平行線は 交わらない














 それほど悪い人には思えなかったが、周囲は常に彼を嫌悪していたのを知った。
 それは名を名乗りあった、あの不思議な日から2日が過ぎたころのことだった。

「セブルス・スネイプって知ってる?」

 そう訊ねたのは、ふとあの可笑しな言い合いを思い出したからだった。
 今思えば、少々無礼だったかもしれない。まあしかし、彼も同様に無礼だったのだから、それほど問題はないだろう。
 そんなことを考えていたので、彼の名が出た途端、彼らの顔に浮かんだものが嫌悪だと気付くのに少し時間がかかってしまった。

「…知ってるんだね」
「まあな」

 確認するように言うと、苦々しい顔でシリウスが頷いた。
 黒い髪と黒い目。それだけを見れば、スネイプと同じである。しかしある意味で、正反対だと言えるだろう。
 シリウスの瞳はいつも爛々と輝き、苛烈な性格は短所とも長所ともなり得る。日焼けした肌が、活発な印象を与えた。年より大人びて見えるが、笑顔は人懐っこい。よく言えば単純明快な思考、悪く言えば単細胞、という少年だ。
 スネイプはまったくその逆で、伏し目がちの瞳には、年齢には不似合いな翳りが見え隠れする。不健康としか言いようのない色の肌は、彼が日光を好んでいないことを沈黙の内に語っていた。皮肉を言わせれば天下一品。陰険で狡猾な、典型的なスリザリン生。笑顔など嘲笑以外で見せたことはなかった。
 シリウスは眉間に皺を寄せ、虚空を睨んでいる。
 そんな全く違う二人が、同じ仕草をするとこうも違うものなのか、とはシリウスの横顔を見ていた。
 シリウスが眉を顰めると、拗ねた子供のような印象を受けた。

「何笑ってんだよ」
「いつ見てもシリウスの顔はおもしろいなと思って」
「……ジェームズ、訳してくれ。俺は耳がおかしくなってしまったらしい」
「いつ見てもシリウスはハンサムだね、だってさ」
「誰もそんなこと言ってないよ」

 都合のいい解釈をしだす2人から、話題を逸らしたいらしいことを感じ取った。

「つまり、嫌いなんだね」
「誰が?」
「誰を?」

 双子のように科白さえ分担している2人に、は慣れた様子で対応していた。
 こんなことに一々反応していたら、一日なんてあっという間に過ぎてしまう。

「君たちはセブルス・スネイプを、嫌っているんでしょ?」

 先ほどまで答えを渋っていた2人は、話題を逸らすのを諦めたらしい。
 今度はしっかりと首を縦に振った。

「当たり前だろ、。奴はスリザリンだぜ?」
「僕も大嫌いだよ。見ているだけで吐き気がするね」

 極端に苛烈な彼らの発言は、ときにを不快にさせた。
 しかし、これは仕方のないことなのだろう。
 グリフィンドールとスリザリンの確執は、今はなくてはならないものなのかもしれない。
 自分はグリフィンドールなのだ。それならば、シリウスやジェームズのようでなければならないのだろうか。
 はスネイプの悪口を聞きながら、あのときの印象とは遠く離れた人物像が、自分の中で構築されていくのを感じていた。
 夏の終わりの暗い路地での出会い。そして、ホグワーツでひとときだけ、言葉を交わしたあのとき。その短い時間で感じたものは、不思議と不愉快でなかったのに、新しい「セブルス・スネイプ」という名の人物像は、間違いようのない事実としての前に突き出されたところだった。
 どちらを信じて良いものか、には結局分からなかった。





 彼は常々、グリフィンドールとは、建て前ばかり立派な愚鈍な者の集まりだと思ってきた。
 ポッター一味(彼の4人組を彼はこう呼んでいる)が良い例だ。
 スネイプは彼らを、心の底から嫌悪していた。
 できれば関わりたくない、というのが本音だが、どうもそういうわけにはいかないらしい。
 彼らも同様に自分を嫌悪しているようで、何かにつけては絡んでくるのだ。
 しかもわざわざ自分が1人のときに来るのだから、その腐った根性は賞賛に値する、と彼は心中で悪態を吐いた。
 体のあちこちには、まだたくさんの青痣が残っている。教師に気付かれないようにと、大きな怪我は避けるのだから、一応考えてはいるのだろう。
 何が正々堂々、何が騎士道。よくもそんなことが言えるものだ。
 スネイプ中には、憎しみに似たものが序序にしっかりとした形を取りつつあった。
 そのとき。
 ふ、と赤い煌きが頭をよぎって、眉根を寄せた。
 グリフィンドールを疎ましく思う。ポッター一味を憎いと思う。
 だから、あの女も嫌いだ。
 大嫌いだ。
 どうせ何も知らない馬鹿だろう。スリザリンに知り合いでもつくって、自慢やら自己主張やらに励みたいに違いない。
 今までスネイプが出会ったグリフィンドールの寮生は、皆そんな者たちばかりだった。
 無条件に与えられる好意など、どこにも存在しない。
 たとえどこかに在ったとしても、自分に向けられることはない。
 だから自分に送られた好意的な言葉は、すべてが偽りで上辺だけの社交辞令だ。
 そう判断したスネイプは、そんなものは邪魔なだけだと、何もかもを拒絶して生きてきた。
 傍目から見れば不幸せな人生も、彼にとってはまったく構わなかった。それで十分、満足だった。

   君は馬鹿だよ

 科白に不釣合いな、楽しげで弾むような声音。
 スネイプは、もう2日も経っているというのに、あの出来事を、あの会話を忘れることができなかった。
 それこそ馬鹿馬鹿しい、無意味で稚拙な科白。
 しかし、強力な呪いのようだと思った。
 そしてまた、馬鹿馬鹿しいと繰り返し、虚空を睨みつけるのだった。
 憎しみや怒りは、愛情や友情を抱くことのないスネイプにとって、唯一正常な人間でいるための鎖だった。
 だからその鎖をの冷たさや重さを、不愉快だと思うことを知らないでいた。
 グリフィンドールの机に目を向ければ、ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックの後姿が見えた。そして、彼らの肩ごしに、彼女の少し困惑したような笑みが見えた。





 バチッ、と静電気が生じときに似た弾けるような音。
 確かにそれが響いたのではないかと一瞬危惧したほど、闇色の瞳とばっちり目が合った。
 きょとんとして瞬きを繰り返すに、幸か不幸か、話に夢中の友人2人は気付かなかった。
 スネイプ自身も、まさか彼女が自分を見るとは思わなかったので、咄嗟に誤魔化すことができなかった。
 が最初に考えたのは、なぜ彼がこちらを見ているかだった。
 は目の前の2人の存在を思い出した。もしかしたら、自分を見ているのではなくて、この友人達をみているのではないか。そう思えば納得がいく。しかし、彼はどうも自分を見ていると感じるのだ。顔に何かついているだろうか。

「って、!聞いてる?」
「え、……あ」

 ジェームズの呼びかけにハッとしたは、彼より先に視線を逸らした。
 ごめんごめんと謝った後、急いで彼のいた席を見遣ったが、彼はすでに顔ごと視線を逸らし席を立ったところだった。
 結局、なんだったのか。
 スネイプは、が何かに気を取られたのに我に返って、忌々しく舌打ちをした。
 ねめつけてやれば良かったものを、突然のことに呆けてしまった自分が苛立たしい。
 それにしても、なぜ彼女は見つめ返してきたのか。驚いたように目を丸くした後、少し不安そうに米神を掻く姿を思い出す。
 彼女の目に、自分はどう映っていたのか。
 自分の意味不明な思考回路に気付いて、再び舌打ちを打つ。先ほどより、少しだけ大きく。
 なぜこんなにも自分の興味を引くのか。
 不可解な彼女と、そして自分に、今度は吐息に小さな溜息を混ぜた。
 頭を冷やそう。
 またこちらを凝視している女の阿呆面を、一度だけ一瞥して、スネイプは席を立った。















 まだ 交わることはないけれど その一定の距離も 悪くない




















2004.5.26.