真っ白な一面の雪に ふつりと湧いた 泡沫を















 マフラーをぐるぐると巻き傍目には今にも窒息してしまいそうに見える格好で、は廊下を急ぎ足で歩いていた。
 は暑がりで、寒がりだ。
 夏は嫌いではない。夏休みという素晴らしい日々でもあるし、空の深さや木々の蒼さ、入道雲の白など、自然の美しさにはいつも目を奪われる。
 それでも、どちらかと言えば冬が好きだ。
 夏はたとえ一糸纏わぬ姿でも暑い日は暑いし(そのたとえもどうかと思うが)、対策と言えば扇風機か食べ物しかない。
 だが冬は暖炉がある。厚着をすれば寒くもない。温かいものを食べれば暑くさえ感じる。
 それに、冬は誕生日のことを考えずにすむ。
 冬は好きだ。

 しかし、寒いものは寒いのだ。

「早く帰って、リリーに紅茶入れてもらおう」

 あったかい紅茶のことを考えて、の足は更に急いた。
 タンタンタンタン、と硬い靴裏が床を叩く、小気味良い足音が響く。脇に抱えた本を持つ手の指先が、どうしようもなくかじかむ。
 本を持つ手を代えて冷たくなった手を袖の中に隠し、ポケットに突っ込む。気休め程度だが、小さくほっと息を吐く。

「紅茶、紅茶、紅茶ー。ダージリンにアールグレイー。ミルクティーにレモンティー。あーホットチョコレートも良いなー」

 ポケットの中で指折り数えて、ひとつひとつの味を思い出していく。
 今の気分にはどれが一番合うだろう。どれが一番飲みたいだろう。

「そうだハロウィンに貰ったチョコレートが残っていたら、ホットチョコレートにしよう。でも誰かに見つかると、色々煩いなー。1人だけずるいとか文句言いそうだなー、あのチョコレート大王は」

 やっぱり無難に紅茶かな、と呟いていたところで渡り廊下に入る。
 肌を刺すような冷気に、一瞬歩調が乱れる。
 俯き加減だったは、ぶるりと身震いして顔を上げた。
 視界に飛び込んできたのは。
 白絨毯。

「わあ、雪!」

 踏み出すと、ざくっと3cmほどの深さの足跡がついた。
 もう一歩踏み出してみる。ざく。
 ざく。
 ざく。ざく。
 ざくざくざくざくざくざくざく。
 ざくざくざく、ズル、べしゃ!

「…そうかそうか。『わたしの足跡が残っていく、嗚呼なんて素敵なんだろう』っていう格好良いパターンは、わたしには許されないわけね」

 滑って仰向けに転んだ状態で、薄灰色の曇り空を見上げる。
 今にもどすんと落ちてきそうな、見るからに重そうで厚そうな雲。
 そのせいで、正午過ぎだと言うのに青空は見えない。
 乱れたマフラーをぐいと下に下げると、息が白く色づいた。

「冷てぇー」

 むくりと起き上がると、背中についた雪がぱらぱらと落ちる音がした。
 立ち上がって、ぱたぱたとローブを叩く。当然、またぱらぱらとど雪が落ちる。
 触れた雪は、当前冷たかった。

「何しとるんだお前は」

 呆れきった声に振り返ると、これもまた当たり前のように、スネイプが立っていた。
 足元には、が滑った拍子に放られた本が落ちている。
 スネイプはそれに気付くとすぐに本を拾い上げ、ぱんぱんと雪を払い落とす。丁寧な手つきで、濡れていないかを確かめている。

「………何キミは。倒れた友人より本が心配?」
「ああ」
「思いっきり肯定かよ! しかも即答かよ! 少しは否定しろよっこんちくしょう」

 バフッ
 鷲づかみにした雪を、思い切り彼の背中に投げつけた。
 スネイプはぴくりと肩を揺らしたが、完璧に無視をして本の表紙が少し湿っているのに、眉を寄せていた。
 それが気に入らないは、いくつか小さな雪団子を準備する。
 一つ。
 バフッ

「よし、命中」

 バフッ

「お、良い感じ」

 バフッ

「あー…もーちょい上かなー」

 ボフッ

「あ」

 背中を狙ったつもりだったのだが、見事に後頭部に直撃した。
 振り返ったスネイプは、般若の顔より恐ろしいだろうと思われる完璧な無表情だった。
 いつのまにか持っていた鞄を下に起き、直接雪に触れないよう、その上に本をのせている。

「覚悟はあるんだろうな」
「全くありませんね」
「では今すぐ覚悟しろ。さあしろ、今しろ、すぐしろ」
「どぅして杖を握ってるのかしらアナタの手はッ!!」
「気のせいだ」
「いやいやいやいや」

 スネイプの杖を握る手が上がる。
 同時に、ボコッという音がして、雪の塊があちらこちらで空中に浮かんだ。

「ぎゃーー!」

 思わず最後の雪団子を投げた。
 その白い塊は、避ける暇のなかったスネイプの顔にクリーンヒット。
 動かないスネイプの顔から、数秒後にずるりと滑り落ちた。

「…きーーさーーまーーー」
「きゃあーごめんなさーぃ!!」

 ひゅんっと杖が弧を描き、切っ先がの上で止まった。
 浮かんだ雪が一斉に襲い掛かる。










 っはあ はあ はあっ はあ っ はあ

「や、るじゃねぃか、おまいさん」

 ぜえっ はあ ぜえ はあっ ぜい はア

「………」

 スネイプは大の字に倒れたの近くに腰を下ろす。
 両腕で体を支えつつ、仰け反るようにして空を仰いだ。
 きっちりと締めた襟元が息苦しいのか、ネクタイを軽く緩め、釦を一つはずす。
 白い喉仏が上下している。

「馬鹿だな」

 空に向かって呟いた。
 も視線は空に留めたまま、にやりと笑った。

「誰が?」

 楽しそうなとは対照的に、スネイプは苦い顔をして答えた。

「両方だ」

 子供っぽいことをしたも、それに乗ってしまった自分も。
 吐いた溜息は、白く目に映り、ゆっくりと掻き消えた。空は相変わらず、どんよりと暗い。

「寒いぃ」
「当たり前だ」
「うぅぅ」

 気だるげに立ち上がったスネイプは、立とうともしないを軽く蹴る。
 は構わずごろりと寝返りを打ち、それからごろごろと雪の上を転がりながら移動した。
 ごろごろと転がりながら笑う奇妙な女を見ているスネイプは、呆れて声もかけられない。

「うへへー。冷たーい。白ーい。うへへへー」
「………ついに狂ったか」

 こんな女に惚れた自分は、一体なんなんだろうか。
 頭痛がする。

「帰るぞ」
「えー」
「えーじゃない。お前もさっさと寮に帰れ」

 やっと上半身を起こしたは、赤くなってすっかり冷えてしまった両手に、はあっと息を吹きかける。
 指先が痺れたように痛み、感覚がない。スネイプに差し出された本を受け取ろうとしたが、力が入らずにするりと落ちてしまった。
 とスネイプは、同時に眉を寄せる。

「馬鹿だな」
「誰が?」
「お前が」
「…うっさい」

 もう一度、吐息を指先にかけた。
 その息の白のように、温もりはすぐに掻き消えてしまう。
 こしこしと指先を擦り合わせ、摩擦熱を期待してみる。

「んーー、どうしよう。袖も濡れてるから、腕で抱えることもできないし」

 困りきって彼を見上げると、スネイプは瞼を閉じて深く溜息を吐いた。
 拾い上げた本の背表紙で、とんとんと肩を叩く。

「これは私が持っておくから、明日いつものところに取りに来い」
「うぃー」
「その酔っ払いみたいな返事をどうにか……あーもういい! さっさと帰れ! 風邪引いても知らんぞ」

 束ねた髪をがしがしと掻いて、スネイプは溜息を堪えた。
 今日、一体何度溜息を吐いただろうか。先程に偶然出くわしてから、確実にその割合が跳ね上がっている。

「ほら立て」
「……起こして」
「ふざけるなよ?」

 スネイプが睨む。
 その視線を受けて、もそれを見つめ返す。
 負けたのは勿論。
 当然の如くスネイプである。

「…………ほら」

 差し出した手を、はにこにこと掴む。
 惚れた弱みである。





 ひらひらと手を振って、寮に帰って行くの背中を見ながら、スネイプはまた一つ溜息を吐いた。

「馬鹿だな」

 誰が、だと?
 スネイプは目元を片手で覆うようにして俯き、苦く笑った。

 手が触れた瞬間。
 静かな水面に、ふつりと湧いた泡沫のような感情。

 馬鹿なのは。
 その正体に気付いてしまった自分。
 そして、そんな自分の様子に、気付かない

 その2人に他ならないのである。

「大馬鹿だ」















 留めておくすべなど どこにも有りはしないのだ




















2004.8.30.

 馬鹿なのは、セブルっさんと、と、書いてる私。
 たぶん私が一番バカだなあ、うん。