それは 恋のおはなし















 就寝時間までのひととき。
 珍しく課題を終わらせたは、グリフィンドールの談話室でリリーと他愛ない会話に笑いあっていた。
 すると、すぐ近くのソファに、ドスンと疲れたように腰を下ろした影がある。
 見ればシリウス・ブラックである。
 長めの後ろ髪をくしゃくしゃと手で掻きながら、背もたれに体をあずけ大きく伸びをした。

「お疲れですね、旦那」

 が言うと、シリウスは苦笑するように口元を歪めた。

「まあ、な」

 言い難そうな様子からすると、あまり話題にしたくないらしい。
 そう判断したは、触らぬ方が得策だろうと思い、リリーに向き直ろうとした。
 ところが。

「どうせ、また趣味の悪いことして、馬鹿笑いでもしていたんじゃないの?あの、ポッターたちと、ねぇ?」

 そのリリーが、綺麗な青葉色の瞳を細めて、挑発的な言葉を囁いたせいで、話題を逸らすわけにもいかなくなってしまった。
 リリーは優しいし、お転婆な可愛らしさを持った、素敵な女の子だ。
 しかし純粋だからこそ頑なで、優しいからこそ強い。
 気に入らない男の子たちに負けるより、先手を打って圧勝するタイプだ。
 その、持ち前の毒舌で。

「ぁちゃー…」
「なんだと、エバンス。女でも、ジェームズを侮辱するのは許さねぇぜ」

 濃い、どこまでも黒に近い灰色の瞳に、鋭い意思が混じる。
 あれは何色と言うのだろう。

「別に侮辱しているつもりはないけど。本当のことでしょ?」
「…っ…女なら、その口の悪さをどうにかしたらどうなんだ?それじゃあ、いつまで経っても愛する蛙ちゃんにしか相手にされねえぜ」

 蛙だって迷惑かもな、と彼が哂うと、リリーの頬が僅かに染まった。

「あんたにそんなこと言われる筋合いはないわ!」
「俺だってないね!」
「あのさぁ。わたし、血は見たくないんだけど」

 は、相変わらず仲の悪い二人に、呆れたように笑った。
 リリーの『ポッター嫌い』は、今に始まったことではない。
 スネイプの『ポッター嫌い』にも匹敵するのではないだろうか。

「個人的に血気盛んな若者は嫌いじゃないんだけどね。二人ともその溢れんばかりのエネルギーは、も少し他のところに使おうよ」
、年寄り臭いわ」
「お前いくつだよ」

 妙なところで気が合っているのは、気のせいだろうか。
 更に苦笑を深めるの背もたれが、ぐんと沈んだ。

「似たもの同士は喧嘩が絶えない、って本当かもね」

 の後ろの背もたれに肘をついたのは、にこにこといつもの柔らかな笑みを浮かべた、リーマス・ルーピンだった。
 こうしていると、普段穏やかで優しい彼だがときたま黒いオーラを発するらしいという噂に、驚くほど真実味があるのではないかとは思う。

「……リーマス」

 膨らんだ風船がたちまち萎んでいくように、シリウスの怒りがするすると静まっていった。
 恐るべしリーマス、というの小さな呟きは、リーマス以外、誰の耳にも届かなかった。

「ごめんね、2人とも。シリウスが迷惑かけちゃってさ。今日ちょっと虫の居所が悪いんだ」
「おいこら。なんだ、その保護者然としたフォローは」
「虫の居所…てまたなんで?」
、俺を無視して話を進めるな」
「何かあったの、ミスタ・ルーピン?」

 憮然としたシリウスは話題の中心であるにも関わらず、3人の完全無視により、半強制的に蚊帳の外へ追いやられた。
 すごすごと部屋に戻っていくシリウスの背中を気にする風もなく、3人は向かい合って座る。

「さっき、レイブンクローの後輩を泣かせてきたんだよ」
「今度は何したのよ、あいつ」
「レイブンクローの後輩って…もしかして」
「うん。昨日まで付き合ってた子」

 シリウスはあの歳で、もう何人もの女の子と付き合いっては別れるという、遊び人への道まっしぐらの状態にある。
 根は真面目なところがあるのでいざと言うときは大丈夫だろうと、周囲は然程心配をしていないが、本当のところはどうなのだろう。

「信っじらんない…、先月は6年生の先輩とこれ見よがしにイチャついてたじゃない」
「いや、確かその人とは3週間と持たなかったと思うよ」
「そうそう。それでその後色々どろどろしたいざこざと後で、結局レイブンクローの彼女に落ち着いたんだけど、それも1ヶ月の寿命だったよ」

 それで大丈夫なんだろうか彼は。
 少々心配になってくる。
 は彼の将来を、それほど楽観視していない。
 信じたいとは思うのだけどねぇ。

「あれ、本当に15歳?」

 リリーの疑いを含んだ独り言に、リーマスはにっこりと笑って答えた。

「サバよんでなければね」

 黒いよリーマス、というの呟きは、今度こそ誰にも聞こえずに消えた。










「ってことなのよー」

 の嘆息交じりにそう言って、膝の上に頬杖をついた。
 彼はそれを冷たく見下ろして、不機嫌に答えた。

「で、それが私にどう関係があるんだ」
「いや、別に関係はないけど」
「じゃあなんだ」
「こういう男もいるんだけど、君はどう思う?っていうこの至極自然な会話の流れに気付く努力をしようよ、スネイプ君」
「私の答えは『能無し男のことなど知ったことか』だという常識を、理解していらっしゃらないのかな、
「…ああ…そう……おーけい」

 それで十分だよ、と可笑しそうに笑っては彼を見上げた。
 図書館の片隅。
 本棚の前で、立ったまま本に目を通している彼の後姿を見つけたは、嬉々として声をかけた。
 読書をしていた彼にとってはいい迷惑で、さっさと逃げようとしたのだが、ローブの端を握られていてそうもいかなかったのである。
 彼のローブの端を握ったまま上機嫌に床に座ったと、ローブが引っ張られて不機嫌な顔をしながら、椅子ならまだしも床には座らないという意地で立ち続けているスネイプ。
 誰もいない図書館の片隅だったのが幸いで、それは酷く珍妙なコンビだった。

「ところでスネイプ君。愛想、っていう言葉を知ってる?」
「……君こそ礼儀、という言葉をご存知ですかね?」
「失礼な。それぐらい知ってるよ。日本人は礼儀を大切にするんだよ」
「ああ、では君はどこの出身なんだ?」
「だから日本だってば」
「矛盾していると思うのだがね」

 まあ確かに、人の服を掴んで床に座っているのは、礼儀正しいとは言わないかもしれない。
 むうと考え込んだ彼女を見下ろしながら、スネイプは深い溜息を吐いた。
 振りほどこうと思えば、簡単にできるはずなのに、どうもそれをしようとしない自分が不可解である。
 気紛れだ、と言い聞かせながら、こいつに関わるとろくなことがないな、などと今更ながらに確信するのだった。

「うん、よし分かった。離してあげるけど、逃げないでね」
「はあ?」
「簡単に言えば、今わたし手頃な話し相手が欲しいんだよ」
「…話し相手に私を望むのかね」
「理想的とは言えないけど、楽しいからいいの」

 よくそこまで貶しておきながら、ここにいてくれなどと頼めるなこいつ。
 いい加減な女である。
 ローブを掴まれているよりはましだろうと、本棚に寄りかかって楽な姿勢を取ったことで承諾を意を示した。
 は相変わらず楽しそうな目をしたまま、両手で自分の顎を支えた。

「で、結局君は何が言いたかったんだ」
「ん?」
「…ブラックの話だ」

 名前を口にするのも汚らわしい、とでも言うように、精一杯の嫌悪を込めてその名を呟く。
 あの男の所業にどれだけこちらが迷惑してきたか、おそらくこの女は露とも知るまい。

「あんな男のどこが良いんだ」

 理解に苦しむ、と眉を寄せた15歳の少年を見上げて、少し痛みを帯びてきた首を軽く回しながら、はううむと唸った。
 図書室の明かりが、彼女の髪に淡い光沢の輪を描く。
 柔らかな表情で、冷たい床に目を落としたの唇は、薄く微笑んでいる。

「どこだろう。…そうだなぁ、容姿とかも勿論あるだろうけど、きっとそれだけじゃないんだよ」

 確かにホグワーツでも有数の、ハンサムな男の子だ。
 でも彼の魅力は決してルックスだけではない。
 そう、たとえば。

「がさつだけど、友人を誰よりも大切にする優しさもあるんだよ」

 あの瞳が優しく細められる様を、何度見たことだろう。
 表情の翳った友人の鳶色の髪をぐしゃぐしゃと掻き回して、いつもの軽口を叩く後姿を。
 悪戯の計画に輝く、楽しげな笑顔。
 くるくると長い指で羽ペンを玩びながら、物思いに沈んだ横顔。

「見てるとね、彼がどういう人なのか少しずつ分かっていけてる気がしてくるの。ああ彼は本当は優しい人なんだとか、根は真面目なんだなとか。そうするとね。もっと彼を知りたくなる。一番近くで彼を見て、誰よりも彼を知っている人になりたいと思うようになるんだ」

 そして。

「そしてきっと、自分の今まで見てきたものが、決して自分には向けられないものなんだって気付いて、傷ついてしまうんだと思う」

 彼は友人達は本当に大切にするけど。
 きっと変なところで鈍感で、不器用だから、彼女達が本当に求めるものを与えることができない。
 何気ない優しさより、『恋人』としての形にこだわってしまうんだ。
 彼女達が求めたのはきっとありのままのシリウスなのに、甘いマスクを被った理想の恋人になってしまう。

「そうしてその女の子の恋心がだめになっちゃうとね、すぐにシリウスは他の恋心が気になってしまって、その子の相手を辞めてしまうんだ」

 悪循環。
 そんなことでは、何も終わらないのに。

「分かっていても、もしかしたら自分なら彼を振り向かせることができるかもしれない、って思っちゃう」

 振り向いて。
 わたしを見て。
 わたしはこんなに、あなたを見てるのに。

「彼自身も、辛いだろうにね」

 どうしてこんなことになってしまうんだろう。

「で」

 静かに黙って、話に耳を傾けていたスネイプは、表情の窺えないの黒髪を眺めた。
 同じ黒髪のはずなのに、何故こんなにも違うのだろうか。
 西洋人と東洋人の違いか。
 男と女の違いか。

「だから君は告白しようとは思わぬわけだ」

 やっと顔を上げた少女の表情を見て、なんだか立っている自分が馬鹿らしくなる。
 少しだけ間を空けて、彼もまた冷たい床に座る。思ったより不快ではなく、むしろひんやりとした感触が心地よかった。

「なんで」
「そこまで言われれば分かる」

 分かったの、とまでは言わせなかった。
 あんな切なげな声で語られる男など、それ以外に考えられないではないか。

「……まぁ、ね」
「友だちのままでいい、などとほざいてるクチか」
「……直球だねぇ」

 言葉のキャッチボール、野球少年とメジャーリーガー戦。
 150キロ超えたボールなんて、痛すぎてキャッチしたくないよ。

「……でもさ、わたし大事にされてる方じゃん?」

 気を取り直して話を再開したは、先ほどより比較的近い彼の横顔を見た。
 姿勢的には、見上げるよりずっと楽だ。

「たぶんシリウス、意外と恋愛より友情を大切にするタイプだし」

 変わらないもの、と信じているからかもしれない。
 恋は冷めてしまえば終わりだけれど、強い友情はきっと不変だから。

「だから、彼女達と同じ場所に、振り分けられるのは嫌なんだ。格下げされるぐらいなら、今のままでいいよ」

 その声音に含まれたものは、諦めにも聞こえた。
 けれど、本当にそれで満足しているようにも、聞こえた。

「本当は、これが恋なのかも分からないんだ。シリウスの近くにいられたらいいなあと思うだけで、ドキドキしたこともないし」

 スネイプはその横顔をずっと見ていたけれど、嘘を言っているようではないようだった。
 強がりでもなく、正直な気持ちなのだろう。

「もっといろんな表情が見たいって思うだけで、甘いマスクなんて気持ちが悪いだけだし」

 もっとたくさん、そばにいられたらいいのに。
 誰よりも近くで、彼を見ていることができたらいいのに。
 彼の後姿を見ながら、ふとそんな風に感じるだけ。

「ねえ、君はどう思う?」
「は?」
「恋ってどんなのかな?シリウスと仲の悪いリリーには相談しづらくて」

 それを私に訊ねる人間が、この世にいるとは思わなかった。

「知るか!」
「えー。君も初恋まだなのー?」

 役にたたねえ、というように舌打ちされて、スネイプは米神をひくひくと痙攣させる。

「そんなもの、知りたくもないッ」
「そう?興味ない?」
「あるわけないだろうが」
「そんな人生、きっとつまんないよ。知らないより、知ってた方が得じゃんか」

 ハッと鼻で笑うと、は子供のように頬を膨らませた。
 正直に言って、可愛さの欠片もない。

「あ、今可愛くないって思ったでしょー!」
「………」
「顔を背けて笑いを堪えるのって、声を上げて笑うより失礼だと思うんだけど」

 先ほどまでの不機嫌はどこへやら、くつくつと喉を鳴らして笑うスネイプに更に脹れる。
 笑っている彼は嫌いじゃないが、笑われるのは腹が立つ。
 それにしても、なんて子供らしくない笑い方だろうか。

「そんなに笑うとスネイプの貧弱な腹筋が、筋肉痛になっちゃうよ」

 本気でそう思ったらしいの様子を見て、スネイプは口元に笑みを残したまま言った。

「人の腹筋をなんだと思ってる」
「虚弱、脆弱、惰弱、軟弱、貧弱。どれがいい?」
「……」


 そうして、2人が別れたのは、日が傾いた頃だった。
 上機嫌に帰って来たに、リリーやシリウスは不思議そうな顔をする。

 友だちができたんだ。

 そう言った彼女は、ひどく嬉しそうに、あでやかに笑った。















 それは 友情のおはなし




















2004.6.11.

 友情、未だ恋愛に発展せず。
 何故かシリウスに傾きぎみ?