今日はバレンタインデー。 その性格の悪さで有名なスネイプとて、勿論今日という日が何の日なのかは知っていた。 それゆえ、遠く離れた自宅にいる妻と愛する娘に、ふくろう便でカードを送るのを忘れることはなかった。もしも忘れようものなら、即座に吼えメールが届くことは間違いない。彼にとって、娘の“だいっきらい!”という衝撃的な叫びの入った吼えメールほど衝撃的でダメージのある一撃はなかろう。(直接言われるのを除く) 幸い、まだ言われたことはない。 自宅近くの花屋に、カードと花束の配達を注文しておいただけなのだが、彼女たちのことだ、文句はあるまい。 何も問題はない。 万事、うまくいっているはずだ。 しかし、スネイプの頭には、何やら妙に嫌な予感がもやもやと付きまとうのだ。 そんなことを考えつつ、朝食の席であまり好きでないにんじんをフォークで突っつきながら、人より多少執念深い睡魔からまだ逃れきれない目を瞬かせて(しかし周囲にはいつもの仏頂面にしか見えない)いると、ぎょっとするような数のふくろうが大広間になだれ込んできた。 繰り返すが、今日はバレンタインデー。 ふくろうたちの荷物は、もっぱらカードか花束だ。 色とりどりにラッピングされたものが飛び交うことも、普段より大きな落ち着かないざわめきも、低血圧のスネイプには酷く鬱陶しい。 ようやく口に放り込んだにんじんを咀嚼しながら、ふと視線を上げて、―――――凍りついた。 バサ バサ 飛び交うふくろうの群れの中に、此方に一直線、向かってくる鳶色のふくろう。間違いない。我が家のふくろうだ。 いや、それはいい。それよりも、その爪にキレイにラッピングされた荷物と共にしっかりと握られた、血のように赤い、あの、不吉な真紅の封筒。 吼えメール。 (何故だ…!) しつこいようだが、今日はバレンタインデー。 そんな日に、彼の有名な陰険薬学教授の席にぽとりと落とされた、爆発寸前の吼えメールに、ざわめいていた大広間は一瞬で静まり返った。 常人なら身を仰け反らせて非難を試みるところだが、彼はしゃんと背筋を伸ばし、片手にフォークを握ったまま、彫像のようにぴくりとも動かず黙ってそれを凝視していた。勿論、彼の頭は覚えのない自分の失態について忙しく思考している。 ホグワーツ中が、この珍事件を見逃すまいと、固唾を呑んで見守るなか、とうとうその真紅は爆発した。 「お父さん、お花ありがとう!!」 (そう来たか!) この第一声で、ようやく状況が飲み込めたスネイプは、この悪戯――そう、これはタチの悪い悪戯だ――を企てただろうけしからん人物に思い当たり、苦虫を口いっぱいに頬張って、濃厚なコーヒーで飲み下したような顔をした。 「黄色いチューリップ、すっごくキレイです! お母さんに頼んで、お部屋にかざってもらいました! ほら、前お母さんが買ってきた、あのガラスの、すっごくかわいい花びん! すごくぴったりなんだよ、写真とっておこうかな…! あ、あとね、お母さんもね、お花とっても喜んでたよ! どんな顔で選んだんだろうねって、とてもにこにこしてました! えっと、でも今は、とても楽しそうに、にやにやしてます! お花、お母さんのはバラなんだね! やっぱりあれもすごくキレイ! お父さんはサスガだね、わたしも、お母さんも、すごくすごくすごく嬉しかったです! お父さん、大好きー!!」 大好き…。 嬉しいが、いや本当に文句なしで嬉しいんだが、できれば鼓膜の安全を十分に保証できる程度の音量で言って欲しかった。 耳を塞ぎたい衝動をこらえながら、起きぬけの頭にがんがんと響く可愛らしい娘の声にげっそりと肩を落としたい、気分だった。(が、やはり彼はぴくりとも動かなかった) 「あとお兄ちゃーーーん!!」 くるりと吼えメールが、空中で方向転換した。 スリザリン席の一角で、静まり返った大広間に響く久しぶりに聞いた愛しい妹の声に、こっそりとにやけていた馬鹿な兄は、急に呼ばれて反射的に姿勢を正した。顔立ちが、ひと目で親子と分かるほど父親と瓜二つなのだが、彼は全校生徒の注目が集まる直前ににやけ笑いを愛情に満ち満ちた小さな微笑みに素早くすりかえ、教員席で踊る真紅を優しく見つめていた。その類の表情は、父のレパートリーには入っていない。彼曰く、学校では「クールなナイスガイ」をテーマにしていきたいらしい。今のところそれは成功しているようだが、本性がアレなのでいつまでつづくか…。 「ぬいぐるみありがとうー!! 真っ白なくまさんだから、スノウって名前にしました! すごくすごく大事にするからね! ええと、ええと、あ、そうそう! お礼に、お母さんといっしょにつくった、クッキーをいっしょに送ります! お父さんもお兄ちゃんも大好きなチョコチップだし、たくさんつくったから、ふたりで食べてね!! …え? なに? …オッケー、お母さんからお父さんに伝言です! 『カモンお説教メール。おちゃめな奥さんにどんと来い。』だそうです!! 相変わらず意味不明なお母さんでごめんね、お父さん! それじゃあ、お手紙待ってます!!」 そして、赤い嵐は燃え尽きて消えた。 長い静寂と沈黙のあと、彼は持ったままだったフォークをカタンと置き、落ち着いた様子でクッキーの包みを片手に持つと、自分を注目している生徒たち(そして教員たち)をぐるりと見回し、何も言わずに颯爽と大広間を横切って去っていった。 彼の姿が扉の向こうへ消えた途端、どっと大広間は賑わいを取り戻した。 花束をあげるキャラじゃない、とか、花言葉は何だ、とか女の子たちは彼の評価に急がしかったし、男の子たちは生真面目な顔で花を選ぶ彼の姿を想像しては笑い転げ、意中の相手にチューリップかバラを贈るつもりだった子、既に贈った子たちは、蒼褪めたり慌てたりしていた。他にも、彼の幼い娘の容姿を父親の姿から想像してはそのビジョンを頭から追い出そうと必死で頭を振る子もいたし、この悪戯の発案者らしい彼の細君についても“イカす”、“クレイジー”、“面白い”と様々な評価が下された。 そして、質問攻めにあっている「クールなナイスガイ」は、母親似の赤い目を微笑みに細めて、恋人自慢をするように惚気た。 「お母さんと妹ほど素敵な女性なんて、地球上どこを探したっていやしないことは確かさ」 2006/2/17 遅くなりましたが、ハッピーバレンタイン。 吼えメールで感謝を。 娘は今、“すごく”が口癖らしいです。いい子です。 あとどちらかというと兄が母似で妹が父似です。(中身は) 外見は逆ですけどね。 |