強くなければ 生きていけないのなら 春が来て、そして過ぎ去って、ホグワーツはまた夏期休暇に入ろうとしていた。 試験も終わった生徒達は、友人たちとの別れを惜しむように日々の時間を楽しんだ。 無論、グリフィンドール寮も例外ではない。 今学期最後の今日もまた、ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックが大きな声で笑っている。 「ジェームズ、今年の夏休みはまた家出してくるから、どこかに遊びに行こうぜ!」 「悪いね、シリウス。僕の夏休みの予定はリリーとのデートで一杯なんだ。ピーターかリーマスのところに行くんだね」 「おいおい。お前、親友と恋人どっちが大事なんだよ」 「1:5ぐらいの比率で恋人が大事かな」 「…………目が本気なのは気のせいかプロングズ」 「ご想像にお任せするよパッドフット」 そんな2人の様子を、お馴染みのメンバーは笑いながら傍観している。 皆、手に手にバタービールのジョッキを持っている。 「いやあ、元気だよねえ2人とも」 「リーマス。なんだか少し年寄り臭いから、ときどきは2人に混ざった方がいいんじゃないかな?」 リーマスの萎びた感想に、ピーターが笑いながら言う。 それを聞いていたリリーは、くすくす笑いながらピーターに同意した。 「そうね、リーマスもまだ若いんだから、まああそこまでとは「かないけど、もう少しはしゃいでも損はないわよ?」 「やだなあ。それならいつも落ち着いている君だってそうじゃないか」 「あら、落ち着いてなんかないわよ。ねえ、?」 突然、話を振られたは、丁度バタービールをがぶりと飲んだ瞬間だったので、一瞬ごふりと咳き込みそうになった。 なんとかそれを堪えたは、多少裏返った声で、 「うン。リリーってばたまに雑誌見てはしゃいでるよ。ピンクと青のブチのカエルが可愛いんだってサ」 と答えた。 それを聞いた友人数名が軽く身を引いたが、幸いにもリリーの目には留まらなかった。 リリーは目をキラキラとさせて頷く。 「そう。そうなのよ! あの最新色のカエル、あなた達見たっ? すっごくかわいいのよ! しかも色だけじゃなくて、なんとなく顔に愛嬌があってねっ」 「リリー、カエルと僕とどっちが大事なんだい?」 期待に満ちた恋人の問いに、リリーは極上の笑みを浮かべ、「勿論」と答える。 「1:8ぐらいでカエルの方が大事よ、ジェームズ」 ジェームズ撃沈。 まっしろに燃え尽きてしまた灰のようなジェームズを、相棒のシリウスが慌てたように揺さぶっている。 口から魂がっ!と叫んでいるが、まあジェームズのことだから復活にそう時間はかからないだろうと、は踏んだ。 苦笑したリーマスが、少々顔色の悪いピーターに囁く。 「数字がリアルなのが怖いね」 「僕、リリーが半分以上本気のような気がするんだけど、どうしよう?」 「なんだか色々と大変そうなカップルだ」 「ジェームズ、大丈夫なのかな」 「さあね。彼の言う世界最強の愛の力によるんじゃない?」 「益々不安だなあ」 「……ピーター、君最近言うようになったよね」 リーマスとピーターの会話を聞いていたは、カラカラと笑った。 またバタービールに口をつけて、炭酸に少し眉をしかめた。甘くて美味しいけど、やっぱり例の名も知らぬ喫茶店の方が良いなと思った。ここは少々、賑やか過ぎる。 けれども今は、1人であそこに行く勇気がなかった。 膝の上で丸まっているが少し身動きをしたので、はハッと我に返った。周囲を見てみるが、特に自分の様子を変に思っていた者はいなかった。 「あれ? 、お前アクセサリーなんて持ってたのかよ」 ジェームズを再起不能と判断したシリウスは、面倒臭くなって注意をこちらに戻し、まず目にはいった青い煌めきを話題にした。 はきょとんとして、シリウスの視線の先に手を当てる。 「ああ、これ?」 休日なので、当然のことながら皆制服ではなく私服である。 は少し襟の開いた長袖のTシャツを着ていたので、肌身離さずつけていた白銀色のネックレスが珍しく姿を見せることとなった。 「お前飾りっけないからさ」 「やっだなあ、わたしだってこれぐらい持ってるよー」 一気に皆の視線が集まった小さな青い宝石は、何故今まで気付かなかったかと思うほど穏やかだが強く存在を主張している。 美しくカットされていて、薄く色のついたダイアモンドのような石だった。 「かぁいーだろー。わたしの一番のお気に入りでえす」 「かぁいーじゃなくて、可愛いとはっきり発音しなさい。」 「すんません」 の言葉遣いを母親のように叱ったあと、リリーはネックレスから目を離さずにほうと息をついた。 碧色の瞳は、夢でも見ているようにうっとりとなっている。 「それにしても良いわよねえ。それ、ブルーダイアっていうやつでしょう? 結構、高価じゃなんじゃないの?」 え。 そ、そうなの? は表情だけは何事もなくへらへらと笑いながら、宝石の知識のない自分を呪った。 もしかしてもしかすると、彼はとんでもない額のものをくれたんじゃないだろうか。いや、彼はケチだしドケチだし、そんな心配はないだろうと思うけれど。まさか。 とにかく、これは必要以上に大切にしようと思った。 価格に関わらず、もとよりそのつもりだったけれど。 「リリー、ああいうのが欲しいのかい? 僕が買ってあげようか?」 「あらほんとっ、ジェームズ? じゃあ夏休みのデート場所はひとつ決まりね」 「ラジャー!」 復活したジェームズは嬉しそうに笑う。 にこにこ笑うカップル以外のメンバーは、全員思った。 完全に利用されてら。 あわれ、ジェームズ・ポッター。 気付いていないのは本人のみである。 「そろそろ移動しようか」 リーマスが立ち上がると、いくつか同意の声が上がる。 まだジョッキにバタービールの残っていたとピーターは、あわててぐいぐいと飲み干しながら立ち上がる。 「じゃ、今日はシリウスの奢りねー」 「おごりおごりーっ」 「お前ら……ジェームズにならまだしも、俺にたかるんじゃねえ!!」 「…友よ、それはどういう意味かな?」 笑いながら店の扉を押し開けたは、日光のまぶしさに目を細めて顔をあげた。 空は青かった。 「本日は晴天成り!」 ガタンカタンガタンカタンガタンカタン 汽車のコンパートメントの一室で、スネイプは頬杖をついて窓の外を見ていた。 何もない田舎の平凡な景色である。 それを飽きずに見ていた女の横顔が思い出される。日本人の自分には、こんな景色こそ珍しいのだと言っていた。 長く日本に滞在した後だったので、その言葉の意味はなんとなく自分にも分かった。成る程と思って同じように見つめたものである。 しかし今改めて見ると、やはり詰まらない退屈な景色である。 「セブルス?」 本から顔を上げたクィリナスが、不思議そうに名を呼んだ。 長い足を組んで読書する姿はなかなか大人の雰囲気が出ていたのだが、片手にしっかり握られたカエルチョコがそれを見事にぶち壊している。 「どうかしたのかい?」 すっかり顔色を取り戻し、前と変わらない笑顔を見せてくれるようになったこの友人を、スネイプは心底守りたいと思う。 クィリナスはこの一件で証明されたように、決して強いタイプの人間ではなかった。優しすぎ、繊細すぎる。相手を気遣う心をありあまるほど持つあまり、今回は限界を遥かに超えてしまったそれに体がついていかなかった。精神の回復は予想より早かったが、実際のところ“完治”とまではいかないのだろう。 しかしそれは、自分にも言えることだ。 友人の死を忘れてしまえるほど、自分は上手くできていなかったらしい。 「いや、ただ読みたい本がなくてな。暇なだけだ」 「そう。ならいいんだけど」 心配そうな表情から視線を外し、また外を見る。 つまらない。退屈だ。暇だ。何もかもが面倒だ。 こんなことは“と生きていた”頃、2人でいるときは一度だって考えたことがない。 けれど、死ぬわけにはいかないから、これから自分はどうしようもなく闇と血に染まりながら、やはり生きていくんだろう。 「もう着くよ」 「知ってる」 スネイプはいつものように仏頂面で、それだけ返した。 いつものことなのでクィリナスは気にしなかったが、それでも何か気がかりそうな顔をしていた。 カタン カタン カタン カタン 速度が落ちたのを足の裏で感じて、スネイプはゆっくりと身支度を始めた。 クィリナスの後姿を見送って、スネイプはマグルの街を足早に歩いた。 足元に広がったコンクリートが何となく不快だった。 威圧するようにそびえ立った建物も、意味もなく不愉快だった。 それでも眉根の皺を増やすだけで、ただスネイプは淡々と歩いた。 スネイプが辿り着いた先は、真昼だと言うのに薄暗い店だった。 ところどころに点いたアンティークなランプの灯りだけが頼りだった。 店主は……いない。 不気味なものが陳列しているその店の椅子に、スネイプは慣れたように腰を下ろした。 何もかもがどうでも良い気がした。ここに生きているのは、あの土砂降りの日に決意したことが頭にあるからだった。 もう、何も失いたくないからだった。 椅子の座り心地が良くない。 そんな小さなことを腹立たしいと感じたが、それを面に出すのも面倒臭く、誰もいないここでは意味もなかった。 ここにがいたら、きっと自分は文句のひとつでも言って、気分を晴らそうとしたに違いない。いや、その前に不快だとも不愉快だとも思わなかったかもしれない。退屈な景色を見て違うことを感じていたかもしれない。 そんなことを思って、スネイプは自分に呆れた。 自分から別れを告げておいて、随分と未練があるようだ。情けない。 スネイプは懐中時計を取り出した。しばらく表面を撫でて、中を開く。カチカチカチカチと、規則正しく秒針が進んでいた。 眉根の皺が少し薄れたのが不思議だった。 キイィィ、と音がして扉が開いた。 「待ったか?」 「いいえ。今来たところです」 「そうか」 現れたのは、良く知ったプラチナブロンドの男だった。 の、嘘でも否定しとけと言っていた声を思い出した。 埒もない。スネイプは黙って時計を左胸のポケットにしまった。鎖がチャラリと鳴った。 「では行くか」 「…その前に、確認しておきたいことが」 スネイプは椅子から立ち上がりながら言う。 闇色の瞳で、まっすぐにルシウスを射抜いた。 「私があなた方につきさえすれば、クィリナスに手を出さないというのは本当ですね?」 軽い調子で念を押すように、けれど一番重要なことを確認した。 大切なものを守る。 クィリナスも。ルシウスも。も。全て守る。 そうあの日、決意したのだから。 そのためにこの闇の道を選んだのだから。 ルシウスはアイスブルーの目を真剣な色に染めて、口元だけ薄く微笑ませて頷いた。 「…お前も疑い深い男だ。案ずるな。それは既に手を回してある。卒業した彼には、長く海外旅行をしてもらうことになるだろう」 「…恩に着ます」 2人は店の奥に進む。 ルシウスは先を歩きながら、振り返らずに呟く。 「すまない」 感情の読み取れない抑揚のない声に、スネイプは目を閉じた。 湧き上がった感情がなんなのか、自分でもよく分からなかった。 「謝らないでください」 奥の部屋に、鎌首をもたげた蛇の置物があった。 鉛色の鱗が艶かしく、鋭いエメラルドの瞳が薄暗い部屋でやけに目立った。 「私の意志です」 スネイプは静かに言った。 スネイプ自身が誰よりもよく知っているセブルス・スネイプという人間は、これから消えてしまうのだろうかと思った。 それでも構わなかった。 たとえ自分が忘れてしまっても、あの紅い瞳が知っている。あの女が覚えている。 だから構わなかった。 今は、何も失いたくないから。 「行きましょう」 「ああ」 ルシウスとスネイプは、合図で同時に鉛色の蛇に触れた。 忽然と、2人の姿は消えた。 どんなに弱くても 強がっていなければならない 2004/11/11 この日、彼らの青春は終わってしまったわけで。 なんとなあく、はやく続きを書きたいと思う。 |