を相手に晒すことはできなかった。学生時代にはできたことが、今では難しくなっていることに気付いた。お互い等しく歳を取り、今ではもう成人を果たしたのである。大人になったという事実。それがどういう形でか、素直な自分を邪魔しているようだった。 そんなことをぼんやりと考えながら、2人は並んで歩いた。 「もうここまででいいよ」 波の音が聞こえる森の入り口で、はリーマスに別れを告げた。 「だめだよ。こんな暗い道!」 「大丈夫だよ。もいるし、それにこの森はそんなに大きくないから。森を抜けたら、家はすぐそこだし」 それにこの森は静かだから1人で歩くのが好きなんだ、と笑うを見てリーマスは渋々頷いた。 「気を付けてね」 「心配性だなあ、リーマスは」 苦笑しながらも足を踏み出したは、後方を振り返りながら手を振る。 「じゃあ、またね」 心配そうなリーマスは、いつまでもと黒猫を見送っていた。 くっきりと見えていた背中が、暗闇に紛れて、少しずつぼんやりとしていく。 闇が彼女らを隠そうとしているように見えて、なぜかリーマスは胸騒ぎを覚えた。 それでも、そこから動かなかった。学生時代だったら走って追いかけて、やっぱり心配だと言って家まで送って行ったかもしれない。けれど、大人の男として彼女に好意を抱いている自分を、に感づかれてしまう気がして、その行動は躊躇われた。 やがて、見送るリーマスの視界から森の闇に2人の背中が消えた。 それからしばらく経ったころ、リーマスはやっと踵を返して立ち去りかけた。 しかしふと、違和感を感じる。 最後にもう一度振り返り、目をこらして気付いた。 日が暮れて時間がたったというのに、森の向こうの空が明るい。 不吉に紅く染まった空。 呆然としていると、突然その赤が毒々しい緑色へと変わった。 どこかで見たことのある色に、リーマスは全身を巡る血がザッと音を立てて引いていくのを感じた。 見えなくても分かる。あれはあの不吉な髑髏。 死と破滅の象徴。 気が付いたときには、全速力で走り出していた。 消えてしまった小さな背中を追いかけて。 やがて、森を抜けたリーマスが見たのは、轟々と燃える一軒の家と、その上の空に打ち上げられた闇の印だった。 闇の印は、闇の帝王の目的が、既に果たされてたことを示していた。 2005/02/23 ということは、この時期はもうポッター夫妻は追われていたんじゃないだろうかと・・・? でも考えれば考えるほど、疑問点が見つかります。 秘密の守人の例の魔法を使ったのはいつ?とか。 ハリーが生まれて一年間、ポッター夫妻はヴォル卿からどう逃げたのか?とか。 原作をよく読んでいて、今回の話に間違いを見つけた方は、メールなどで教えてやってください。 研究不足でまだよく分かっていません。すいません。 微妙なところで終わらせてしまいました・・・。 でも、もうすぐ卒業後編も終わります! がんばります! ちなみにこれは、リーマス夢ではありませんから! 残念!! ※ 申しわけありません! アップする順番を間違えてしまいました。(滝汗) これが本当の43話です。「守れなかったもの(卒業後編最終輪)」は44話になります。 混乱させてしまいましたらすみませんでした。どうか笑って許してやってください。 |