友の前では泣かない これは最後の強がり 「何をぼーっとしているんだい、セブルス」 スリザリンの談話室。 ソファでくつろごうかと思ったところに、見慣れた先客を見つける。 一部ではその早読みが有名となっているその男が、確かに手の中で本を開いているのだが、一向にページをめくられないのを見て取って、思わず歩み寄りソファに座る彼の背後から本を覗き込んだ。 小難しいことが長々と連ねられているが、それほど難解なものではない。 普段の彼なら軽く読破してしまうだろう。 ならば、内容が頭に入ってこないのか、あるいは目を落としているだけ文字さえ目に入っていないのか。 とにかく、現実主義の彼が物思いに耽るなど、あまり頻繁にあることではないので気になった。 「…クィリナスか」 スネイプはちらりとこちらを見上げて、別段不機嫌になるでもなく呟いた。 軽く眉を寄せているのは平常どおりだ。(それもどうかと思うが) 「考えごと?」 そう言うと彼は迷うように視線を彷徨わせ、黙り込んだ。 長い付き合いで学んだのだが、彼の沈黙は肯定と取った方が得をする。 隣に腰を下ろすと、彼は黙って閉じたばかりの本の表紙を睨みつけている。 追い払おうとしないところから見ると、内心は聞いて欲しいと思っているのだろうか。 「彼女のことかい?」 「…」 先手を打つと、案の定スネイプは僅かな反応を見せた。 しばらく躊躇うように間をおき、ゆっくりと頷く。それから、溜息のようなものを吐き出した。 「そろそろ、だから」 「うん」 彼女と約束した終わりの時まで、あとほんの少ししか残っていない。 スネイプの横顔が、暗く翳る。 それを、痛ましい気持ちで見ていた。 「心の整理はできたのかい?」 「……愚かな奴だと笑いたい奴は笑うがいいさ」 「誰も笑わないよ」 「…」 スネイプは両手に顔を埋めた。 鼻筋から下だけが見える。クィリナスは、その唇が薄く微笑むのを見た。 苦笑とも自嘲ともつかない、曖昧な笑みに見えた。 誰も笑わない。笑うのは君だけだよ。 「次…」 スネイプは、相変わらず微笑んでいる。 決して泣かない。 どれだけ悲しくとも、泣かない。 クィリナスは長い間彼の友人であるが、彼が泣かないわけを知らないし、知ろうとも思わない。 「次、会うときが最後だ」 そんなクィリナスでさえ、ときたま。 そう、たまにこんなときは、泣いてほしいと思う。 声を上げて、自分を捨てて、泣き叫んでほしいと思う。 セブルス、いつか君も僕を置いて行くんだろう? あの冬空色の瞳の、高貴な友人と共に。 廊下を歩いていた。 行き先はなかった。 ただ、歩き回りたかっただけだった。 「セブルス」 女性の声に呼び止められた。 振り向けば、首から鈴をぶらさげた見慣れた黒猫が、こちらを見上げていた。 黄金色の瞳が、真っ直ぐにスネイプを見ていた。 「」 呼びなれた名前を口にした。 彼女がこうして呼び止めるとき、用向きは1つしかない。 スネイプの顔から、全ての表情が薄れて消えていった。 はそれをどこまでも冷静な目で読み取り、やがて意味も理解した。小さく溜息をついた。 「あなたは本当にそれで良いと思ってる? セブルス」 「…さあ、どうだかな」 スネイプは廊下の窓から、外を見る。 物思いにふけるとき、は窓ごしに外を見る。スネイプも幼い頃から、窓ごしに外を見ることが多かった。 スネイプはただ、外に出るのは面倒だから嫌いだが景色を見るのは悪くないと思っていただけの理由だったが、彼女と過ごすうちいつからかそれは別の意味を持つようになった。 最近は窓から外を見るとき、景色などほとんど見ていない。ただ考えるのだ。色々なことを考えて、できるだけいつでも平静に自分を見つめ、渦巻く想いの形すべてをとらえようとしていた。今もたぶん、の問いかけに対しての答えを、窓を通して自分の内側を見つめ、探そうとしているのだろう。 「いつか、後悔するだろう」 「ええ、そうでしょうね」 「だが私は、他の選択肢を取って、もっとたくさんのものを失ってしまったあとに、後悔する方がよっぽど恐ろしい」 窓の外にもう、雪はない。 スネイプの中にもう、迷いはない。 「を今失ってしまうことよりも、いつか彼らに…いや、“我々”によってが殺されてしまうことの方が恐ろしい」 失ってしまうのが、恐ろしくないわけではない。 ただ失くしたものは、いつかまた見つかるかもしれないから。 消えてしまうよりは良い。 「伝えてくれ」 は真っ直ぐにスネイプを見ていた。 そこに浮かんでいる感情が何なのか、スネイプには分からなかった。 「いつもの時間、いつもの場所で」 待っていると。 「さよなら、スリザリンの坊や」 踵を返した黒猫は、開いた窓からひらりと飛び降り消えてしまった。 スネイプは長い間、そこから動かなかった。 「行って来ます」 は振り返って、リリーに笑いかけた。 リリーは悲しげな表情で、微笑んでみせる。 「今日なのね」 「うん、たぶんね」 足元に擦り寄ってきた気高い黒猫に、目を細める。 自分をじっと見つめる黄金色の瞳があまりに優しいものだから、は大丈夫だよと目配せをして、目をそらした。 「は、本当にそれで良いの?」 リリーが問いかけると、は笑顔のまま困ったように眉尻を下げた。 自分の手に視線を落とす。 「ある人と約束をしたんだ。いつまでも手を差し出したままでいるって。絶対にこの手を引っ込めたりしないって」 こんな小さな手でも、あの人は大丈夫だって言ってくれた。 気休めなんて簡単に言うような人に見えなかったから、きっと本当に大丈夫なんだろう。 「でも、あいつがいなくなっちゃったら、その行為は意味をなくしてしまう。それがわたしには恐ろしくて、怖い。だけどあいつは、きっと帰って来るって思うんだ。この手がいつもここにあったことをあいつが覚えている限り、いつかはこの手を探しに来てくれる」 まだこんなところにいたのか、間抜け。 そんなことを言いながら、呆れた顔をしてきっと迎えに来てくれる。 そしてそのときはきっと、差し出した手を掴んでくれる。 今は駄目でも、いつかはきっと。 「ああ見えて、優しい奴だからさ」 曖昧で、抽象的で、自分でも何を言っているのかよく分からない。 ただ、これはにとって、唯一の心の支えだった。 きっとなんとかなると思える。 「だから、大丈夫」 じゃあ、とは笑って部屋を出て行った。 は部屋に残っていた。 リリーは崩れるように、ベッドに腰を下ろした。 「は強いわ」 本当に。 リリーは微笑んでいた。 もまた、密かに微笑んでいた。 淋しそうに、悲しそうに、辛そうに、微笑んでいた。 強がりや見栄や虚勢が いつかほんとうになればいい 2004/11/6 泣きたくないときに湧いてきた涙を、零れないように我慢するのって、ものすごく難しいんですよね。 |