そこにあるのが 自然すぎて 近すぎて















 高々と杖を上げ、スネイプは赤い花火のようなものを打ち上げた。
 空でそれは派手に弾け、光を発しながらゆっくりと落ちてくる。
 発見の合図だ。
 この合図を見れば、付近を教師達が捜索してくれるだろう。
 しかし、こちらも早くここを移動しなければ、花火を見た他の生き物が集まってくる。
 あまり悠長にはしていられない。

「怪我は」

 振り向いたスネイプは無愛想に訊ねた。
 まだ驚きの抜けない顔のまま、は答える。

「あちこちあるよ」
「そんなものは見れば分かる!私が言っているのは、あんな高さから落ちて骨の一本や二本折れていてもおかしくはないだろうということだ」

 突如現れた彼は、何故かひどく機嫌が悪い。
 はいつもと様子の違う彼に首を傾げながら、それでも自分の体の調子を確かめてみる。

「落ちたときにはあんま怪我なかったよ。あのでっかい蜘蛛に追いかけられて走り回れたぐらいだから。……あーでも、さっき転んだとき、足ひねったっぽいや」

 蜘蛛の糸が驚くほどの粘着力で、未だの足を地面に縫い付けている。
 そのせいで、足首を痛めてしまったらしい。
 ぺたんと座り極めて呑気に見えるに、スネイプは声を震わせた。
 ここまで怒りを抑えるのに多大な努力を要している。

「お前は…どうして、そう、自己管理がなってないんだッ。調子が悪いのなら最初から授業など休め、この…愚か者!箒から落ちて死んだ魔女なんぞいい笑いものだ!お前には、危機感というものがないのかッ馬鹿が!手を離せば落ちることぐらい猿でも知ってるわ!猿以下か貴様は!あぁー……クソッ!」

 今までにない剣幕に、はぽかんとしている。
 だけではない。未だ黒豹姿のままでも軽く口を開けている。というか、この姿については完全無視か?

「あの、スネイプ?」

 こちらの様子に気付かずマシンガントークを続けるスネイプに、が恐る恐る声をかける。

「なんで怒ってんの?」

 ゴンッ

「痛い!」

 箒の柄で殴られた。
 怪我人に対する遠慮というものが見られない仕打ちに、はますます当惑する。

「下らん質問なんぞしてる暇があったら、さっさと立て馬鹿者。大蜘蛛なんぞ序の口だ。他に見つかる前に帰るぞ。…!」
「な、に?」

 スネイプの剣幕にがびくりと反応する。
 思わずどもってしまったのは、驚きからだと思いたい。
 こんな子供に気圧されたなど、としては断固として否定したい。

「ホグワーツの方向が分かるか」
「ええ。た、ぶん」
「では道案内を頼む」

 は悪戦苦闘して、やっと右足の自由を確保する。
 立ち上がろうとした瞬間、初めて新たな問題に気付いた。
 さっさと歩き始めているスネイプの背に声をかける。

「あの!立てないん、ですけど…」
「…なんだと?」
「ご、ごめんってば!そんな睨まないで!さっきので腰が抜けちゃったんだよー。……お、起こして?ね?」

 蜘蛛より怖いかもしれない。
 引き攣った笑顔を浮かべているに、スネイプはすたすたと近づく。
 持っていた箒をぽいと放り出すと、の横に膝をついて細い腕をつかんだ。

「おぅわッ!……え、…ええ!?」
「煩い。行くぞ、

 はやっと彼の心境を理解したのか、密かににんまりと笑って先を歩いた。
 スネイプはその後を、を背負って歩いている。
 はスネイプの背でほとんど錯乱状態であるが、スネイプは既にいつもの落ち着きを取り戻し、普段の歩調でさくさく歩いている。

「お、下ろして!」
「断る」
「重いって!スネイプの腰が折れる!」
「折れるか馬鹿者。お前の足腰の回復を待っていたら埒があかん。効率を考えた行動だ。お前はせいぜい今後のダイエットスケジュールでも考えてろ」
「……さり気に重いって言ってない?」
「気のせいだ」








 地上へと下りていく途中、彼女の姿がないことに気付いた。
 振り返れば、何故かサングラスをしていない彼女の体が、ぐらりと傾くところだった。
 声を上げる間もなく、まっさかさまに落ちていく。

 彼女の姿が見えなくなったそこを凝視したままで。

 ああ。

 死んでしまった、と思った。

「セブルス、先行くよー」

 同寮の友人の声に我に返った。
 手がぶるぶると震えて、箒を掴んでいるので精一杯だった。
 友人はそんなスネイプに気付く様子もなく、さっさと地上に降りていった。

「おい、震えてるぜ?」

 聞き慣れた声がして、気が付けばすぐ近くにポッターがいた。
 ブラックと一緒ににたにたと笑っている。

「どうした。お前まさか高いところが怖いでーすとか言うんじゃねえだろうな?」
「おい、何とか言えよハナタレ」

 彼らの罵倒も、今はなんの感情も呼び覚まさない。
 彼女が、が。
 いや、もしかしたらあいつは生きているのではないか?
 ふと浮かんだ疑問に、藁にも縋る気持ちでしがみついた。
 こんなつまらない死に方をするタマじゃない。
 どうせケロリとしてあの危険な森の中をうろうろしているに違いない。
 僅かな、希望である。
 あまりにも儚すぎて、ほとんど絶望的な。

「ポッター」

 声が震えた。

「下にいる教授に、が森に落ちたと伝えろ」
「な!?どういうことだよ!」
「……て、テメエ!に何かしやがったのか!?」
「煩い!そんなわけがないだろう!おおかた空中で気絶したんだ!さっさと教授に伝えて来い!禁じられた森だ。ハグリットやベイルダム教授も呼べ!」

 大声を出して、やっと指先に力が入るようになった。
 意識がはっきりしてくる。
 早く助けに行かなければ、生きていても何かに襲われてしまうかもしれない。
 くるりと旋回すると、ポッターが喚いた。

「待てよ!どこ行くんだ!?」
「私はこれから探しに行く!見つけたら合図を送ると伝えておけ!」

 クィディッチのシーカーのように姿勢を低くして、自分に可能な限りの速さで、森へと急降下した。
 背後で彼らはまだ何か叫んでいたが、もう何も聞こえなかった。
 生きていてくれと、強く願う自分の必死さに疑問を抱く余裕さえなかった。
 ただ彼女の死の恐怖だけが、迫ってきていた。








 沸々と湧き上がった怒りを、あれほど抑えたことは我ながら賞賛に値すると思う。
 しかし、今胸にあるのは、背の温もりに感じる安堵だけだ。
 生きていた。
 よかったと、思った。
 思わず、抱きしめてしまいそうだった。

 ボウッとしながらもきちんとぬかるみや障害物を避けて歩いているスネイプの背で、は彼の背が思っていたよりもずっと大きくて、しっかりしていることを再確認していた。もっと貧弱な印象があったのだが、自分を背負っていながらびくともしていない。
 スネイプも男の子だったんだなあ、などと呑気なことを考えている。

「ねえねえ」

 静かだったが、唐突に声をあげる。

「なんだ」

 やはり無愛想に、しかし先程よりは幾分柔らかく彼が答える。

「…怒らない?」
「知るか。さっさと言え」
「あのさ。なんで探してくれたの?」

 呆れた。
 スネイプは思わずその場で脱力してしまいそうになる。
 しかし冷静に考えると、その疑問は尤もかもしれない。自分は何故、あれほどこんな女の死を恐れたのか。

「お前だったら…どうした」
「え?」
「たとえば私が…私はそれほど間抜けじゃないが…私がああやって箒から落ちたら、お前はどうする」
「………探すよ」

 少しだけ間を空けて、しかしきっぱりと彼女は言った。

「大泣きしながら、どこまでも探し回るよ」

 気を抜いたら、声が震えてしまいそうだと思った。
 リアルに想像できて怖くなる。
 はその存在を確かめるように、強くスネイプの背にしがみついた。
 ああ。あたたかい。
 命のぬくもりだ。

「何故?」

 スネイプは回された細い腕が、本当に微かだけれど震えているのに気付きながら、再び問うた。
 己さえ持たぬ答えを、何故だかなら導いてくれそうな気がして。

「友だちだから」

 即答。
 ほんの僅かな躊躇いさえ挟む隙がない。

「大切な人を大切にするのは、当たり前でしょ」

 まるで、あまりにも簡単な計算式の答えを、幼い子供に教える大人のような口調で。
 スネイプは何かを考えているような間を開ける。
 物足りなさを感じてもおかしくはないほど簡潔すぎる答えなのに、それがすとんと胸に収まったのが不思議で堪らない。
 一瞬少しだけ歩調を緩めて、ぐんとを抱えなおした。

「…つまり、そういうことだ。私も」

 小さく呟かれた言葉の意味を、が理解するにさほど時間はかからなかった。
 頬が緩んで仕方がないと、そんな彼女の表情を見なくとも想像できる自分に呆れているスネイプと、そんな2人の様子が嬉しいの間に落ちた沈黙は、不吉な森の中で唯一穏やかなものだった。
 しばらくして、先を行くにスネイプが声をかける。

「あとどれくらいかかる?」
「はっきりとは分からないけど、2キロ弱ってところじゃないかしら。ってば箒の上なのにぼうっとしてて、風に流されてたもの。実際は相当の距離があったはずだわ」
「…ごめんねえ。迷惑かけて」

 すまなそうにが言う。

「まったくだ」「気にしないで」

 まったく同じタイミングで、まったく違う返答を返した1人と1匹は、一瞬だけ顔を見合わせた。
 呆れたような黄金色の瞳に耐えられず、憮然としたまま足元の木の根に気を取られた風に装うスネイプ。
 いつもと変わらない空気に、が呟くように訊ねた。

「2人とも、あたしが怖くないの?」

 黒豹は問い、恐る恐るという風に振り返る。
 顔を上げた2人は、顔のつくりは似ても似つかないというのに、ほとんど同じような表情をした。

「「何が?」」

 当惑が混じった2人の声が、見事に重なる。
 きょとんとする2人に、今度はがきょとんとした。

「何がって、あたしこんなんよ?」

 こんなん、と言いながら爪と牙を見せる。
 猫だったときとは比べ物にならないほど鋭く長い。

「だって………ねえ?」
「…ああ」

 ねえと背中のに言われて、なんとなくスネイプも頷く。
 はそれに励まされたように、言葉を選ぶ。

は………なんだもん」

 黄金色の瞳を見たとき、何も変わっていないことに気付いた。やっぱりその目は満月みたいにきれいで、優しかったから。
 同時に、何故彼女が今までその姿を見せてくれなかったのかも、理解した。
 その目には今まで見たことのない恐怖があった。
 自分のその姿を見て、周囲の態度が変わってしまうことへの。

「…どうして?」

 獣の口から発せられる、今にも掠れて消えそうな弱々しい声。
 何と言えばいいのか分からず口ごもるの代わりに、スネイプが言った。

「保護者だからな」

 コイツの。
 にやりと口の端を歪めたスネイプの後頭部を、軽い衝撃が襲う。

「違うっつーの!友だちだからだもん!!馬鹿ッ」
「…落とすぞ」

 友だちだから、か。
 昔、ずっと昔に、同じことを言われたことがある。
 は2人の会話に微笑みながら、想いを馳せた。
 あのひとはもういないけれど、今度はこの子を…この子たちを守ろう。絶対に守り通してみせる。
 命さえ賭けるつもりだった。





 どれほど歩いただろうか。
 既に日は沈み、禁じられた森で最も警戒すべき夜がやってきていた。
 気付けばは、いつの間にかスネイプの背で眠っている。
 よだれが付いていたら呪ってやる、などと呟きながら、スネイプは起こそうとしなかった。
 ふ、と。
 がぴくりと耳を動かして、足を止める。
 訝しげに眉を顰めるスネイプは、彼女の視線が空にあることに気付いた。

「……どうした?」

 蜘蛛か、はたまた別の生き物の気配だろうか。
 疲労している自分は、まともに応戦できそうもない。
 危機感を募らせるスネイプに、は曖昧に首を傾けた。

「エンジン音が…、聞こえるのよ」
「は?」
「マグルの車のそれとはちょっと違って。……バイク、かしら」

 こんなところを?
 その問いを遮ったのは、紛れもなく。

  ブオオォォォン

 エンジン音。
 次いで大型バイクが空から降ってきた。

「どわあ!」

 思わず声を上げて後退りしたスネイプは、ヘッドライトの眩しさに目を背けた。
 音と衝撃に驚いて目覚めたらしいが、一瞬スネイプの首をしめかけ、慌ててもぞもぞと体勢を立て直した。
 オートバイには誰かが乗っている。
 ヘルメットもしていないらしいその誰かは、スネイプの様子に気付いたのかライトを弱めた。
 そしてスネイプが見たのは。

「ベイ…ルダム、教授?」
「まったく。探したぞ」

 似たような科白を吐いた自分はまだ記憶に新しいが、そんなことはどうでも良い。
 彼のこんな登場は、まったく予想外だった。
 バイクだ。
 どこからどう見ても、バイクだ。
 しかし、バイクとは空から降ってくるものだったか?
 いやその前に、ベイルダム教授はこんなものに乗って空を翔るようなキャラだったか?
 バイクといえば、マグルの乗り物だろう。
 何故スリザリンの寮監が?
 目まぐるしく頭を駆け巡る疑問の嵐に茫然自失のスネイプを置いて、いつのまにか地に足をつけたはバイクの観察を始めている。
 傷だらけの足をひょこひょこと引きずりながらも、キラキラと目を輝かせている。

「わー、すごーい。オートバイだー。新型だぁー。先生、これってもしかして改造してあるんですか?だから空も飛べちゃうわけですか?やっぱ魔法使いってすっげえやー!かっちょいー!!」
「君も魔女だろう」
「あっははー、そうでしたー」

 へらへら笑う間抜け面に、やっとスネイプは我に返る。
 今はバイクとベイルダム教授の関係やら謎やらなどは、どうでも良いのだ。

「教授」
「ああ分かっている。、後ろに乗りなさい。今回は緊急事態だからヘルメット無着用は私が許可する」
「わーい、やったー!」
「……」
「なぁにさーその顔は。あ、もしかしてスネイプってば羨ましいとか?うぷぷ」
「断じて違うわ。お前の能天気さと馬鹿丸出し度に呆れているんだ。一目で分かれ」

 かくして教授の後ろに跨ったは、わくわくと目を輝かせている。
 教授はサングラスを手の甲で軽く押し上げて、しっかりとハンドルを握った。
 一度、ブオオォンとエンジンを吹かすと、10メートルほど助走をつけてバイクは空へと舞い上がる。
 スネイプが見送る中、2人の背中は瞬く間に見えなくなった。
 スネイプはそれを疲れた目で見送った後、ローブから杖を取り出した。

「アクシオ…」

 疲れた声で呼び出された箒は、を背負うときに放り出されたものである。
 それに跨ったスネイプも、いつのまにか猫に戻っていると共に上空へと舞い上がった。
 帰ったらすぐに寝よう。疲れた。
 重い肩を軽く回して、美しい三日月などには目もくれず大きく欠伸をする。
 ぐったりと疲労しているスネイプを、は気の毒そうに見遣った。

 長い一日だった。





「先生スピード出しすぎ!!!しかも夜間飛行でサングラスで見えてるんですかー!」

「舌噛みたくなきゃ黙ってろッ。ま、はっきり言ってあんま見えてねえけどな!勘だ勘!何が楽しくて安全運転なんぞ目指すかァ!」

「ギャー!前方にふくろう!ぶつかるぅ!!死ぬうう!!」

「おらあ!」

「アアァァア!!!!キ、キリモミ回転ッ!!?」

「おーーさっすが俺!スリザリンに10点!よし、次は宙返りやるから、付き合え!」

「嫌です!!っていうか先生、キャラが変わってま…」

「しっかりつかまってろ!!」


「ギヤアアアァァァァァァァ!!!!!」















 どれだけ大切なものなのか 気付いていなかった




















2004.7.5.
 セブルスくん、やっと友人関係を認証。
 しかしそれよりも、リディがハンドル握ると性格が豹変するタイプだとは(自分で書いてて)意外だった。
 っていうか、最後の方めちゃめちゃ楽しかったんですけど。(笑)