喜びに 浮かれる 足取り















 食べてる、食べてる。
 は横目で、チョコレートを齧る彼の、美味いのか不味いのか分からない表情を観察していた。
 それでも休みなく口を動かしているところを見ると、不味いというわけではないらしい。彼から催促してきたわけだから当然なのだが。
 美味いなら美味いと言えば良いのに、感想を聞いても「甘い」としか答えない。
 そのくせ少しでも不味かったなら、たぶんボロッカスに貶し否定しつくすのだろう。
 その些細な行動がセブルス・スネイプという人格をとても正確に表しているような気がして、チョコレートを噛み砕きながらも唇がにんまりと吊り上がった。
 嫌いなものは嫌いと言い切り、嫌悪の表情をさせれば天下一品だと言うのに、好きなものを好きと言うのには多大な努力を要する。
 とても、彼らしい。
 スネイプは隣で笑いながら口を動かす女に何か言いたそうにしているのだが、食事中は人と話さないという意地があるらしく黙っている。
 最後の一欠けを口に放り込んで、やっとに向き直ったかと思うと、ぎろりと睨んだ。

「何をにやにや笑ってるんだ。気味の悪い」
「気味悪いとは失敬な。わたしはチョコレートと一緒に、ささやかな幸せも噛み締めているんだよ。…あぁー今わたし上手いこと言った!」
「上手くない」
「…」

 そんなにきっぱり言わなくても良いと思う。
 全てのチョコレートをごくんと飲み込んで、は抗議を開始した。

「わたしがあげたチョコレート食べておきながら、人が笑うことをどうこう言う権利はないと思うよ」
「馬鹿者。食事中に意味の分からない不気味な笑いが視界に入れば、誰だって文句の1つも言いたくなる」

 なんだか今日はこちらに分がない。
 どうしてだろう。
 もしかしたら今日のわたしは、とても運勢が良くないのかもしれない。
 縦ロール事件もあったことだし。

「ちぇ。ツイてねーの」

 ぶすっと呟くと、スネイプは呆れたような顔をして、ぼふぼふとぞんざいに隣の頭を叩いた。
 その自分のものより大きな、男っぽいのに指の長い骨ばった手は、最近よくに触れるようになった。
 なんだかその行為のたび、でさえ意識できないような記憶の隅っこに、小さな思い出を少しずつ少しずつ積み重ねているようで、嬉しいような恥ずかしいような不思議な感覚に陥る。それはたった一瞬のことだから、その気持ちの名前を未だ突き止められずにいるのだが、そんなに深く考えない。
 ただ、温かいなと思った。今はそれだけで良かった。
 深く考えてはいけないような気がした。
 だから今沈黙が落ちれば、そういうことを考えてしまいそうな気がして、は慌てて話題を探す。

「このチョコ美味しかった? これはね、ええっと、そうそう、リーマスに貰ったんだ」

 ぴくり、とスネイプの眉尻が反応したが、言葉を探すのに夢中なは気付いていない。
 今日は本当に、ツイていないである。

「でもリーマスに『Trick or treat返し』されて、お菓子あげらんなかったから悪戯されそうになってさ。焦った焦った。壁際まで追い詰められたんだもん。もう少しで縦ロールにされるところだったよ。途中でが助けてくれたんだけど、なんかもうそのときのの怒りようが凄くてね。毛を逆立ててさ、あとちょっとで大きくなって今にもリーマスを喰い千切るかと思ったよ。でね、リーマスが真っ黒く笑って、『男はみんな狼だから気を付けてね』みたいな意味の分からない捨てゼリフと共に去っていってね」
「もういい。大体分かった」

 も大変だな。
 を主と決めている(本性は黒豹という少しばかりデンジャラスな)黒猫の気苦労を思って、スネイプは少し同情する。
 しかしだ。
 そんなことよりも、大変な事実が発覚した。

「…そうか、ヤツは敵か」
「何か言った?」
「いや」

 これからどうやってあの腹黒大王と戦うべきなのか考えて、少し青くなっているスネイプ。
 頼みはだけだ。
 もしかしてものすごく大変な女に惚れてしまったのではなかろうか。

「だけどチョコ美味しかったねー」

 のほほんとは笑う。
 他人の気も知らないで呑気なものだ。
 そんな彼女を少し眉を寄せて睨んだスネイプを、誰が責められるだろうか。

「口にチョコついてるぞ」
「え、嘘っ!」
「袖で拭くなと言っとるだろうが!」
「むう」

 渋々ポケットから引っ張り出したハンカチで、無造作にごしごしと口の周りを擦るを、呆れた様子で眺めながらスネイプは溜息を吐く。
 無理に引っ張り出したせいでポケットは裏返り、一緒に入っていた小さな菓子の1つが、階段を転げ落ちた。
 あ、と声を上げて慌てて取りに立ち上がったのポケットから、またぽろりと別の菓子が落ちる。
 それにやっと気付いたが、慌ててポケットを元の状態に戻してから屈みこんだころには、その小さなポケットのどこにそんなに入っていたのかと言うほど、床に菓子が散らばっていた。
 スネイプは呆れて溜息も出なかった。

「お前はどこまでも阿呆だな」
「っさい。セブルスも手伝いなさい。連帯責任っス!」
「嫌だ。何が連帯責任だ。どうして私がお前の餓鬼っぽい馬鹿な失態の尻拭いをせねばならないんだ」
「…んにゃろ」

 階段の下からが恨めしげに睨んでくる。
 スネイプは涼しい顔をして、屈んでちょこちょこと動き回るを眺めている。
 惚れていようがいまいが、優しくしてやるつもりなど毛頭ない。
 そういうところが積極性に欠けるというのだが、彼はそんなことはどうでも良い。
 勝ち取る、というものではないような気がするからだ。
 ただこうして2人で過ごす時間があって、それでがいつものようにへらへら笑ってさえいれば、彼はそれで満足なのである。
 それ以上を望まないと言えば嘘になるが、望んではいけないのだと、知っている。
 が友情以上を抱かないのなら、それで良し。ただ友人としてだけでも、支えてやれれば良いと思う。
 それだけだ。
 それだけなのだ。

 けれど。

「ヤツにやるのは、気に食わないな」

 あの腹では何を考えているのか分からない笑顔を貼り付けた男に、を奪われるのはどうしても嫌だ。
 ふむ、と口元に手を当てる。
 あー何か真剣に考えてるー、とちらりと彼を見遣ったは思う。
 あれは難問に行き当たったり、思考を巡らせているときにする、彼の癖だ。
 ああしているとき、彼の頭の回転は吃驚するほど速い。
 全て拾い終わったのを確認して立ち上がったは、スカートの裾をぱんぱんと叩いた。少し埃が舞う。陽光にきらきらと光った。
 階段をゆっくりとした歩調で二段跳びにのぼる。

。お前確か、さっきのチョコはルーピンに貰ったと言ったな」
「うん。それがどうか」

 した、と続けることはできなかった。
 ぴたりと足を止める。
 嫌な汗が背中を伝った。
 立ち上がったスネイプが、にやりと人が悪そうに笑った。

「人から貰ったものは、数に入らんなぁ」

 お菓子をくれなきゃ…

「そんな…だって…」
「Trick or treat.この言葉の意味が分からんわけではないだろう。ほら、菓子を出せ」
「だってセブルス。ほら、あれでしょ」
「ほう、菓子はないのか。持っていないんだな、つまり」
「あれだよ、あれ」

 何があれなのか、自分でもよく分からない。
 リーマスのときと、ほとんど変わらない状況に陥ってしまっている。
 効果的な対策はたった一つ。
 三十六計逃げるに如かず!
 くるりと方向を転換して、またも二段跳びに階段を駆け下りる。
 一気に下まで駆け下りあと一段となったところで、がしっと肩を掴まれた。
 恐る恐る、とてもゆっくりと振り返れば、満面にこれ以上ないほどの笑みを湛えたセブルスがいた。

「逃げるとはどういうつもりだ?」
「そういうつもりサ」

 リーマスのときのように、じりりと後退る。
 スネイプも追うように、悠々と歩を進める。
 ごんと背中に当たったのは壁ではなく、階段の手すりだ。だが、状況は変わらない。
 むしろもっと悪い。
 スネイプが逃れられないように、両手を手すりについたからだった。からしてみれば、右も左もスネイプの腕に塞がれて動けない。
 彼の笑みが、今までにないほど至近距離にある。

「そ、そんなにお菓子が欲しかったの? そうじゃないんでしょ? ならいいじゃないか」
「まあ、風習は風習だからな。菓子がないなら、それなりに」
「むしろそっちが目的と化してませんか!?」
「気のせいだろう。さあ、何をしようか」

 楽しそうだ、スネイプ。
 にこにこというより、にやにやとしながら至近距離でを眺めた。
 は逃げることを諦めたらしく、何をされるのかとびくびくしている。だが、滅多に拝めない彼の笑顔を見逃すのは勿体無いと、彼から目を逸らせずにいた。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。
 なんだかすごく変な状況で、しかも何故だか知らないが心臓の音が煩いのだ。
 うわあ、うわあ。

 ふっと、彼の笑みが消えた。
 何かを迷っているような、真剣な表情になる。
 そ、そそそんな顔をするのは反則だ!
 意味の分からない心の叫び、混乱する思考、煩い心音、緊張で動かない手足。



 この1年でひどく大人びた低い声が、名前を呼んだ。
 だから反則だってばソレ!!
 抗議の声を上げたいのに、喉はカラカラ。
 わけが分からなくなる。目を閉じて嵐が過ぎ去るのを待ちたい。それなのに、それさえもできない。
 強い闇色の瞳から目が離せない。
 何がどうなっているんだろう。

 ゆっくりと、彼の手が上がる。
 大きな両手が、両頬を包むように添えられる。

 動けない。

 そして。



 むにーーーー

「あいゃアー」

 両頬を左右に引っ張られた。
 柔らかい頬が横に広くなり、この上なく間抜けな顔になる。
 しばらくそれを無言で見つめていたスネイプは、次第に口元がひくひくと動き、それから顔を背けてぶはっと吹き出した。

「あにすんのさー!」
「い、一度してみたかったんだ…くっ」

 べしっと彼の手を叩いて、やっとその手から逃れたは、顔を真っ赤にして怒った。
 スネイプは蹲るようにしゃがみ、腹を抱えて笑っている。
 腹が立ったので、軽く靴裏で彼の脛を蹴った。その拍子に、しゃがんでいた彼は石の床に尻を着いたが、それでも彼の笑いはおさまらなかった。
 やっと彼が息ができるようになった頃には、は完全に剥れていた。
 ふてくされた顔をして、ジト目でスネイプを睨んでいる。

「いや、傑作だったぞあれは。お前はすごいな、あんなに面白可笑しい顔ができるのか」
「頬っぺたつねられたら、誰だってそーいう顔になります!」
「いやいや、お前ほどの人間はそうはいないぞきっと。…うん、まあ感謝しよう、。しばらくはあれを思い出すだけで笑える」
「そりゃあ、結構でございますこと!」

 は頬をひきつらせながら、にっこりと笑った。
 スネイプはにやけて仕方のない口元を、さりげなく片手で隠しながら彼女の肩をぽんぽんと叩いた。

「まあ、これで悪戯はすんだわけだし、一件落着だろう」
「ど、こ、が。わたしのプライドはずったずたじゃん」
「安心しろ。お前はプライドなんていう上等なものは持ち合わせてないはずだ」
「持ってます! ばりっばり持ってます!」

 余程楽しかったのだろう。未だ彼の目元は笑っていた。
 なんだかひとり怒っているのも馬鹿らしくなったは、大きく溜息をついて怒らせていた肩から力を抜いた。
 ついでに腰も抜けてしまいそうになって、慌てて手すりを掴んだ。
 ほんと、ツイてないよ今日は。

「ここで引き下がっちゃあ」

 はぼそりと呟いて、顔を上げた。
 怪訝そうな顔をして、彼が見下ろしてくる。

の名が廃りまさあ!」

 うんうん、と何か1人で頷いている。
 それからビシィッと人差し指でスネイプを指差した。
 彼の腕から逃れただが、大して移動していないので、至近距離には変わりない。
 の人差し指の先は、彼の鼻の頭からほんの1cmほどしか離れていなかった。

「Trick or treat!!」

 静かな階段に凛と響き渡るような声。
 挑戦的な赤い瞳。
 少しだけ楽しげに上げられた唇。
 引っ張られたせいか、それとも別の理由でか、頬が少し赤い。

 せっかく寸でのところで自制に成功したというのに、そういう顔をされればいつ理性がぶちきれても可笑しくない。
 そんなことを心中で呟いて、スネイプはぎゅっと拳を握った。
 先ほど自制できたのは、きっと奇跡に違いない。
 もう一度同じ状況に陥ったとき、同じ行動を取れる自信は、砂一粒分もない。
 あのとき確かに、自分という男の視線は。
 彼女の唇に。

 考えるなっ。
 スネイプは一旦暴走する思考を中止して、現実世界に引き戻す。
 彼女の言葉は「Trick or treat」。それに対する、セブルス・スネイプの正しい反応は。
 他の女なら無視するところだが、相手はだということと、昨日入手したばかりのものを計算に加える。
 はじき出された答えはひとつ。

「菓子をやれば良いんだろう」

 はきょとんとして首を傾げた。
 スネイプは呆れたように小さく溜息をつき、ポケットから取り出した何かを放り投げた。
 慌ててお手玉しながら受け取ったところで、彼が小さく笑ったのが見えた。
 その困ったような微笑みを隠すように、スネイプは踵を返した。

「セブルス?」
「私も暇ではないんでな。そろそろ時間だ」

 の手に残されたのは、鮮やかなオレンジ色の飴。
 透明の包み紙が、くしゃりと音をたてた。

「ありがとう!」

 彼はすでに角を曲がってしまっていたが、それでも聞こえただろうと思う。
 規則正しい足音が、少しだけ乱れたから。

「嬉しいねー」

 にやにや笑いながら、意味もなく独り言を呟いた。
 ハロウィンに菓子を贈るほどの友人を、彼が他に持っているとは思えない。
 たとえとても親しい友人がいたとしても、「そんな風習くだらない」と笑って流しているだろう。
 それなら。
 進んで菓子を買おうとしない彼のポケットに、今日と言う日だけこれが入っていた理由はひとつだ。

「嬉しいねぇー」

 もう一度呟いて、は大事そうに小さなそれを胸ポケットにしまった。
 食べるのが勿体無い気がした。

 でも、どうしてこんな些細なことが、こんなに嬉しいんだろう。

 ふと湧き上がった、自身への疑問。
 少しだけ眉を寄せて考えてみたが、やはり途中で放棄した。
 そろそろ夕食の時間だ。

 は普段どおりの――否、普段より少し軽い足取りで、人気のない廊下を歩き出した。















 原因(キモチ)に 気付いてはいけない




















2004.8.24.

 書いてるコッチが恥ずかしいっつの!(じゃあ書くな)
 ポイントはリーマスのときとセブルスのときと、状況は同じなのに自分の反応が違うということv うふふゲロ甘v(壊)
 母上さま江。あなたの娘は引き返せないところまで来てしまいました。
 親不孝なわたしをお許しください。かしこ。

 実はこの光景とリーマスの行動を比較して、「どうしてあんたはそういくじなしなの!」と絶望するも書く予定でした。
 「あのうそ臭い腐れ腹黒笑顔仮面狼にが食われちゃうじゃないの! 食われる前に、あんたが食ってよ!」
 と滅茶苦茶なことを言われて、絶句してしまうセブルスとか。(なんかもうヤケだね)