大きな喪失感を知った日を 今もまだ覚えてる















「静かだなあ」

 机にゆったりと頬杖をついて、リチャードが言った。
 とスネイプにいつものように買出しを頼んだので、しばらくは帰って来ないだろう。あの日から買出しは彼らの日課になっていた。
 そんな気の抜けたリチャードを一瞥した後、ベイルダムは無言で扇風機の首を回し、ボタンをがちゃりと押して風量を強から中に変更した。
 魔法界にはもっと便利な装置や魔法があるというのに何故わざわざこんなのものを使うのか、とベイルダムが尋ねることはない。彼がマグルとしての生活を好んでいることぐらいよく知っている。
 そしてここに居候するかぎり、その彼の好みに合わせるのは当たり前のことだ。
 だからここに来てから一度も魔法を使っていない。
 少々くすぐったいような奇妙な感覚ではあるが、全て自分の手でこなすというのは新鮮な経験である。
 悪くはない。

「なー、リディ。あの2人は結ばれるかな」

 あまりにも突然の発言に、麦茶のグラスを傾けるベイルダムの手が止まった。
 吹き出さなかったことを褒めて欲しい。
 探るようにリチャードを見たが、紅い瞳は軽く伏せられている。

「…少なくともお前の娘は恋愛感情を持ってないだろう」
「どうかな。父親にもそこまでは分からないからな」

 ベイルダムは親友の目に、何か深い翳りのようなものを見つける。

「父親のお前に、隠し事はせんだろう」
「ああ。しないつもりだろうな。だけど、つもりじゃは駄目なんだ。自分にさえ正直じゃないから」

 ふう、と憂鬱に溜息を吐く。
 縁側を陣取ったが黄金色の目でリチャードを見ている。青とも黒とも言えぬ目で、ベイルダムも見ている。
 注目を集めていることに気付いたリチャードは、苦く笑った。

は元来鈍感だろう?…その上、変な癖があるんだ」

 グラスの中の氷が、かたりと鳴った。
 せわしなく蝉が鳴く。
 入道雲が青空の向こうにそびえている。

「自分の本当の気持ちに、たくさんの余分なものを着せる。動かすことができないものを、視界に入れないたくないから布を被せるように」

 恋し恋しと蝉が鳴く。
 短い命だから、恥ずかしげもなく恋歌を歌う。

「だから、の心はさえも騙すよ。だからがセブルスを大事にする理由が、友情だと断定することは誰にもできない」

 彼女自身でさえも。
 の瞳が嬉しそうに細まる。
 ベイルダムは複雑に表情を歪めた。
 リチャードだけが、ただ静かに目を伏せている。

「たとえ2人の間に、そんなものが芽生えたとしてもだ」

 ベイルダムが言った。

「辛いだけさ」

 結ばれはしない、と。
 が瞬く。
 疑問を口にすることはできず、ただ耳を澄ましている。
 そんな彼女の存在は気にも止めず、二人は互いの瞳に同じ答えを見つけた。
 表情は暗い。

「スネイプが自分の感情のみで突っ走れるほど青臭い男だったら、もしかしたら幸せになれたかもしれん」

 ベイルダムが言う。

が俺の娘じゃなかったら…俺の親父が『彼』でさえなければ、あの子はセブルスに走り寄れたかもしれない」

 リチャードが言う。
 ベイルダムがそれに少し咎めるような目つきをして、それからふいと顔を背けた。
 ボソリと呟く。

「こんな時代でなかったなら、今のままの2人でも幸せになれたかもな」
「ああ」

 リチャードが俯く。
 ベイルダムが首を振る。

「『もしも』や『かも』は無意味だということは俺たちが一番知っているだろう。もう止めよう」
「そうだな。…ただ」

 リチャードがぼんやりと縁側を見る。
 がこちらを見ていた。

「辛い思いはしてほしくないはずなのに、あの子にならを預けてもいいのになんて考えてしまっただけさ。不正直なあの子の気持ちを、一番よく理解してくれそうだから」
「…まったく。厄介な癖だな。なんでそんな癖をつけたんだ?お前の教育が悪いんじゃないのか?」

 うざったそうに前髪をかき上げて、深くベイルダムが溜息を吐く。
 リチャードが苦笑して、畳の目を指先でなぞった。

「きっかけは母親の死だった」

 それは軽やかな夏の日には、重すぎる響きだった。
 蝉が鳴いている。
 は目を閉じた。
 自分が考えていたよりも、主と彼の道は困難なものらしいと察して。
 少しでもいいから、力になりたいと思った。
 主がふとしたときに彼へ向ける視線が、混じりけのない友情であると言い切れないのを誰よりも知っていたから。










 うだるような暑さの中をいつものように並んで歩きながら、はメモをもう一度よく確認した。

「薄切り豚肉200gと卵と、シーチキンの缶詰にキャベツかレタス。あと…」

 ぶつぶつ呟くのはいつものことなので、スネイプはさっさと行き着けのスーパーへと足を運ぶ。
 こうして人気のない細道を歩いていると、初めて会った日のことを思い出した。
 離れたり、追いついたりを繰り返して歩くのは、今も変わらない。
 ただあまりに遅いので意識して少しゆっくり歩くことを覚えた。しかしあまり合わせてやると今度は調子に乗るので、やはり歩調が速めなのは違いない。
 この1年で歩調まで変化してしまった自分を憂いてスネイプはこっそり溜息を吐いた。
 ふと気付くと、背後に彼女の気配がない。
 振り向けば少し離れたところで立ち止まっているのを見つけた。

「おい」

 スネイプは不機嫌に声をかけるが、は微動だにしない。
 ただ紅い目を見開いて、通りの向こうの出店を見ていた。

「どうした」

 の視線を辿れば、何人かの男性が小さな建物らしきものを組み立てている様子が目に入った。
 派手な色で絵や文字の入ったカバーを、屋根などに使うらしい。日本ではそう珍しいものでもないらしく、行き交う人は気にしていない。文化の違いかと思い興味深く感じたが、説明してくれるはずのは動かない。何をそれほど驚いているのか。

「おい、。なんだアレは」

 取りあえず声をかけてみる。
 ハッとして我に返ったは、にこっと笑った。

「ああ、あれね。出店だよ。明日お祭りがあるんだ」
「祭り?」
「うん。夏祭り。毎年この日にやんの。何をお祝いしてるのかは忘れちゃったけど…。近くに川があるでしょ?この時期になると蛍がきれいなんだ。それでこの日になると蛍がいるのもいなのも関わらず、川の近くに出店を出したり花火を打ち上げたりして、夏を皆でエンジョイするわけ。わたし明日だってことすっかり忘れててさ、ちょっとびっくりしちゃった」

 彼女は立ち止まっているスネイプを追い越して、軽やかに歩行を再開した。
 メモに目を落としながら、その目は何も見ていないようにスネイプには思えた。
 スネイプは早足で彼女に追いつく。

「…それだけか?」

 彼の言葉に、彼女は一瞬の躊躇いもなく答える。

「うん。ああ、それと明日はわたしの誕生日なんだ。それもすっかり忘れてた」

 にこにこと笑い、胸を張った彼女の様子は、一見普段と何ら変わらないように見える。
 ただ素直な紅い瞳が、決してスネイプの目を見ようとしなかった。

「明日はセブルスもなんかちょーだいね。なんてったって、友だちの誕生日なんだから。あー、思い出してほんとに良かった」
「…友人にプレゼントを催促するのかお前は」
「友人の誕生日にプレゼントもあげないつもりなのキミは」

 普段どおり軽口を叩き合いつつ、スネイプは彼女の瞳の翳りがどうしても気に掛かっていた。
 胸騒ぎに似た予感。
 彼女が何か大きなことを、隠しているように感じた。















 火を消す息吹も忘れ ただただ2人は声を上げて泣いた




















2004.7.31.

 伏線ばっかですんません。
 もうすぐちゃんと、を一歩前へと促すつもりです。