その鋭い視線に 込められているものは















 何が原因なのか。どうしてなのか。
 それは全く分からなかったが、1つだけ確かに感じることがある。
 どうも、自分は彼に嫌われているらしい。

「わたし、何かしたっけ?」
「ん?」

 独り言に、リリーが反応した。
 は「なんでもない」と言って笑って見せた。
 彼女のきちんと締めたネクタイの、赤と金のストライプが目に入る。
 グリフィンドールのイメージカラー。寮監は、変身術のミネルバ・マクゴナガル女史。
 対するスリザリンは、緑と銀のストライプ。
 寮監の名を、リディウス・ベイルダムと言った。
 スリザリンの寮監は、グリフィンドールの寮監が変身術を受け持つように、代々魔法薬学を受け持つことになっている。ベイルダムもまた、魔法薬学の教授だった。
 彼はちょっと変わった者の多い魔法使い達の中でも、少々変わった格好をしていた。
 東洋人とはまた違った、西洋人の黒い髪。少し長めのそれを、彼は切るのが面倒臭いだけのように、軽く後ろでまとめている。
 身を包む長いローブもまた漆黒だが、ひるがえると光の具合で濃い紫にも見える。
 たまにちらりと見えるローブの中は、白いワイシャツであるようだった。
 ここまではごく普通の魔法使いである。趣味に偏りはありそうだェ、別段珍しいことでもない。
 しかし、それでも彼が風変わりだと評されているのは、彼の両目を隠しているものがあるからに他ならない。
 マグルがよく言う、サングラス、黒眼鏡をかけているのである。
 そのせいか年齢の予測が難しい。30〜40といったところだろうか。

 そのサングラスごし、入学当初からは視線に込められた何かを感じていた。
 それほど不快というわけでもないが、険しいといえば険しい目で、彼はよくを目で追っているようだった。
 気付いたが顔を上げても、目元がよく見えないのでうまく誤魔化される。しかし、それを続けて早5年。偶然でないのははっきりしている。
 敵意ではないと思うのだが、他の生徒に比べてへの対処が厳しいように感じたことはあった。
 やはり、嫌われているのか。
 何もした覚えがない、というわけではない。むしろ、数えれば限がないほどある。
 まず、彼女が普段から、煩くしていること。
 グリフィンドール生であること。
 リリーを穢れた血と呼んだスリザリン生を、教授の目の前であるにも関わらず一発でノックアウトしたこと。
 その減点を最上級の笑顔で受けたこと。
 踵を返した彼の背中に舌を出したのが見つかったこと。
 それに、彼の受け持つ薬学の成績が、すこぶる良くないこと。
 気持ちの悪い材料にはどうしても触ろうとしないこと。(←つまりよく減点されていること)
 授業中、「まだ生きてるよ、コレ!」などとよく叫ぶこと。(←つまりよく減点されていること)
 叫びながら立ち上がった表紙に、手から飛び出した羽ペンが彼の後頭部に刺さったことがあること。(←ものすごく迷惑)
 半狂乱のを落ち着かせようと近づいてきた彼の顔をみた瞬間、「ぎゃあ、ゴキブリ!」と叫んだこと。(←嫌われて当然)
 などなどなど。

「嫌われてるね、これは」

 というか、そうでなかったら奇蹟だと思う。

「だってサングラスがゴキブリに見えたんだよ」

 ぶつぶつと独り言に言い訳をしながら、はインク壺の蓋を閉め、机の上を片付け始めた。
 今までリリーと一緒に課題に取り組んでいたのだ。

「あら、終わったの?」
「ううん、全然。でも今は何やってても身が入りそうにないから、今日の夜にするよ」
「そう。わたしはもう少しして行くわ」
「ひとりで?」
「今いいとこなの」

 テレビを見てる途中で呼び出された子供みたいな返事だと思った。
 彼女が向かっているのはテレビなどではなく、一枚の羊皮紙と分厚い参考書なのだけれども。

「そ。じゃ、また後で」
「ん」

 そう言って2人は別れた。
 2人が課題をしていたのは、図書室だった。勉強に励むなら、あそこが最適だと思われる。
 貴重な書物も保存しているため、傷まないように温度調節でもされているのか、夏は涼しいが冬はあたたかい。
 図書室を一歩出ると、静かな廊下を少しひんやりと感じた。
 もう秋がめぐってきていた。
 ハロウィーンも近いので、jack-o’-lanternづくりにでも取り掛かろうかと思案する。
 作業は楽しいが、今年はそんな暇もない気がした。
 ベイルダムから成績の悪い者たちに、どさりとばかりに課題が出されたのだ。これで挽回しろ、ということらしい。
 嫌われてるよ、絶対。
 階段を一段一段ゆっくりと踏みしめながら、は低く呻いた。参考書を詰め込んだ鞄が重い。
 あと半分、と思って足を持ち上げたときだった。
 ふっと、あったはずの一段が幻と消える。
 階段にも創設者の悪戯のような、危険な魔法が掛かっていることに失念していた。

「どぅわああぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 死ぬっ!

 背中が硬い床に打ち付けられるより前に、何かのエネルギーを感じた。
 それはまるで、を守るように包み、時の流れを緩慢にする。
 は落ちていきながら、石造りの階段の染みや小さなひびを、意味もなくしっかりと捉えていた。
 視線が序序に天井へと移り、ああこれから背中を打ちつけられるのだと思ったとき、予想していたよりもずっと早く、背中に柔らかな感触があった。





「……あれ?」

 生きてる。
 床が柔らかい。

「おい」

 声が。
 下から。

「はやくどけ」

 …。
 ……。

「ぎゃあぁ!すみませんッ、先生!!!」

 何故階段から落ちたはずの自分が、ベイルダム教授の上で伸びているんだろうか。
 慌てて彼の上から飛び退く(転げ落ちる)と、冷たい床の感触を確かめた。ここに落ちていたら死んでいたに違いない。
 以外と思考は冷静で、血だらけの廊下ぁ〜などと想像している余裕はあった。

「あの、なんで」
「通りかかったら、君が落ちてきた」
「あ、それは、すみません。階段がわたしを騙しやがって」
「そうか。それより、言葉遣いが汚いぞ」
「あ、すみません。えぇと……騙してくださって?」

 あれ?
 首を捻ってぶつぶつと何事か呟いている生徒を見遣って、教師は呆れたように軽く肩を竦めた。
 ああいかん!また嫌われる要因を増やしてしまった!
 そんなことに思い当たったは、もう一度深く頭を下げた。

「すみません!なんか、すっごく迷惑かけちゃって。痛かったし、驚いただろうし、重かったですよね!ごめんなさいッ!!」
「…そうだな。教師の上に降ってくるとは、良い度胸だ。グリフィンドール5点減点」
「はいぃ」

 立ち上がった教授は、ローブの裾をパタパタと叩き汚れを落とす。
 すると突然、顔に手を当ててハッと何かに気付いた様子で、サッと周囲を見回した。
 そこでも初めて気付いた。
 彼のトレードマーク…サングラスがない。

 ペキ

 の足の下で、フレームの壊れたサングラスの残骸が発見された。



「更に、グリフィンドール5点減点」
「すみません…」





「あのぅ」
「……」
「怒ってますよね?」
「……」
「すみませぇん」

 は教授の小脇に抱えられ、以外としっかりした腕に身を任せながら溜息を吐いた。
 落ちたとき足を挫いたらしく、歩くことは勿論立ち上がることもできなかったのだ。
 それを見たベイルダムは、形の良い眉尻を無感情に跳ね上げて、何の予告もなく彼女を抱え上げたのである。
 左手にはの重い鞄、右手にはを持った教授は、普段と変わらない足取りでずんずんと廊下を進んでいた。

「魔法とか使わないんですか?」

 ひょーい、てよくあるじゃないですか。担架を出す魔法とか。
 あれの方が労力を使わないのでは。

「すぐそこだ」

 の問いに、簡潔に彼は返した。
 あえていうなら、そんな面倒臭いことわざわざしたくない、というような口調だったのかもしれない。
 すぐそこ、とはも道順からして行き先を察した。
 医務室である。

「…ほんとすみません」

 謝ってばっかりだなあ、とは情けなく頭を垂れた。





「骨に異常はないようですし、右足首以外にも目立った怪我はありません。捻挫用の魔法をかけた包帯を巻いておくので、明日になれば完治しているでしょう」

 そう言ったマダム・ポンフリーにお礼を述べて、改めてはベイルダムに向き直った。
 ベイルダムはポンフリーと何事か話した後、さっさと医務室を出ようとしていた。

「あ、先生!」

 振り返ったベイルダムが帰ってしまう前にと、は鞄をひっくり返した。
 ばさばさと教科書や参考書がベッドの上に散乱したが、かまわずその中からひとつ長方形の箱を引っつかむ。
 普段見ることのできない、彼の黒に近い青の瞳が、訝しげに細められる。
 差し出されたのは、

「これ、代わりに使ってください」

 メガネケースだった。
 受け取ったベイルダムが開ければ、サングラスが入っている。

「わたし、あ、血筋の関係で、ちょっと目が日光に弱くて。短時間なら平気なんですけど、一日中外にいるようなときはサングラスかけるんです。それで」
「しかし、大きさが」
「それもだいじょぶです。長く使えるようにって、どんな輪郭にも合うように作られてるんで。ほら、ここのねじをこうすると、大きさが」
「ああ、成る程」

 彼はそのサングラスをかけて、調子を確かめるようにフレームを押し上げた。
 ぴったりだ。

「ありがたく使わせてもらおう」

 は初めて、彼の笑顔を見た。
 悪戯っぽい少年のような笑みだった。





「ってことがあってね」
「そう。大変だったのねえ。怪我の方は?」
「大分、良くなったよ。魔法ってすごいねえ」

 枕を抱いて寝る準備万全のが、楽しそうにリリーへの報告を終えた。
 リリーも包帯に目を遣った後、ふむと首を傾げた。

「わたしも医療関係の魔法、勉強してみようかなあ」
「出た。リリーの勉強好き」
「いいじゃない。知識は多ければ多いほど得だわ」

 灯り、消すわよ。というリリーの声と同時に、部屋には闇が落ちた。
 窓から星の光の中で、独り言のようには呟いた。

「嫌われてはいないような感じだったんだけどなあ」

 意外と親切だったし。
 その囁きはリリーにも届き、リリーも体を丸めながら「そうねえ」と首を捻った。

「どうしてあんな目でわたしを見るんだろう」















 少なくとも、敵意ではなかった




















2004.6.12.