お前はなんと言って笑っただろうか















 翌朝、スネイプはホグズミートを歩いていた。
 まだ比較的早い時間なので、あまりホグワーツ生の姿は見られない。
 勿論、スネイプはそれを狙ってこの時間を選んだ。
 でなければ、低血圧の彼がこの時間、不機嫌にここを歩いているわけがないのだ。

「なんで私が…」

 とぶつぶつに悪態を吐きつつ、スネイプは辺りを見回す。
 考えているのは、医務室に行くときに持っていく品である。普段ならそんなものを用意しようとは考えないのだが、よくよく思えば彼女が風邪を引いた原因は、自分がむきになって雪をぶつけたことにある。責任の一端が自分にあることは否定しようがない。
 罪悪感は微塵も感じないが、これはけじめだ思い、スネイプはこうして慣れないことをしているのだ。
 無自覚だが、相当律儀な性格である。

 やはり菓子か?
 スネイプは知っている限りの『あまり甘くない』菓子を思い浮かべる。同時に、イギリスの菓子は甘すぎるのだと、不満そうにしているの顔が浮かぶ。確かに、日本のダガシ…駄菓子は美味かった。
 それで初めて分かったのは、自分が思っていたより甘党だったということだ。
 認めたくない。認めたくない、が、甘い=美味いの方程式は、もう拭うことのできないものになっている。
 依然、甘すぎる=不味いの方程式が健在なのが、唯一の救いか。
 もしかしたら味覚が、日本人に似ているのかもしれない。
 菓子しかないか…否、やはりやめておこう。太る。
 今更だが、セブルス・スネイプという男、結構失礼な奴である。

 菓子でなければ何だ?
 奴が欲しがりそうなもの。
 本…か?
 スネイプとは趣向が違うが、も結構な読書愛好家である。
 その情熱を勉学に向けてはどうかと思うのだが、彼女が手を出すのは参考書などではなく、冒険小説や恋愛小説の類だ。しかし参考書の類を除くならば、良く言えば守備範囲が広く、悪く言えば節操なしで、たまに幼児用の絵本を広げているところを見かける。
 全く選ぶのが難しいところであるが、適当に買って行ってやろう。
 そうして歩き回るのをやめ、普段のきびきびとした足取りで真っ直ぐに行きつけの本屋へと足を伸ばした。
 そのとき。

「セブルス」

 低い、大人びた声に呼び止められた。
 スネイプは足を止める。
 の好みを思案していたその表情を、一瞬にして掻き消して、ゆっくりと振り向いた。

「…ルシウス」

 慎重ささえ窺わせるテンポで、確かめるように呟かれた名前。
 ホグズミートの石畳に、漆黒のローブに身を包んだ男が佇んでいた。
 深く被ったフードから、美しいプラチナブロンドと、青とも灰色ともつかない冷徹な双眸がちらりと見えた。

「久しいな」

 微笑むこともなく、男は単調に言った。
 スネイプはそれに会釈で答える。無愛想とも取れたが、男は気にする様子もない。

「来い」

 ここでは、と言外に滲ませた意味に、スネイプは頷く。
 内心舌打ちをしたい気分だったが、そんな感情はおくびにも出さない。





 暗い路地だった。
 2人以外に人影はない。
 たとえ誰かがいたとしても、2人を避けて通るだろうというのは、スネイプにも予想ができた。
 ルシウスはもう、顔を隠してさえいない。整った顔が、冷然と前を見据えている。
 その足が、ぴたりと止まった。

「ここでいいだろう」

 日の光が、建物の影から斜めに入っているので、薄暗い、という表現で留めることができるが、夜になれば完全なる暗闇に違いない。
 遥か遠くで、ホグズミートの喧騒が聞こえた気がする。
 ルシウスが優雅な動作で、壁に寄りかかった。
 スネイプはそれに倣うわけにもいかず、ただ肩の力を抜いた状態で、無感情にルシウスを見ている。

「セブルス、学校はどうだ?」

 ルシウスが鋭い目をスネイプに寄越した。
 スネイプは表情を変えない。

「特に何も」

 答えは簡潔だが、ぞんざいではない。それ以外、答えることがないといった風だ。
 ルシウスは頷く。

「今は6年生だったな」
「はい」
「…来年になれば、お前も卒業する」
「はい」

 話題は緩やかに、しかし休むことなく本題へと進んでいく。
 スネイプはそれを肌で感じていた。ずっと前から予想していたことだったので、今更驚くことはない。

「卒業後のことは考えているか?」

 ルシウスの鋭い目は、スネイプを射貫くように逸らされることがない。

「大学に進み、勉学を続けるつもりです」

 スネイプの声は、どこまでも無感情だ。
 目の前の男もそうではあるが、詮索するような響きは拭いきれていない。
 到底、16とは思えない落ち着きだった。
 簡潔な答えよりも、その揺るがない声音に満足したように、ルシウスの薄い唇が弧を描いた。

「我らに加われ、セブルス」

 ルシウスが哂う。
 何を哂っているのかは、スネイプにも分からない。

「“卿”には私が推薦してやっても良い」

 1年前であれば、スネイプは躊躇いなく頷き、心にもない感謝の言葉を口にしていただろう。
 だが一瞬、心を空にした状態だと言うのに、一瞬、鮮やかな笑顔が頭を掠めた。
 躊躇いが表情に出ることはなかったが、柔らかく細まった紅い煌めきが頭を掠めたその一瞬、伏せ気味の瞳が揺れた。
 そこから何を読み取ったのか、ルシウスの笑みが益々深くなる。

「ブランディバックを覚えているか?」
「……エリアスの、ことですか?」

 おかしい。
 何か、おかしい。
 スネイプは初めて、表情を動かした。怪訝そうに眉を寄せて。
 それが酷く可笑しいと言うようにルシウスは笑う。否、哂う。
 ルシウスは、エリアス・ブランディバックをファミリーネームでは呼ばない。
 グリフィンドールのジェームズとシリウスのコンビのように、ルシウスとエリアスの仲は有名だった。
 2人は性格も外見も似ていないのに、ほとんどの時間を共に過ごし助け合って、笑っていた。
 ルシウスの冷徹な視線も、エリアスが隣に居れば幾分和らいでいたし、怒りや蔑みもエリアスだけが止められた。一方エリアスは呑気でドジなところもあり、そこをフォローするのがルシウスの役目だった。面倒臭そうに呆れながらも、決してそれを怠ることはなかった。
 持ちつ持たれつの関係で成り立っていた、確かな友情と信頼。
 2人はスリザリン生の、否それ以上に多くの生徒の憧れを集めていた。

 それが今更、ファミリーネームで?
 何かがおかしい。
 スネイプの探るような視線の先で、ルシウスは微笑んだ表情をぴくりとも動かさなかった。
 それは先程の無表情よりも、完璧に、全ての感情が消されていた。

「ルシウス? 一体…」
「ブランディバックは我々を裏切ったのだよ、セブルス」

 その言葉の意味を、知性がゆっくりと理解した途端、何か大きな衝撃が全身を貫くのを感じた。
 ルシウスは至極楽しそうに言う。

「ブランディバックは、我々の、私の誘いを断ったんだ。誇り高きスリザリンに所属していたというのに、何を血迷ったか、闇に生きることを拒んだんだ。愚かだろう、セブルス?まったく奴は愚かだったよ」

 愚か“だった”?
 何故、過去形なのだろう。
 エリアスはルシウスの親友だった。
 無二の友だった。
 ブランディバックは愚かだった。
 何故、過去形なのだろう。何故“だった”なのだろう。
 何故。

 あれほど確かなものが、過去のものになってしまうのだろう。

「ルシウス。エリアスは……まさか…だって………あなたは、親友だった」
「セブルス、そう動揺するんじゃない。君らしくもない…見苦しいぞ。…親友? 心外だな。奴は私の友情さえも裏切ったのだ。私と奴が友であったのは、もう遠い過去のこと」

 もう戻らない過去のこと。
 ルシウスの瞳は、遠い国の曇り空のような色であり、錆び付いた刃のような色でもあった。
 一度その色合いに気付いたら、目を逸らすことができない。
 虚ろな穴のような。
 虚無と過去だけが広がっている。
 貼り付けたような笑みが不自然に、蝋人形のような妖艶さを放っていた。

「奴は私を裏切った」

 壊れたように繰り返す。

「ご主人様の命令だから、私は奴を誘うほかなかった。私は奴を愚かにも信頼していたから、何の警告もなく奴を誘った。そして、奴は断った。奴は私の友情も信頼も、築いてきた絆すべてをその瞬間に裏切ったのだ。私の生き方さえも否定したのだ。だから裏切ったのは奴であって…」

 エリアスを裏切ったのは、私ではない。

 嗚呼、と。
 スネイプは震える手に顔を埋めた。
 なんてことだ。
 なんて。

「奴が私を裏切ったのだ。奴が」

 エリアスと、彼は呼べなくなっていた。
 その友情を、まだ胸の内に存在する溢れるほどの想いを、否定するにはそれしか方法がなかったのだろう。
 想いは…事実、溢れ出しているに違いない。
 絶望的なほどの罪悪感に切り刻まれた、その傷口からまるで血のように止まることはなく。
 溢れて。
 溢れて溢れて。
 涙さえも、紅く染めて。

「セブルス、セブルス」

 目を覆うように額へと上がったルシウスの片手は、スネイプと同様に震えていた。
 寒さの中、むき出しの手は異様なほど白い。温度を失ったように、爪が青く変色しているのが分かった。
 それなのにその寒さに青味を増す薄い唇は、笑みの名残を留めている。

「決行日は昨夜だ。頼む。行ってくれ。今からでは遅すぎるのは分かっている。奴はもう…死んで、いるだろう。だから行ってくれ」

 私の代わりに、エリアスの死に顔を。
 どうか。

 スネイプは、気付けば走り出していた。
 何も考えていなかった。
 ただ。
 思い出だけが頭を駆け巡り、それらに胸が抉られていくのを、荒い呼吸の合間に感じていた。




 青年の駆ける足音が遠のき、誰一人いなくなった暗い路地で。
 僅かな光さえも拒むように、壁に背を預けたまま、ずるずると男は座り込んだ。

「ェ…アス」

 お前はどうして、私の裏切りを許したのだ。
 何故お前は私を罵らず、微笑んだのだ。
 お前は何故あの時、私に謝ったのだ。
 頭を下げるべきは私だ。否違う。私は謝ることさえも許されないはずなのに。

 闇に生きる私を。
 お前は何故最後まで、友と呼んだのだ。

「エリアス」

 罵って、泣き喚き、絶望に私を道連れにしてくれれば、どれだけ楽になれただろう。
 叶わないのは分かっているが、神と呼ばれるものが存在しているのなら、どうか。
 奇蹟を。
 エリアス。逃げて、生きていてくれ。
 生きて。
 もう一度私に、笑いかけてくれ。


「…っエリアス!」



 私の声は、そこに聞こえているだろうか。















 お前が誰よりも 大切な存在だったのだと言えば




















2004.9.8.

 エリアス・ブランディバック。
 今回はじめて出てきて、突然にこういう展開になったオリキャラ。
 わたしのオリキャラにすぎない彼ですが、少なくともわたしの中で彼は確かに生きていました。
 生き生きと笑い、親友と肩を組み、後輩の良き先輩でありました。
 ルシウス・マルフォイの親友にして、RED−EYES初めての闇の犠牲者。
 いつか、彼とルシウスと、幸せな時間のお話を書きたい。