罪なき人など何処にもいない 生まれることさえ 罪なのだから いつしか森とも林ともつかぬ場所を、2人は歩いていた。 曰く、この木々の間を縫う小道の奥に、蛍がきれいな場所があると言う。 人気がなく、美しいのだと言う。 スネイプは『蛍』というものを見たことがないから、何がどう美しいのかはよく分からない。 光る虫だと聞いているがは平気なのだろうか、という心配は消えない。しかしまあ、彼女から言い出したことだ。大丈夫だろう。 歩きながら、先程から妙に静かなの様子を窺う。 すると、はふと口を開いた。 「セブルス、あのね」 「…」 上手い相槌も浮かばず、ただ小さく頷いて促す。 はどう切り出せば良いのかを迷うように、少しだけ沈黙する。 「昨日、言ってくれたでしょ。言いたくなったら言えって」 「…ああ」 「わたしには3つ秘密があるの。その内、2つだけ話すよ。いい?」 「ああ。構わない」 表情は暗い。 当たり前だが、やはり進んで話したいことではないのだろう。 しかし話そうとしている。全てを明かしてくれようとしている。 それは確かに彼女の意思だ。 スネイプは頷いた。 「じゃあ、1つめ。まずはわたしの、血筋の話からしなきゃいけないね」 「リディには話したっけ?俺の母方の方の血のこと」 「家のことか。確か、日本の巫女がどうとかって言っていたな」 縁側で名前も知らない虫の声を聞きながら、2人はゆっくりと話しを始めた。 は縁側の下、彼らの足元に潜み、2人の話に耳を傾けていた。 「俺自身、あまり詳しくは知らないんだがな。どうも偉大な巫女サマの血が流れてるらしい。業はもう廃れてしまったが、ずっと変わらず受け継がれてきたものがある。家宝、と言うのかな。覚えてるだろ?俺が大事にしてた首飾り。赤い石の」 「あぁ」 ベイルダムの脳裏に、鮮やかな赤が蘇った。 最初にそれを目にしたとき、まるで血の結晶のようと思ったのを覚えている。 目も心も奪われてしまうと思った。 リチャードの瞳には似ても似つかない。 魅惑的で、威厳があり、そして危険な色。 「確か……母親の形見だと」 「ああ、それ嘘じゃないぜ?あの人も俺と同じように、肌身離さず持っていたから。俺が持っていた一番の理由はそこにあるし。ただそれがたまたま、家宝だったってだけの話さ。………そしてたまたまそれが」 リチャードは固く目を閉じた。 「不思議な力を持った、石だったってだけの話さ」 軽い口調は、自分に言い聞かせているようにも聞こえる。 誰にも非はなかった。 それは最悪の形で重なった偶然が原因で。 それを人は運命と呼ぶのだけど。 「遠い遠い遠い昔に巫女が神に手渡されたって話だが、そんなことは知らない。ただその力が問題だったんだ」 今にも倒れそうな気配に、ベイルダムがそっと彼の背に手を当てる。 リチャードは反応せず、ただ先を続けた。 「あの石の正式な名前も分からないが、ただお袋は“王者の石”と呼んでいた」 ―――“賢者の石”とは違うわ。…そうね、取りあえず“王者の石”とでも呼びましょうか。もう誰もコレの名前を覚えてはいないから。 ―――実際、巫女が仕えた王が使ったこともあったそうだし。 「石の力は巫女の血を持った者しか使えなかった。だが時が経つうちに、血は薄れ業は廃れた。だから結局誰も使えなくなって、使えないということはただの石と変わらないものになってしまったってことだろう?それでも…いや、だからかな。お袋は、『失くしてしまってはいけない物のような気がするから』と言って、肌身離さず持っていた。だから俺も、ただの形見として身につけていた。お守りのように思っていた」 それが災いした。 “アレ”は、そんな単純な物ではなかったんだ。 「俺はある日、“アレ”を、使ってしまった」 「16年前の今日。わたしが、生まれるときに」 2人はまだ、手を繋いだまま歩いていた。 そろそろ、川に着いてもいいころだろう。 スネイプはの様子を気にしながらも、訝しげに尋ねた。 「だが、使えないものだったんだろう?」 「ううん、“そのはずだった”だけ。お父さんは生まれつきとても巫力が強かったんだ。父親から遺伝した魔力に比例していたんだと思う。でもずっとずっと先になるまで、そのことには誰も気付かなかった。だって巫女が存在したのはずっとずっと昔のことだったからね。巫力がどうのを見抜けるひとなんて、そう近くにはいなかったんだ」 「何故、リチャードが…?」 は虚ろな目を上げた。 紅い瞳が、何故か普段より深く見えた。 紅い、紅い目。 「お父さんの、実のお父さん。つまりわたしのお祖父ちゃんはね、イギリスの魔法使いだった」 「…じゃあお前は」 「うん。4分の1はイギリス人。クォーターってやつ」 の瞳が閉じられた。 あの紅色を、隠してしまおうとするように。 「お父さんは、巫女と魔法使いの初めての混血児だったんだと思う。そのせいで、たぶん想像もできないほどに、巫力も魔力もずば抜けていた。元々お祖父ちゃんも強い魔力と才能を兼ね備えた天才だったから、きっとそのせいもあるんだと思う」 じゃり じゃりり 下駄の底が、天然の砂利を踏む。 そう遠くないところで、水が流れる音がする。川が近い。 「お祖父ちゃんの名前は、トム・マールヴォロ・リドル」 紅い瞳の、西の魔法使い。 祖父と祖母はとても愛し合っていたのだと、父は言っていた。 進む道の違いに、離れることになったけれど。 それでも、愛し合っていたのだと。 「今はもう誰も、お祖父ちゃんの本当の名前を知らない。世に知られている名前は、誰も口にしようとしない」 スネイプは、どくん、とひとつ大きな音をたてたきり、静かになった心臓に構っている暇もなかった。 ただ驚きに目を見開き、無意識に立ち止まった。 も立ち止まって、振り返った。 紅い瞳がこちらを見ている。 「ヴォルデモート卿と名乗っているから」 歩こう、とはスネイプを促して、緩やかに微笑んだ。 何かを諦めてしまったような、もういいよと言うような。瞳だけが揺れている。 「わたしのお祖父ちゃんがヴォルデモートだってこと。これが1つ目の秘密」 どれだけ、彼女はその秘密を胸に秘めていることで、傷ついてきたのだろうか。 ホグワーツで過ごしていれば、身近に闇の帝王に親類を殺されたと嘆く友人が溢れていただろうに。 否。実際、親しくしていた友人が殺されてしまったことも、あったかもしれない。 それは、血の繋がった祖父がやったのだと、はずっと知っていたのか。 それなのに1人で耐えていたのか。 誰にも秘密を明かすこともできずに。 「セブルスは、それでもいいの?」 驚きからゆっくりと覚めたスネイプは、彼女の質問の意味を理解する。 ヴォルデモートの孫娘と知っていて、今までどおりにいられるの? そう問われている。 柔らかい紅の瞳が不安そうに揺れる。 一度目を閉じ、そしてゆっくりと開く。 不安げな赤のそれに向かいスネイプは普段のように口端を上げた。 「祖父が誰それだからと言って、友人関係を破棄してやるつもりはないぞ。そんな簡単に拒絶できるものだったら、グリフィンドールというだけで理由は十分なんだからな。私に拒否権なんぞないわ。…ほら、さっさと先を続けろ。まだあと1つあるんだろう?」 は泣きそうに顔を歪めて、頷いた。 ありがとう、と呟いて。 「親父のこと話したの、いつだったっけ?」 リチャードが微笑みを浮かべて、ベイルダムに尋ねた。 忘れるなよ、と彼は親友を睨む。 「2年の夏休み。孤児院から抜け出して、2人で野宿したとき」 「よっく覚えてるなー、お前。…って言いながら、俺も忘れてたわけじゃないんだけどね」 あのときほど、嬉しかったことはない。 自分の出生を知りながら、それでも変わらず親友だと言ってくれたあのとき。 お前のためなら死んでもいいと思ったなんて、言ってやるつもりはさらさらないけど。 「正式には別の使い方があったのかもしれないが、俺はただ“アレ”をお守りとして使ったんだ。あまりにも、効力ありすぎたけど」 リチャードが苦く笑った。 話が戻ったことを感じて、ベイルダムは表情を引き締めた。 「俺の奥さん、体が弱かったんだ。子供ができたことをすごく喜んでいたけど、とても無事に産めるとは思えなかった」 リチャードの横顔は、苦しそうだった。 月光が、彼の黒髪に淡い光沢をつくった。 「俺は魔法界の病院を手配しようとしたが、魔法省に止められた。何度も何度もかけ合ったんだが、何を言っても駄目だった。皆、親父が怖かったんだ。だからマグルを助けたなどと言っていらぬ報復を受けることを恐れた」 孫が生まれるんだぜ? それなのに、なんであんたの信念が俺たちの邪魔をするんだ。 「親父は俺の存在さえ知らない。お袋は最後まで話さなかった」 何故かと、昔俺は聞いた。 何故、父は俺を知らないのかと。何故話さなかったのかと。 母はごめんねと言って謝った。 あの人と同じ道を行ってほしくなかったのだと言った。 俺は彼女の愛を感じ、それを嬉しく思った。だから、父が知らないことにそれほど頓着したことはなかった。 そして、母があんなにいとおしげな顔をして語る父という男を、誰がどれほど憎もうとも、どうしても嫌うことができなかった。 「だが、あの日ほど。…あの日ほど、父を憎んだことはないよ」 結局、陣痛が始まって運び込まれた先は、大した設備もないマグルの病院だった。 「俺は“お守り”を握り締めて、祈っていた。”彼女を助けてくれ。彼女を死なせないでくれ。子供を助けてくれ。無事に生まれてくれ”」 あまりにも軽率で、あまりにも愚かな行為。 巫力さえなければ、それはただの祈りでしかなかったのに。 それなのに。 「願いは叶えられた」 望んでいたことのはずなのに、それは。 ひどく残酷な。 あまりにも。ああ何とも形容できない、辛さを伴うそれは。 身勝手な願い。 あんなものを、望んだわけではなかった。 「俺は次の瞬間、妙な場所に居た」 いや、あれは居たのか? あそこには何も存在していなかった。 現実の中心。夢の果て。宇宙の中心。世界の果て。 そこは世界そのものだったが、何処でもなかった。 「俺はそこで“何か”に問われた」 お前は 汝は 何を 願う 何を願う お前は 汝は 何を 望む 何を望む 「俺はわけも分からず、ただ妻の無事と子供の誕生と答えた。口走ったようにも思うし、無理矢理頭の中から引き出されたようにも思う。いや、やっぱり望んだのかな。…今になっては分からないが、とにかく俺はそう答えたんだ」 叶えよう 巫女の末裔 その血の契約のもとに 掟にしたがい 相応の代償を捧げよ 代償は 時間 と 命 妻の余命は あと4年 お前の余命は 20年 罪深さに 涙してみな 十字架を背負い 歩む 2004.8.6. |