何の力もない この小さな手では 僅かな光を頼りに、本を読んでいた。 一冊はアラビアンナイト風の恋愛小説だった。悲しい運命に引き裂かれる恋人同士が、ラストでは見事に結ばれるというハッピーエンド。陳腐だといわれやすいストーリーだが、リリー自身はなかなか面白いと感じた。 まあ、読書感想など人それぞれだ。 二冊目は、妖精呪文についての本だった。著者の経験なども元にした物語調のものであるため、読みやすく分かりやすいし、何より読んでいて飽きない。その半分にさしかかった頃だろうか。 部屋のドアが、キイと音をたてて開いた。 リリーは何気なく顔を上げて、入ってきた友人の顔にぎょっとして本を閉じた。 栞を挟むのを忘れたと、頭の隅で考えたけれど、今はそれどころではない。 慌てて立ち上がり、駆け寄って友人の肩を抱いた。 「ちょっと、、どうしたっていうの?」 「そんなリリー、大袈裟だなあ。友だちの顔に号泣したあとを見つけちゃったぐらいで」 「見つけちゃったぐらいじゃないわよ! 女は顔が命よ? 明日あとが残ってたらどうするのよ!」 「へええ、突っ込むところはソコなんだ。へえぇそーかそーか」 わざと声を低くしてぶっきらぼうに言い、おどけてみせたの笑いに、リリーヘ何か違和感を感じた。 笑いが不自然なせいだろうか。それとも少し喉が嗄れているからだろうか。 いつもと違う気がした。 「、どうかしたの?」 そっと顔を覗き込むようにして、優しく問うてみる。 は少し微笑んで、すっと窓へ視線を移した。外はもう真っ暗になっていた。 「本当になんでもないんだ。ただ…」 あの窓を開けて空を見上げれば、きっと美しい星々が瞬いていることだろう。 そして真っ白な雪の大地が、その淡い光に反射して輝いていることだろう。 それはそれは、美しい光景に違いない。 きっとがどれほど泣いても、悲しんでも、世界はちっとも変わらないのだ。 「わたしは本当に無力で、それが悔しくて仕方ないんだ。でもね、それを嘆いている暇なんてないから、しっかり顔を上げて少しでも前に進もうと決めたの」 「?」 どれほど泣いても悲しんでも、世界はちっとも変わらない。それで良いのだ。 それならば、わたしはこの世界を強く生きてみせよう。 モスグリーンの瞳を持つ彼と交わした、あの契約のとおりに。 「わたしは無力だけど、前を向いていなきゃいけない。弱くても、虚勢や見栄を張って、しっかり立っていなきゃいけないんだね」 は問いに答えているようで、自分に何かを言い聞かせているのだと、リリーは悟った。 赤褐色の瞳に、光が宿っていた。 リリーはたまに、この目が深紅に見えることがある。気のせいだろうとは思うものの、の目は紅に似ている。 「……………」 何故かリリーは酷く悲しくなって、衝動的にを抱き締めた。 はまったく抵抗する様子を見せず、やんわりとリリーの背中に手を回し、抱き締め返した。 「心配かけてごめんね」 「。…お願いだから、無理をしないで」 リリーはきつく友人を抱き締めた。 これほど華奢な肩に、この子は何を背負っているのだろうか。 「わたしは大丈夫だよ」 は泣かなかった。 ただ柔らかく微笑んだ。 リリーはまた、何か違和感を感じたが、それを言い当てることはできなかった。 ただ彼女独特のへらりとした気の抜ける笑みから、何かが欠けてしまったような、いや何か他の要素が加算されたような、そんな印象を受けたのだった。 もう、今朝までの彼女とはどこかが違っていて、決して前の彼女に戻ることはないのだと思った。 リリーは耐え切れず、わけもわからないまま、ただ悲しくて泣いた。 は黙って、そんなリリーの肩に顔を埋めて、窓の外を見ていた。 談話室の時計が、11時の鐘を鳴らしているのが遠く聞こえた。 「ねえセブルス」 「ん」 ぼんやりと、クィリナスが声をかけた。 ベッドの中で読書をしていたスネイプは、顔をあげて親友を見る。 親友は少し痩せた顔で、ふわりと笑った。 「最近悩み事があったみたいだけど、それは一区切りついたのかい?」 まったく。この男の観察眼には毎度驚かされる。 スネイプは片眉を上げて驚きを表し、それから呆れたような感心したような溜息をついた。 本についている赤い紐の栞を挟み、ぱたりと音をたてて本を閉じる。 談話室の時計が、11時の鐘を鳴らしているのが聞こえた。 「この前」 「うん」 話し始める。 クィリナスは、相変わらず優しい目でスネイプを見ている。 エリアスの一件から、クィリナスはすっかり元気を失くしてしまった。それでも少しずつ気持ちの整理もつきはじめているのか、最近は彼は楽しそうに声を上げて笑うこともできるようになった。 だから、話しても良いだろうと判断する。 「最近ちらりと話しただろう? 私にはちょっと前に、妙な知り合いができたんだ」 半ば目を閉じるようにして、スネイプは言う。 落とした視線の先にあるものを、勿論スネイプは見ていない。もっと遠く。 「馬鹿でドジで手におえなくて、へらへら笑っているくせに、泣き虫で愚痴っぽい。だが妙に面白くて、それでどうも情が移ってしまってな」 クィリナスは小さくくすりと笑う。 言い様は酷く、声もいつものようにぶっきらぼうだが、クィリナスはその声音に含まれた優しさの成分を嗅ぎつける。 これはもしかしたら、実は、結構。 彼女にベタ惚れ、らしい。 「だからもう、会うのをやめてしまおうと思った」 あまりに穏やかな声で言うものだから、クィリナスは反応がおくれてきょとんとしてしまった。 それきり、動揺するチャンスを逃してしまって、ただ 「そう」 とだけ相槌を打った。 スネイプは本の背表紙を、指の平でゆっくりとなぞった。 「だから今日きっぱりと突き放してしまおうと思ったのに、結局私はそれができなかった」 冬が終わるまで。 そう言って、また先のばしにしてしまった。 「奴は泣きながら笑っていた。意味の分からんことを言いながら」 ――やっぱりこの手を取ってはくれないんだね ――ねえそれでも、少しでも何かの役に立てたのかな クィリナスが見ると、スネイプは少し微笑んでいるようだった。 笑うことの少ない彼の笑みは、今日は酷く悲しそうに見えた。 「だから冬まで、私は奴と他愛ない話をして、他愛ない日々を過ごしてみようと思う。それで、私の中で何かが整理できるかは分からないが、それが今私にできる限界だと思う。私は立ち止まりつづけることなどできないから、奴を守るためにも、私を構成する全てを守るためにも、強く生きていかねばならないから。そのための、助走のようなものだと思って過ごす」 スネイプは本を置いて、ベッドの中に潜り込んだ。 くぐもった声が、小さく呟いた。 「そう、決めてきた」 クィリナスは、涙を堪えることができなかった。 それが悔しかった。 泣かない親友の前で、泣いてしまう自分が情けなかった。 そしてそれを見ないために、気付いていないふりをしている、不器用な親友の優しさが切なかった。 あとからあとから零れ落ちる涙を否定しようとするように、クィリナスは微笑んだ。 「おやすみ」 「ああ」 クィリナスは細い手を伸ばして、ランプの灯を消した。 暗闇が部屋を支配した。 涙を拭ってあげることもできない 2004/11/2 真夜中に書いたので、真夜中の話になりました。 彼らの別れは、もうすぐです。 あと1年ありますけど、っていうツッコミは不許可。 |