全ての荷物をトランクに詰めて、は立ち上がる。
 部屋を見回すと、すべてが片付けられてがらんとした寂しい部屋に見えた。
 いつも積み重なっていた本の山や、広げられたままの課題。少しだけ散らかった床。放られたままのローブ。そんな生活感を感じさせるものが、この部屋からは片付けられた。
 寂しさと同時に、たくさんの思い出が蘇る。
 すべてをいとおしく思いながら、はトランクをがらがらと引きずって、ドアに向かった。
 ドアノブを回し開く。
 最後に、振り返った。

「さよなら」

 そして、ありがとう。
 今日でわたしは、卒業します。








「写真撮ろうぜ、写真!」

 普段はだらしなく緩めているネクタイを、今日に限ってはきっちりと締めて、シリウスが提案した。
 リリー、リーマス、ピーター、の全員が同意したのを確認して、ジェームズが用意していたカメラを掲げた。

「じゃ、僕が現像してみんなに送ってあげるよ。みんな同じ写真ってことになるけどね」
「いいんじゃねえ? むしろそっちの方が…こう…なんかいいじゃん」
「ん。そうするか。ええっと………あ、そこの君」

 ジェームズは通りすがったレイブンクローの4年生に声をかける。
 声をかけられた青年は、一瞬怪訝そうな顔をした烽フの、ジェームズの手にカメラが握られているのを見て快く応じてくれた。
 ホグワーツの玄関を背に、6人がそれぞれ位置を決める。
 ジェームズが中心、その右隣はリリーで左隣はシリウス。ジェームズとシリウスに挟まれるようにして、ピーターが少し前に立つ。はリリーの隣に立ち、その横をリーマスが陣取る。肩を組み合い、肩を抱き合って笑う。フラッシュが上がり、シャッターを切る音がした。
 動きを止めていた全員が、肩の力を抜いて更に笑い合う。

「ありがとう」
「いえ」

 ジェームズは、少年からカメラを受け取る。
 そこにひょっこりが出てきて、自分のカメラを少年に握らせた。

「ごめん、もう一枚いいかな?」
「ええ、構いませんが」

 少し戸惑った風の少年に、はへらりと笑いかける。

「どうしたの?」

 ピーターが声をかけると、は自分のカメラを指差した。
 ジェームズのそれより、幾分小さめで出っ張りが少ない。

「お父さんがこの日のためにって、貸してくれたんだ。だから一枚撮っておこうかと思って」
「へええ。それ、マグルのカメラ?」
「うん。マグルのカメラで撮った卒業写真ってのも、味があっていいじゃん?」

 後ろからやってきたリーマスたちにピーターが事情を説明して、再び全員が並んだ。
 今までどこに行っていたのか、の肩にが飛び乗った。ちらと目をやったに一瞬微笑んでみせる。
 皆、立ち位置は変わらないものの、先程より幾分ポーズを楽しんでいる。
 がリリーと腕を組み、リーマスも先ほどより随分とに密着している。ごく自然な形でリーマスの手がの肩へとかかるが、の爪によって阻止された。
 ピーターのつむじを見つめて何事か思いついたらしいジェームズが目配せをする。それに気付いたシリウスがにやりとして頷く。
 と、カメラを手にした少年が声を上げた。

「じゃあ、撮りますねー」

 少年がカメラを構えると同時に、シリウスとジェームズが「せーの」でピーターの肩に手を伸ばす。

「ぅわゃあ!」

 がっしりと肩を組まれ、突然2人分の体重をかけられたピーターは、驚きを隠せずにひっくり返りそうになりながら素っ頓狂な声を上げる。

 パシャ

 現像が楽しみな写真だなあと、みんなと同じように大口を開けて笑いながら思う。
 晴れ渡った空が眩しかった。


「はい、ありがとう」
「いいえ。じゃあ、もう僕行きますね」

 撮影を手伝ってくれた少年の背中を見送って、はカメラを撫でた。
 さて、どんな写真が撮れたのやらと、密かに笑う。

ー、行くよーー」

 リーマスに声をかけられて振り向くと、さっさと歩き始めた彼らの背中が見える。

「はいさー」

 元気よく返事をして、小走りに追いかけた。
 人の背中を、追いかけるのは嫌いじゃない。
 走り始めたに安心して、リーマスも仲間に追いつこうと踵を返す。
 と彼らの間の差は、ぐんぐんと縮まっていく。そのとき。

 見知った黒影が視界に入る。

 の笑顔は曇らない。

 走る。

 相手も顔色を変えない。

 彼は、ただいつもの調子で歩いている。

 走る。

 ちらりとも、視線を合わせることはない。

 決して、相手を直視しない。

 走る。


 すれ違う。


 走る。
 すれ違ったの顔は、未だに微笑んだまま。赤い瞳だけ揺らして。
 はゆっくりとスピードを落とし、やがて立ち止まる。
 振り返ると、彼は隣を歩く親友と何事か話しながら進んでいる。僅かに微笑んでいるのが見える。
 も微笑んでいる。
 手に持っていたカメラを、そっと構える。

 斜めに差し込む光に照らされた彼の真っ黒な背中。
 あの背中を、何度も追いかけた。
 ほんの僅かに見える横顔。微笑んだ口元が視認できる。

 カシャ

 小さな音は、彼には届かなかった。
 彼は気付かずに遠ざかっていく。

 今日もまた、特別な日だから。
 最後に言えなかったことを、言わせてほしい。


「いってらっしゃい、セブルス」


 誰にも聞こえない声で、は囁いた。
 優しく微笑んだまま。


ー!!」

 ピーターが呼んでいる。
 振り返ると、立ち止まって待っていてくれている仲間たちが見えた。

「はいはーい!」

 は笑う。
 ゆっくりと、走り出す。








 何かが聞こえた気がして、歩みを止めた。つられて、クィリナスも立ち止まる。
 スネイプは振り返る。だが途中でその衝動をぐっと抑えて、また真っ直ぐに前を見た。
 胸ポケットに手を入れて、懐中時計を取り出す。
 この1年、ずっと愛用してきた。
 かたりと開けて、3本の針の位置を見る。

「セブルス、行こう」

 クィリナスが促す。
 すれ違ったばかりの少女の存在に、彼もまた気付いていた。
 スネイプは頷いて、また歩き始めた。

「卒業してもまだ、私は学ばねばならんことが多いな」
「え?」

 スネイプは珍しく、微笑んでいる。
 満面とまではいかないまでも、つられてクィリナスまで微笑んでしまうような笑みだった。

「外国語でもやってみるか」
「へえ。語学に興味があるのかい?」
「まあな」

 いつか、迎えに行く時に困らないように。
 桜の綺麗な、東の国の言葉でも齧っておこう。と。

 スネイプの呟きは、クィリナスの耳には届かなかった。
 2人はもう二度と立ち止まらず、振り返らなかった。ただ、前に進む。

 黄金色の瞳をした黒猫だけが、その後姿をいつまでも見送っていた。
 彼女もまた、主のもとへと踵を返し走り出したけれど。





 たとえ道は違っても みな 真っ直ぐに生きていきます




















2004/12/3

 7年生編完結。
 同時に、学生編の完結です。